この街の片隅に、真っ赤な着物に身を包む、
捕らわれの美しい鳥がいることを、まだ自分は知らなかった。
籠の鳥 序章
九州の名家に生まれ、開国を機に政治進出をした父に連れられ、東京に住んでいる。この街は、合わない。何のためにここにいるのか、自分にはよくわからなかった。
名は高山昭栄。母親が英国人で、彼も母と同じ青い目をしていた。髪の色も薄く、金ではないにしろ、漆黒の日本人のものと比べれば、彼の血は目に明らかだ。身長も足の長さも、日本人のものではない。総じて彼は母親の特徴を濃く受け継いでいた。
別にこの血を憎んではいない。母は優しく、父は頑固で恐ろしい存在ではあるが、家族への愛を持たない人間ではない。金はうなるほどあり、名声は日々高まるばかり。誰もがうらやむほど、自分が幸せな人間であると思う。
それでも、どこか空しくて。昭栄は、日々が空虚に過ぎていくように感じていた。
「若様。実は、今夜なのですが……。」
振り返ると、父の秘書の一人であった。彼は昭栄と同じく、海外から来日する要人の接待という、かなり重要な仕事を父から任されていた。
「今夜が、どげんしました?」
確か今夜も、接待の予定が入っていた。急にキャンセルにでもなったのだろうか。
「いえ、それが……実はあちら様から、ご要望の書簡がありまして。読んではみたのですが、もしかしたら読み間違いかもと思い……。」
英語の達者な彼が読み間違えるなどということはなさそうではあったが、うなずいてその書簡を受け取る。母との会話に使う英語は、昭栄の得意分野である。
すらすらと文を追う目が、ある一点で止まった。もう一度、その部分を読み返す。ほんの少し寄せられた眉根に、秘書は間違いではなかったことを確信した。
「今夜は……陰間茶屋のどこか、手配せんといかんですね。」
戸惑いの強い昭栄の声に、心得て秘書がうなずく。
「はい、即刻茶屋街を調べさせ、手配してまいります。」
よろしく、とうなずき返して、昭栄は歩き出した。
陰間茶屋。それは、少年たちが春を売る店。
九州の農家に生まれ、貧しさから売られ、この店にやって来た。兄弟の中で特別整った顔立ちの自分は、きっといい値がついたのだと思う。必死で抵抗する自分に、家族の誰も、謝りはしても止めはしなかった。
名は一。それだけだ。何という苗字がついたのかは覚えていない。首都であるこの街では皆が苗字を名乗るらしいが、田舎の農村にはそんな法令は紙きれ以上の価値はない。
好きでこの状況に甘んじているわけじゃなかった。ただ、必死で抵抗しても、自分が痛いだけで何も変わらないと、そう気づいてしまっただけだ。初めて客をつけられた日から、カズは自分の心を殺すことを覚えた。
何も変わらないなら、自分が変わるしかないじゃないか。
それが諦めなのか進歩なのか、わからないけれど。心を殺せば、苦痛も快感も消える。喘ぐことも嫌がりもせず、ただ人形のように抱かれる。それがカズにできる唯一の抵抗であり、心を守る手段だった。
昼過ぎになって、突然番頭に呼び出された。ぐったりとだるい体をおして、指定の部屋に入ると、そこには先客がいた。
赤みのある髪と大きな瞳が印象的な、中性的な魅力を持つ翼。小柄な体と素直さで誰にでも好かれる、漆黒の髪の将。どちらも自分と同じようにここに売られ、自分よりも多くの客を相手にしてきた、この店の看板である。
番頭に言わせれば、自分もその看板の一人だそうだ。多分、自分には金を惜しまない上客が数名ついているからだと思う。声一つ上げない奴を抱いて何が楽しいのかは知らないが、そういうおかしな連中が金持ちには多いのかもしれない。
「今夜、政界のお偉い方の宴会が入った。お前たちはその中からお客様をとることになる。すぐ湯を用意させるから、身支度を整えておけ。」
高圧的にそれだけ言って、番頭はさっさといなくなってしまった。
「翼さん、カズさん……。」
一つ年下の将は、二人に不安そうに声をかけた。三人の中では一番経験が浅い彼は、まだ上流の集団を相手にしたことがないのである。
「大丈夫だよ、将。いつものままで。」
翼は逆に、カズよりも前にこの店にいた。家族の顔も覚えていないほど、本当に幼いうちに売られたのだそうだ。
「カズも、どうせいつも通りに無愛想だよ。僕は尻拭いで手一杯だから、将が普通どおりにしててくれれば、面倒も減るしね。」
「翼さん!」
翼の毒舌に将が慌てる。しかし自分が接客というものを何一つしないのは本当のことなので、カズは何も言い返せなかった。
それどころか、人数のいる宴会では必ず、一人で部屋の隅に座り込んでいる。それでも咎められないのは、「それが味だ」と思う酔狂な人間が意外といるからである。
そう、結局は客がつかなければ、この店ですら生きていけない。
「湯、浴びんといかんと。はよ行くぞ。」
だから今夜も、客をとらなければならないのだ。カズは浴場へと歩き出した。
二人が出会うまで、あと少し。
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