喪失の痛みは胸の奥底に蓋をして隠し、目の前のボールに集中する。
ピッチにぎっしり詰まった記憶に気が狂いそうになる瞬間もあったけれど、練習に没頭している間が一番心穏やかでいられた。
サッカーが、心底好きだから。何て皮肉なことだろう。


PAIN 3


「この大事な時期に浮き名ってさ、どうかと思うよ、高山くん。」
「あーもー、もうよかやんそれはぁ〜……」
 発売されたばかりの週刊誌を手に呆れ顔のチームメイト・風祭将に、昭栄はもう聞き飽きたと言わんばかりに耳をふさいだ。
「まぁ仕方ないよな、ぼーっとしてるお前が悪い。」
「山口さんまでそげんこつ言うとですか……」
 学生時代からのクセで先輩には強く逆らえない昭栄は、一つ年上のチームメイト・山口圭介の言葉にがくっと肩を落とす。
 風祭と山口が見ている記事は、ありふれたゴシップ。『新人女優と若手サッカー選手の密会現場』と見出しがついたこの記事の問題は、その「サッカー選手」が高山昭栄自身だということで。
「合コンでもしてたのか?」
 山口の問いに、昭栄は曖昧に笑った。うわー……となぜか白い目で見てくる二人に、慌てて弁解をする。
 合コンとはいえ、昭栄は付き合いで参加しただけだ。雰囲気のいいレストランで料理もおいしく、それなりに盛り上がってはいたものの、人数合わせの昭栄は一人で先に帰ったのである。
「んで、そん子が連絡先教えてほしかって追いかけて来て」
「おぉ、やったじゃん!で、連絡は?」
「こん状況ではせんでしょう……ちゅーか、アドレスも教えてなかし」
 もったいない、と山口が目を見開く。先程までと発言が真逆な彼に、昭栄はぶすっと椅子にもたれた。
 男の本音としては、もちろんもったいないなーとは思う。今は特定の彼女もいないから、連絡先くらい教えてもよかった。けれど仕方ない。気が向かなかったのだから。
「でもこの子、高山くんの歴代の彼女にはないタイプじゃない?スレンダーでちょっと気が強そうな」
「結構可愛いと思うけどなぁ。猫っぽくてさ。高山ってどんな子が好みなの?」
 その問いに、一瞬声を失った。
「……ぼくが聞いたことある感じだと、割とグラマーで可愛い系の、年下タイプが多いですね。」
「ふーん、じゃあちょっと違うかもだなぁ。」
 気付かれなかったのか流れていく会話にほっと息をついて、昭栄はいつも通りに笑う。
「そーなんですよー、やっぱ女の子は可愛く甘えんぼなんがよかですけん。まぁ今は、サッカーで忙しかやし」
「調子いいなぁお前は。で、監督は何だって?」
 こんなゴシップ雑誌が手元にあるのは、先刻コーチや監督に呼び出され渡されたからである。開かれたページに、携帯で撮ったかのような粗い画質と白黒印刷でわかりづらいが、自分の後姿が映っているのを見たときは心底驚いた。
「今回は見逃す。ばってん次があるかもしれんけん、当分外食禁止、特に飲み屋は絶対禁止!ですって。」
「うん、当分大人しくしとけよ?次何かあったら、今度の代表戦、登録取り消しとかも有り得るかも……」
「うわっ、縁起でもなかこつ言わんでください!!嫌やぁ〜」
 ぎゃっと頬に手を当てる昭栄に山口が笑う。
「さて、じゃあ俺、そろそろ帰るわ!今日は予定入ってんだ」
 立ち上がる山口に心配をかけて申し訳ないと頭を下げかけた昭栄は、彼の妙に緩んだ表情に眉根を寄せた。
「……山口さん、その予定って、まーさーかーとは思いますけどぉ〜?」
「お先っ♪」
 追及の手を逃れて、ダッシュでロッカールームを出て行った先輩に、昭栄は苦笑を漏らす。あれは絶対、合コンだ。危険ではなかろうかとも思うが、その辺は抜け目がなさそうだから、大丈夫だろうと目を瞑る。
 汗を吸って不快なTシャツをようやく脱げて、息をついた。着替えのシャツを手に、シャワーを浴びようか、即寮に帰って風呂に入るか思案する。
「あ、そうや。風祭、もしかして待ってくれとったと?気ぃ使わせて悪かやったなー。」
 昭栄と同じく寮生活の彼をこれ以上待たせるのも悪いかと声をかけると、風祭は珍しく眉をしかめて雑誌を眺めていた。
「…………ウソつきだなぁ」
 練習も終わってしばらく経っているから、ロッカールームは二人だけ。衣擦れの音さえ耳に障るような静かな部屋に、その独り言はよく響いた。
 訝しげな昭栄の視線に、頬杖をついた風祭の目線は雑誌に下りたまま、感情の読めない声だけが答える。


