まさか再び会うことになろうとは。
カズは困惑して、昭栄は嬉しく、同じことを思った。


籠の鳥 弐


 翌週、昭栄は同じ団体と再びあの茶屋を訪れた。例の要人が帰国する前に、ぜひもう一度連れて行ってくれと要望があったのである。
 以前はうんざりしていた昭栄だが、あの店にはカズがいる。それを知っているから、素直に嬉しかった。また会いたいなんて、思ったりして。
    俺、どげんしたとや?
 うきうきと弾む胸と上がる体温に、昭栄はふぅと息をついた。

 以前と同じく、男の合図に陰間たちが入ってくる。今回は各人すぐに目当ての陰間を捕まえて、自分の隣に座らせた。
 そんな中でカズは、つんと目を伏せたまま、また部屋の隅に座り込む。相変わらずの無愛想で、やっぱり綺麗な人だ。歩く姿に惚れ惚れと見とれていた昭栄は、すぐに席を抜け出して、カズの隣に座った。
「こんばんは、カズさん。俺んこつ覚えとーとですか?」
 カズの目が昭栄を映して、思案でもしているかのような間が生まれる。もしかして忘れられたのかと昭栄が慌てると、カズの小さな唇が動いた。
「……しょうえい。」
「ハイ!!わぉ、嬉しか〜!!」
 無邪気に喜ぶ昭栄を見て、カズは困惑した表情で黙り込む。
 忘れるわけがないだろう。こんなわけのわからない客は、他に見たことがない。皆何とかして自分を手に入れよう、手なずけようと必死になる中で、口付けすら交わさなかったこの男は異色だった。
『そうやって気を許させて、手なずけようとしてるのかもしんないだろ?』
 翼の言葉が脳裏に浮かぶ。ありえない可能性ではない。けれど、よりによってこの男が、そんな小細工ができるとは思えなかった。
 カズの戸惑いに気づいているのかいないのか、昭栄はヘラヘラと笑いながら今週の出来事を喋っている。
 ただのアホ、というには、何だか違う気がした。あの夜の昭栄の言葉はひどく真剣で、思わず惹き込まれて従ってしまった。まぁ、買い主がそれでいいと言ったのだから、何も問題はないのだけれど。
「それでね、そんとき豚がどーっと逃げ出して!」
    ……いや、ただのアホかもしれん……。
 見上げた昭栄は、ものすごくくだらない話を必死になって喋っている。自分の勘は当たる方なのだが、いまいち自信が持てなくなる。
 だから、カズは決心をした。
    今日、もう一度試しちゃる。
 昭栄の本心を、はっきりさせるのだ。




 宴もお開きとなり、昭栄はカズの手を引いて部屋へ向かった。ふすまを閉めるなりつないだ手を振り払われて、驚いた昭栄が振り返る。
「カズさ……」

パサリ。

 そこには自ら帯を解き、一糸まとわぬ姿になったカズが立っていた。
「……!?」
 息が止まるほど驚いた昭栄に、月明かりに照らされて青白く浮かび上がる肢体が、ゆっくりと近づいてくる。
「ちょ、カズさん、なん……?」
 後退りする背が壁にぶつかり、それ以上動くこともできず、昭栄は自分を追い詰めるその人を見つめた。カズはそのまま止まることなく、昭栄の胸に頬を寄せる。
 こんなに甘えた、誘うような仕種をして見せたのは初めてのことだった。もしあの夜が打算で生まれたものならば、この自分にここまでされて、落ちない奴などいないはずだ。
 しかし、昭栄は一向に動かない。見上げると、何と首まで赤くして固まっている。
    ……なんねこいつは……。ちょぉイライラしてきた。
 発想を転換させれば、照れるということは多少なりとも自分を憎からず思っているということだ。ここまで来れば、反応があるまで煽ってやる!
「しょうえい……」
 目を潤ませて、鼻にかかった甘え声で呼びかけると、昭栄の心臓の音が跳ね上がった。更に誘うように、着物の合わせに手を這わせる。
 突然、その手首を昭栄が掴んだ。そのまま布団に押し倒される。
    ……なんだ。やっぱりそうか。
 頭の中に響いた声に、カズは目を伏せた。昭栄だけは違うかもしれないと、いや、そうであってほしいと思っていた自分に気づいて苦笑する。もう既に、心を許しかけていたらしい。昭栄を信用したくて、こんなに必死になっていたのか。
    もう、望む心は棄てたはずだったのに。
 目を閉じて、心を閉じる。そうすれば簡単に体の力が抜ける。望まぬ行為を、少しでも楽にするために覚えたコツだった。

好きなだけ犯せばいい。体は汚せても、心だけは渡さない。


「カズさん……こげんこつ、俺にさせたか?」

 頬に落ちた水滴の感触に、カズは目を開けた。覆いかぶさったままの昭栄を見上げた目が、大きく見開かれる。
 昭栄は、泣いていた。ぎゅっと眉根を寄せて、歯を食いしばって、それでもこらえきれなかった涙がぽつぽつと落ちてくる。

「なし、カズさんが嫌なこつばせんといけんと?カズさんがしたかならよかよ。ばってん違うでしょ?カズさん嫌でしょう?嫌なこつは嫌って、言ってよかなんですよ?」


 自分のために流される涙と、苦しげにつむがれる言葉が、カズの心を震わせた。その大きな瞳から、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
 ずっと押し殺してきた感情が、堰を切ったようにあふれ出した。

「や、いや、や!俺……っなし俺が、こげんっ……ずっと、したくなか、のに……!!」
 しゃくりあげて、震えながら泣くカズを、昭栄は優しく抱きしめた。
「いっぱい泣いてよかよ。俺はカズさんの嫌なこつは絶対せん。俺とおるときぐらいは、ほんとの気持ちでおって?」
 温かい腕の中で、心が満たされていく。もっと強く抱きしめてほしくて、カズはぎゅっと昭栄にしがみついた。


 涙が止まり、体の震えが収まるまで、昭栄はずっとカズを抱きしめて、頭をなでてくれていた。




 いつの間にか眠っていたようで、カズが気づくともう日は高く、当然昭栄もいなかった。
 裸のままの体に、昭栄の上着と布団がしっかりとかけられていて、それだけで心が温かくなる。昭栄の匂いのするそれを抱きしめて、カズはほっと息をついた。
 着物を着て、自室に帰る。看板商品に与えられた個室で、ここなら誰にも見られる心配はないと、袖に隠していた上着をこっそり羽織ってみた。昭栄の匂いに包まれて、目を閉じれば、まるで抱きしめられているように思える。
 しばらくそのまま、うっとりと目を閉じて座っていると、廊下から人の話し声が聞こえてきた。カズは慌てて上着を畳むと、箪笥の奥にしまいこむ。
 これは誰にも見せたくない、触れられたくない。自分と昭栄の、二人だけの秘密だ。

 こんな他愛もないことなのに。日が暮れて、いつものように客をとるため着替えを済ませたカズは、昭栄の上着を取り出してそっと頬を寄せた。目を閉じて、昭栄を思い浮かべる。それだけで幸せを感じる自分がおかしかった。
 昭栄は、カズが自ら投げ出した体はおろか、唇すら奪っていないのに。奥底にひた隠した心は、いとも簡単に奪われた。
 ならばこの心は、昭栄だけのものとして守り通そう。上着と一緒に心も箪笥にしまって、カズは部屋を後にした。



運命が動いた日。
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