夜道に浮かぶ、妖しい灯り。並ぶ店から漏れてくる、甘く怠惰な笑い声。


籠の鳥 壱


 陰間茶屋の並ぶ通りを、昭栄は先導する団体の最後尾について歩いていた。頭一つ抜け出た彼と、先頭で接待を受ける要人は、ひどく目立ち、人目を引く。
 盛り上がる人々についていけない昭栄は、落ち着かない空気に黙りこくっていた。本来なら積極的に場を盛り上げなければならないのだが、
「彼はまだ年若く、この空気に慣れていないのですよ。」
 その秘書の言葉のおかげで、その沈黙は好意的に受け止められた。「誰にでも初めてはある」との言葉に、曖昧に笑ってうなずいておく。
 正直この「初めて」は遠慮したかった。別に誰がどんな性嗜好を持とうが構わないけれど、昭栄は少年には興味がない。色街自体に出入りする趣味もないが、どうせなら女性を相手にしたかった。しかし、かの要人に意見するほどに高い立場にいるわけでもない。
 前を行く団体が、一際立派な造りの店にのみこまれていく。これは仕事だ。そう自分に言い聞かせ、昭栄もその後に続いた。



 一通り料理を楽しみながら、まずは儀礼的に挨拶や打ち合わせが行われる。それも終わりに近づいてくると、控えていた男が酒を運び始めた。
 それを機に緊張した場の空気は崩れ、要人が男に耳打ちをする。心得た合図にすらりとふすまが開き、次々と陰間が入ってきた。
 愛想よく微笑む陰間の中で、最後の三人は際立って美しく、歓声が上がる。その中の一人に、昭栄は目を奪われた。
 日本人らしい濡れたような黒髪が白く細い首にかかって、少しうつむき気味なのがひどく艶めかしい。伏せた目も黒く、それを縁取るまつげも黒い。黒と白のコントラストに、唇と着物の赤がひどく鮮やかだった。
 上座に座る要人も、その美しさに口笛を吹く。嘗め回すような要人の視線に、つりあがった双眸がちらりと向けられた。
「……。」
 しかしその人はつんと視線をそらして、昭栄のそばを通り抜け、部屋の隅に座ってしまった。その愛想の欠片も持ち合わせていない所作は、続く赤茶色の髪の陰間が要人のそばに侍ったために、咎められることはなかった。

 その人は決して誰のそばにも寄ろうとはしない。その目は伏せられたまま、揺れることもない。まとう空気は投げやりなのに、ひどく高潔に見えた。
「高山の若様、アレが気に入られましたかな?」
 突然耳に飛び込んできた言葉に驚く昭栄に、番頭らしき男は、ずっと目を奪われておられる、と笑う。
「アレは美しいですからなぁ。あのように、愛想はありませんがね。この店でも三指に入る人気ですよ。」
 はぁ、と昭栄がうなずくと、気をよくして男は続けた。
「売られてきた当初は、ひどく抵抗しましてねぇ。でもまぁ、最近はそんなこともなくなりました。あぁ、でも……。」
 男は心持ちひざを進め、口元を扇で隠し、声を潜めた。
「アレはね、夜伽の際に、決して啼かんのですよ。なんでも表情一つ変えんそうですよ。そこがいい、手なずけたいと思われる方も結構いらして、上客がついておりますがね。」
 下卑た笑いと言葉に、昭栄は不快になって目をそらす。あんなに美しく高潔な人を、汚すような物言いをするこの男が許せなかった。
 しかし男は気づいた風もなく、更に話を続けようとする。この話を終わらせるには、自分がここを離れるしかなさそうだった。
 ちょうどいい機会かもしれない。昭栄は決心し、仕事のために覚えた作り笑いを向けた。
「俺、あの人と話ばしてみたかなんですけど。よかですか?」
「あ、これはこれは……若君も隅に置けませんなぁ。」
 にやにやと笑いながら身を引いた男にはこれ以上構わず、昭栄は立ち上がり、その人のそばへ歩み寄った。目の前で立ち止まり、そっと声をかける。
「……こんばんは、初めまして。」
 昭栄の挨拶にも、その人は反応すらしなかった。しかし、めげずに続ける。
「隣、座ってもよかですか?」
 その言葉に、その人は初めて顔を上げた。大きな瞳で、目の前に立つ昭栄を見つめる。吸い込まれそうなほど、綺麗な瞳だ。
「……お前、九州出身なんか?外人っちゃろ?」
 懐かしい方言に、驚く。まさかこんなところで同郷の人に出会うとは思わなかった。
「俺は、ハーフです。小さか頃から、日本に住んどーよ。」
 もう一度、座ってもいいかと聞いた昭栄に、その人は好きにしろとつぶやいて、またうつむく。けれど、まとう空気がほんの少し和らいだ気がして、昭栄は嬉しくなった。
「俺の名前、高山昭栄って言うとです。名前教えて?」
「……カズ。」
「カズさん?どげん字書くと?」
「一番の、いち。」
「へぇ、よか名前たい!!カズさんにぴったりっちゃね!!」
 にこにこ笑う昭栄に、カズは何だこいつ、と言う顔である。
「しょうえい?お前は合ってなかな。」
「え、そうですか?自分ではぴったりだと思っとーですけど。」
 憎まれ口を真面目に返されて、カズは鼻白んだ。