「あんまりタイプすぎて、浮気する気も起きなかったんじゃない?」
「っ……!!」


 あの日、カズに別れを告げてから数年。告白してくれる子はたくさんいたから、付き合った子もたくさんいる。どの子ともそれなりに楽しく過ごせたけれど、決して長続きはしなかった。
 当たり前だ。そこに情熱がなかったのだから。
「高山くんの歴代の彼女の印象って皆同じなんだよね。不思議だって言う人いるけど、でもそれって必然でしょう?」
―――髪はロングで、グラマー。顔は可愛い系で、柔らかい面差し。運動はできない方。守ってあげたくなるような、頼りなげなタイプ。
 裏を、返せば。

 写真の子と目が合った瞬間、思い出した。
    ……カズさん、の、こと。
 そうしたらもう、どんな顔をしていいかわからなくなって。何とか食事の間は体裁を繕って、逃げるように出てきた店先で呼び止められたとき、泣きたいような怒りたいような、ぐちゃぐちゃな気持ちに背中が震えたのを覚えている。
 捨てたはずの想い。諦めたはずの人。心の奥底に仕舞いこんだはずの思い出。それが、何年経っても、何人の子と付き合っても、たやすく心を支配する。息もできないほどに、乱される。
 ただほんのひとかけらでも、あの人を連想させるものを持つ、それだけで。
―――髪はロングで、グラマー。顔は可愛い系で、柔らかい面差し。運動はできない方。守ってあげたくなるような、頼りなげなタイプ。
 好きなタイプだから、そんな子とばかり付き合ってきたんじゃない。そうでなければ、「付き合う」ことすらできないだけだ。

 たとえば付き合う女の子の影にカズの姿を見て。
 彼女の口から贈られる愛の言葉は、カズからのもの。腕に抱き愛を注ぎ込む彼女の身体は、カズのそれ。
 それがどんなに倒錯的な愛情だろうと、そう思えればどれほど楽だろうと思うことがある。本気かどうかは疑問だが、実際、中には「誰かの代わりでもいいから」と昭栄に縋る子もいた。

 けれど、できない。できなかった。一度も。
    好きだから。
 誰かを代わりに見立てることすら許せないほど、カズは特別で。
    好き、大好き。愛してる。今も、ずっと。
 どんなに優しくて可愛い子でも、カズの代わりにはなれない。だから無理矢理に、カズと真逆なタイプの子とばかり付き合った。
 一瞬でもカズを思い起こさせることがあれば、まるでカズを汚されたような、冒涜されたような気持ちになって。
    あの日触れたカズの肌の熱さを、まだ覚えている。
 馬鹿な話だ。あれほどはっきりと、拒絶されたというのに。いっそ何年もうやむやにされたまま弄ばれたと恨みでもすればいいものを。
「…………何、言っとると?大体浮気って、今俺がフリーなんはお前が一番よく知っとーっちゃろ〜。」
 へらり、お得意の笑顔でごまかした。風祭はしばらく黙って着替えを続ける昭栄の背中を見ていたが、深いため息とともに立ち上がる。
「別に、無理に話せって言ってるわけじゃないから、いいんだけどさ」
 ドアの前で立ち止まった風祭は、怒りか苛立ちか、渋面を昭栄に向けた。
「高山くんの今の笑い方、あの頃と全然違ってるって、気付いてる?」
 痛いところを的確に突かれて、昭栄は誰もいなくなったロッカールームに一人、しばらく立ち尽くしていた。


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