去っていく気配に視界が滲む。
馬鹿な話だ。拒絶したのは、自分の方だというのに。
PAIN 2
さよなら。そう言って昭栄が帰っていくのを、自分は背を向けたまま、気を失ったフリを続けながら聞いていた。
戸が締まって、階段を下りる音がして、挨拶とともに玄関を出る音。完全に静寂を取り戻した部屋の中で、カズは寝返りを打ち、ぼんやりと天井を見上げる。
身体中が痛かった。
でもそれ以上に、胸の奥が痛くてしょうがない。
乱暴に抱かれたからじゃない。さよなら、呟くようなあの声が、今まで一度も聞いたことのない響きだったから。
傷つけた。昭栄にあんな声を出させるほど、深く抉るように。
「俺やって、ほんとは……」
浮かんでくる涙を止められない。泣くのは卑怯だ。両手でぐっと目を押さえて、必死で溢れそうになる涙を塞き止めた。
好きだと言われて、嬉しかった。自分も昭栄を好きだと思ったから。
同時に、とても怖くなった。自分の反応一つで、この先の昭栄の未来が変わることに気付いたから。
昭栄を喜ばせる返事をすることは簡単だった。自分の気持ちに従えば、それがそのまま昭栄の望む答えとなる。昭栄の笑顔が好きだから、喜ばせてやりたいとも思った。
けれど、好きだからこそ、そうするわけにはいかなかった。
昭栄は将来有望な後輩で、いずれは世界と戦う選手になるだろう。この先たくさんの人に注目されて、たくさんの経験をして、たくさんの人と出会う。
昭栄のことを、好きだ。すごく、すごく好きだ。いつも笑っていられるように、幸せでいてほしいと願う。
だから、うなずくわけにはいかなかった。応えるわけにはいかなかった。
妙なゴシップにでもされたら、将来を潰すかもしれない。仲間との関係も変わるかもしれない。きっと受け入れてしまえば自分は二度と昭栄を手放せないだろうから、家庭を築き子を成す、そんな未来も奪ってしまう。
だけん、これでよかったっちゃろ?
今は辛くても、きっとそのうちわかるはずだ。素敵な女性と出会って、昭栄のことだから一途にその人を愛して、可愛い子を授かって、子どもと一緒にサッカーをしたりする。そんな幸せが昭栄を待っていること。
その頃になったら、あの頃の気持ちは気の迷いだったのだと、選び間違えなくてよかったと思うかもしれない。
そうなったら、昭栄さえよければ、自分もそれを祝いたい。昭栄の幸せそうな笑顔を目に焼き付けて、それだけで自分も幸せになれる。
今は辛くても、きっとそのうちに、この痛みさえ懐かしく思える日が来る。
よかったって、思っとーはずやろっ……!!
好きだと言われるのが嬉しかった。抱きしめてくる腕が、触れる唇が、笑うその瞳が、全て愛しくて愛しくて、離したくなかった。
「なし、泣くとや……!!」
泣くのは卑怯だ。わかっていてどうしても想いを振り切れなかった自分の弱さが、昭栄をあんなに傷つけた。そのくせ泣くなんて、卑怯にもほどがある。
そう思うのに、涙が止まらない。
手放したくなかった。きっと別れ際、もう一度昭栄が自分を見つめたら、好きだと言ってしまっていた。何を捨ててもいい。何を捨てさせてもいい。もう一度、今度はちゃんと心を通わせて、抱いてほしいと。
それでも、今はこんなにも辛くても。いつか、いつかきっと。
「ショ、エ……っ」
幸せになってほしい。そのためなら、自分の心が引き裂かれても構わない。どんな痛みも、どんな苦しみも、耐えてみせる。
昭栄が好きだ。誰よりも愛しくて、誰よりも可愛くて。簡単な気持ちじゃない。そんなに簡単に、うなずいたり手放したり、できる気持ちじゃないのだ。
だから、今はまだ辛くても。必ずいつか、これでよかったのだと笑って思える日が来るから。
身体中が痛かった。でもそれは何一つ苦痛などではない。昭栄に愛された証だから。こんな自分が、たった一度でも昭栄に愛された、その証。
さよなら。あの声がまだ耳に響いている。きっとずっと忘れられないだろう。この寂しさや虚しさ、そして愛しさと同じで。
『今日で最後やな』
好きじゃないなんて嘘でも言えなかった。そう言うのが精一杯だった。それは昭栄への答えであると同時に、自分の想いへの引導。
胸の奥が痛い。
失ったものの大きさに、カズは肩を震わせて泣いた。
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