「高山様、そろそろお部屋にご案内いたします。」
 気づくと要人はすでに陰間と部屋に消えていて、取り巻きもそれぞれに部屋へ向かっていく。この部屋には、すでに昭栄たちしか残っていなかった。
 やはり泊まることになるのかと、少し疲れた様子で立ち上がった昭栄を、男は不思議そうに見上げる。
「そこの陰間はお連れになりませんか?別のものを?」
 一瞬思考が停止した。しかし、言われてみれば当然のことである。誰も連れないわけにはいかないのなら、絶対カズがいいに決まっている。
「……カズさん、一緒に来てくれる?」
 カズは何も言わず、昭栄の差し出した手をとった。


 月明かりのみが照らす部屋に入ると、昭栄は立ち止まり首をひねった。
    布団が、一組しかない。
 動かない昭栄を見て、それまで手を引かれて歩いていたカズが、逆に昭栄を布団まで引いていく。
 されるがままに布団の上に座った昭栄に、おもむろにカズがしなだれかかった。
「カ……カズさん!?」
 投げ出された体から甘い香りが立ち上り、頭がくらくらと揺れる。目の前にあるカズの首の白さと、耳元に寄せられた息遣いの甘さに、理性が吹っ飛んでしまいそうで。
「カズさん、なんすっとですか!?」
 思わずその細い肩を掴んで引き離した。一方カズは、胡乱気に昭栄を見つめる。
「なにって、なん?お前俺ば買ったっちゃろ?さっさとせんや。」
「買う!?するって……アレ!?」
 ゆでたタコ並みに赤くなった昭栄の顔に、カズは他に何があるんだと眉をひそめた。陰間茶屋で、夜、陰間を侍らせてすることなど、一つしかないだろうに。
「あの、その俺、買うとか……したこつなかやけん!陰間茶屋は、入るんも初めてで!!」
 なるほど、とカズはうなずいた。確かに昭栄の持つ雰囲気は、この夜の街にはどこか場違いに感じていた。
「別にそげんこつ、どうでもよか。俺は今夜お前に買われたと。だけん、お前の好きに使えばよか。俺は何でも言うこつ聞く。」
 そういうカズの顔は感情が抜け落ちていて、昭栄にはひどく痛々しかった。きっとこうして、売られてからずっと、意に沿わぬ行為を受け入れてきたのだ。

この細い、小さな体で、こんなにも辛いことに耐えなければならなかったなんて。

悲しくて哀しくて、思わずその身を抱きしめた。
こんなに苦しんでいる姿に欲情する奴がいるなんて、信じられない。
「何も、せんでよかよ。」

 大人しく昭栄に身を委ねていたカズは、その言葉に目を丸くした。
「何もせんよ。せめて今夜くらいは、カズさんに幸せになってほしか。だけん、俺は何もせんよ。」
 何を言われたのかわからず、ぽかんとしているカズの頭をなでて、抱きしめたまま並んで布団に包まった。近頃大分寒くなってきたから、お互いの体温がとても心地いい。
 わけがわからず、じっと自分を見つめ続けているカズに、
「おやすみカズさん。」
 へらりと笑って、昭栄はすぐに眠りについた。


籠の小鳥とおぼっちゃまの、運命の出会い。
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