今も胸に残るのは、あの日の痛み。


PAIN 1


「明日、行くとですか?」
 あらかたの荷物はすでに発送を済ませ、着替えや洗面道具など、少ない荷物をスポーツバッグに詰める。かけられた声にその手を止めて、カズは振り返った。
「ショーエイか。」
 答える代わりに軽く微笑んで、作業に戻る。
 明日、午前の飛行機で、カズは名古屋へ向かう。とうとう、夢の第一歩、プロの仲間入りだ。
「卒業式、終わったばっかりっちゃのに」
 全ての荷物を飲み込んでまだ余裕のあるバッグを部屋の隅に片付けながら、背中越しにその小さな不満の潜む声を聞く。
「アホ、遊びに行くんじゃなかぞ?そげんゆっくりしとれんやろ。」
 一日も早く合流して、チームに馴染んで、体を作り、プロのレベルへ追いつかなければならない。学生の自分は優秀な選手でも、プロに混じればただの子供だ。
 もっともらしい講釈をしながら、背中に注がれる昭栄の視線に気づかないふりをしていた。昭栄はこんな正論を聞くためにここに来たわけじゃない。わかっていて尚、カズは背を向けたまま続ける。
「お前も三年やし、そろそろキャプテンらしく……」
 突然の抱擁に言葉が途切れた。背中からぎゅっと抱きしめられて、昭栄の声はひどく小さいのに、妙に強く耳に響く。
「行かんでください」
 離せとも嫌だとも言わず、カズは切なげに目を細めた。昭栄の指が促すままに、見上げる。唇が重なる。


 試すように何度か触れて、馴染んだ唇を甘く食んだ。カズの薄い唇は、吸い付くたびに赤く熟れて昭栄を惹きつける。貪るように奪った初めてのキス。あの日から幾度となく重ねても、それは変わらない。
 今まで一度も、嫌がられたことも、抵抗されたこともなかった。それなのに、甘美なはずのキスはいつもどこか虚しい。
 抵抗もされたことがないけれど、応えてもらったこともないからだ。優しく触れても、奪うように吸い付いても、カズはただ目を閉じてそこにいるだけ。
 一方通行のキス。あまりに虚しくて、唇を離した。触れたくてたまらないのに、触れるといつも後悔する。こんな顔は見られたくなくて、カズの髪に頬を埋めた。
「離れたくなかです。名古屋げな遠かとこ、行ってほしくなかです。ほんとは、どこにもっ……」
 耐え切れずに、昭栄はカズの肩に額を押し付ける。涙交じりの声が震えた。
「好きです、カズさん。好きです、大好きです。」
 何度も口にしたこの言葉を、今日も繰り返す。もう何年も言い続けているが、通じないこの気持ち。どんなにそばにいても、唇を合わせてさえも、一度も受け入れてはもらえなかった。

 振り払われるわけでもないから、思い切ることも諦めることもできなくて。

「最後やな……」
 カズのつぶやきに、昭栄が顔を上げる。
「え……?」
「ショーエイとこげん風に一緒におるんも、今日で最後やなって、言ったと。」
 同じ学校、同じ部活というカテゴリーの中で、二人はいつも一緒にいた。一緒にいることに、理由などいらなかった。カズが何も言わなくても、曖昧につながったまま続いていた日常。
 しかし、明日からはもう違う。
「最後、ですか……?」
 その言葉の真意が、嫌でも理解できた。待ち望んでいた告白への返事。その中で、昭栄が最も望まない答えだ。
 学生とプロ。九州と名古屋。離れてもなお一緒にいる、いたいと願う、その理由は作れないということ。
 頭の奥の方がスパークして、もう何も考えられなくなった。


