竜の雛 7


 今日も今日とて膳の上にあるふきのとうに、梵天丸はげんなりとため息をついた。
 雪深い奥州で、この時期手に入るこの植物がとても貴重でありがたく、しかも健康にもいい素晴らしいものだということは、小十郎のくどくどしい説法により理解しているつもりだ。
 つもりだが、苦手なものは苦手なのである。
 う〜う〜と唸っても、向かいの傅役はツンと澄まして取り合ってくれない。彼の膳は既に空になっていたが、席を立とうともしない辺り、梵天丸がそれを食べるまで食事は終わらないことを雄弁に物語っている。
 仕方ないので、ぎゅっと目を瞑って、ぐっと息を止めて、一息にそれを頬張り、味わう隙もなく飲み込んだ。思わずうぐっと声が出る。今日もやっぱり苦かった。
「ご立派です、梵天丸様。」
 にこりと爽やかに笑う傅役が恨めしい。涙目で睨みつける梵天丸に、涼しい顔でお茶を淹れてやりながら、ふと小十郎は庭先へ視線を向けた。
 雪はまだ深く、庭は眩しいくらいの白で覆われている。しかし、降り注ぐ日差しは明るさを増し、少しずつ梅も蕾をつけ始め。
 そう、ふきのとうが告げるのは春の訪れ。
「これが膳に上る時期なれば、おそらく」
「うん……そろそろだな。」
 この春は、二人にとって、例年とはまったく違ったものとなるだろう。


「うげぇーっ!またふきのとうだ、おれこれきらい!まずいもん!!」
 かくして、白い世界に目を細めたあの日の予感は、見事現のものとなり。
 大森から新しく近侍として呼び寄せられた、梵天丸の従兄弟筋にあたる少年・時宗丸は、朝餉の膳を目にした瞬間に大きく不満を訴えた。
「……時宗。仕方ないだろう、武家の男が我侭を言うな。」
「だってさ、梵天だっていやだろ?これ苦いし、へんな味だし、おいしくないよ」
 一つ年上の梵天丸がお兄ちゃん顔でたしなめるも、時宗丸は後ろ手をついてひっくり返ったまま、やだやだと足をばたつかせる。挙句の果てには、
「そんなに言うなら、おれのふきのとう梵天にあげる。かわりに卵もーらいっ!」
 ひょいひょいと膳の皿を入れ替えようとするものだから。

「うわぁああああんいだいよーーーこじゅうろうのばがぁあああああ!!!」
「うるせぇこの糞餓鬼が!!ちったぁ黙って食えねぇのか!!」
「だってまずいんだからしょうがないだろ!!ちくしょう、おれは伊達姓をたまわった一門の子だぞ!頭なんか殴って、いいとおもってんのか!!」
「何が伊達姓だ、主筋の御嫡男の前でだらしねぇ振る舞いしやがって!てめぇなんざただの悪餓鬼だ!!」
「わぁあ゛あぁああああんまた殴ったーーーー!!!こじゅうろうなんかきらいだぁああああ!!!」
「るせぇってんだろーが!!文句あるなら食うな、出てけ!!」
 ぺいっと部屋の外へ放り投げられて尚ぎゃんぎゃんと泣く声を遮るように、ぴしゃりと襖が閉まる。青筋を浮かべた小十郎が、奪われかけた卵の皿を梵天丸の膳に整えてくれて、
「うわぁああんお腹すいたよぉおおお!!」
「あらあら……時宗丸様、またですか?」
 泣き続ける時宗丸と折れない小十郎の間を取り成しにやってくる喜多の声。
 思わず梵天丸が閉口してしまう程のこの喧騒が、ここのところ毎朝の風景だったりする。