「なら、今日はまだ、こげんしとってもよかよね?」

 今日で最後だ。これで最後にするから。抵抗をしない、カズの意地悪な甘さにつけこんで、昭栄は物のない部屋の床へ、カズを押し倒した。



「は、ぁ……」
 春にはまだ肌寒い空気の中で、一糸もまとわないカズの身体は少し汗ばむほど熱い。朱に透けた目元は、肌をなぞる舌の感触にときどき震えた。
 耳の裏も、こめかみから足の小指まで、熱く柔らかな舌で全てを暴く。征服していく快感。足の間の奥の奥、密やかな窄まりにまで辿り着くと、驚いたのかカズの身体が跳ねた。
「あっ……ん」
 ぺちゅ、と濡れた音をさせて、舌が出入りする。唾液がじわじわと中を湿らせる、むずがゆいようなおかしな感覚に思わず逃げるように揺れた腰を、昭栄はぐいっと引き寄せた。
 その少し乱暴な手つきと内股に触れた熱に震えるカズの身体を、ゆっくりと舐め上がる。ぷくっと色づいた乳首をとらえると同時に、後腔の入り口を指で辿り、指先をほんの少し押し込んで揺らした。
「や、あぅ……っ」
 ちゅうっと音を立てて乳首を吸うと、快感にカズが身をすくめる。腰を締め付けるカズの太ももをなでて力を抜かせると、昭栄はカズの中へ、中指を一気に突き入れた。
 異物感と衝撃に、カズの身体が一気に強張る。不快なのは安易に想像がつく。痛いのかもしれない。だからと言って止まる気など毛頭ない昭栄は、跳ねたカズの足を肩に担いで、彼の震える中心を咥え込んだ。
「うぁっ……!」
 強い快感の裏側で指を進ませる。作為的な行為でも、耳に届く喘ぎが気持ちを高ぶらせて夢中になった。
「あ……っぁ、あ……」
 陶酔しきった声。ねだるように髪の間を這う長い指。ぐっと押さえつけるその手を払うように身を起こして、ドロドロのそれを握った。促すように何度か擦り上げると、カズの体がぎゅっと硬直する。
「ゃ……んっうぅっ…………!!」
 噛み締めた奥歯の更に奥で、くぐもった声を上げて、カズは昭栄の手のひらに生暖かい精液を吐き出した。荒く呼吸するカズの足を抱えたまま、昭栄はぼんやりとその手の中のものを見つめる。
 イかせたのだ。自分の愛撫で、カズを。これはその証だ。
    ……ばってん、何でっちゃろ……?
 滑りを得た指は再びカズの中を拡げ、三本に増やしても動けるようになった。指を引き抜いて、今度はそこに自身の硬く勃ち上がったものを挿し入れる。
「っ…………!!!」
 カズの声にならない悲鳴にも、昭栄は動じなかった。きつく締め付ける内部を、奥へ、更に奥へ、無理矢理に押し開いていく。
    何で?
 奥深くまで制圧して、思う存分穿って、欲望を吐き出した。吐精する感覚に背中が震える。最後の一滴までカズの中に注ぎ込む。
    何で……?
 無理な挿入に傷んだのだろう。引き抜いたとき一緒に流れ出た昭栄の精液には、カズの血が混じっていた。青白い顔で横たわる、気を失ったカズを眺めて。
    全然、幸せじゃなか。全然、気持ちよくなか……。
 虚しい。
 そんなこと、仕掛ける前からわかっていたはずだった。犯したかったわけじゃない。蹂躙したくて、好きだと言ったわけじゃない。
    俺、ほんとのアホや。気付くん、遅すぎっちゃろ……。
 キスもセックスも、そこにカズの気持ちがないなら、何の意味もなかったのに。


 気を失ったままのカズをベッドに運んで、風邪を引かないようしっかりと布団をかけた。さよなら、と小さく呟いて、カズの部屋を後にする。
 もう一度、顔を見る勇気などなかった。そのまま一度も振り返ることなく、冷えた空の下を走る。
 こんなにぐちゃぐちゃな気持ちを消し去る術など思いつかなくて。



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