 梵天丸は戸惑っていた。
 一人で過ごしていたときは、静寂が世界の全てだった。小十郎が現れてから、驚くほど日常が変化して、目まぐるしいほどに時が流れたけれど、基本的に小十郎は大人で口数も少なく、それゆえに梵天丸の周囲はとても落ち着いていたように思う。
 それが、時宗丸が来て以来のこの騒ぎである。
 時宗丸の来訪は、梵天丸にとって、とても嬉しいものだった。時宗丸は素直で屈託がなく、病前一緒に遊んだときと変わりなく、まるで普通の子ども同士のように自然な口調で話してくれる。それがとてもくすぐったくて楽しい。
 しかし、この喧騒だけはいただけない。
 事は食事の好き嫌いだけではなく、
『こんな坊さんが読むような本、おもしろくねーよ!』
 と言っては殴られ、
『字のれんしゅうなんてたいくつ!それより馬にのりたい!』
 と言っては殴られ。
 あまりにうるさくて無視もできない時宗丸の言動にかなり苛々きている小十郎を見ていたら、梵天丸にはとてもじゃないがあんな振る舞いはできない。むしろなぜあんなにも学習しないのか不思議だ。
 今だってそう。
 剣術の稽古になると、時宗丸は決まって竹刀を手に小十郎に立ち向かっていく。時宗丸は梵天丸より一回り大きな体つきをしているが、だからといって小十郎に敵うはずもない。
「この鬼瓦!かくごしろ!!やぁああ!!」
「脇が甘い」
 勇んで飛び込んではスパンと思いきり吹き飛ばされて、立ち上がれなくなるまでそれの繰り返し。
「ちくしょう、今日も勝てなかった!」
 ぐずぐずと鼻を啜りながら手ぬぐいで汗と泥を拭う時宗丸に、梵天丸はため息をつく。
「勝てるわけない、小十郎は大人だぞ。体の大きさも全然違うし、梵天の傅役なんだから、子どもなんかに負けるわけないじゃないか」
 素振りの後、型を綺麗になぞっての打ち合いの練習までできるようになった梵天丸は、軽く汗をふき取りながら、無駄なことはやめろと呆れたように言ってみせる。
 けれど、その言葉に、時宗丸は擦りむいた鼻の頭を気にしながら首を振った。
「むだなんかじゃないよ。だっておれは武士になるんだから。強いやつといっぱいたたかうのに、子どもだからってあきらめてちゃ、強くなれないもん」
 そういえば、と時宗丸がきょとりと瞬く。
「どうして梵天はこじゅうろうをたおそうとしないの?いつも遊びみたいな打ち合いしてるだけで、梵天はまんぞくしてるのか?」
 時宗丸は素直だ。だが、その分、率直過ぎる言葉もあっさりと吐いてしまうわけで。

 わぁあっと突然に上がった子どもたちの声に、湯飲みや着替えを運んでいた小十郎と喜多は顔を見合わせた。弾かれるように駆けて行くと、
「いてぇ!何するんだよ!!」
「うるさい!!年下のくせに、生意気だぞ!!」
「何だとぉ!?」
 梵天丸と時宗丸が、互いに思いきり拳をぶつけながら、上になり下になり、泥まみれで喧嘩をしていた。
    何だ、ただの喧嘩か。あらまぁ可愛らしいこと。
 すわ曲者かと飛んできた小十郎と喜多は、気が抜けて一瞬ぼうっと様子を見守ってしまう。しかしその喧嘩のあまりの激しさに、はっと我に返り慌てて二人を引き離しにかかった。
「梵天丸様、落ち着かれませ!」
 喜多に後ろから抱えて止められた梵天丸は、一瞬手の勢いを止めたものの、
「やめろ、時宗丸。誰に手を上げてると思ってんだ」
「おれはわるくない!梵天がいきなりおれのこと殴ったんだ!」
 小十郎が時宗丸の首根っこを掴んで引き離したのを見て、再び首まで真っ赤にして暴れだした。
「小十郎に告げ口するな!!時宗がいけないんだ、梵天のこと馬鹿にした!!」
 梵天丸の熱が上がれば、負けじと時宗丸も怒鳴り返す。
「そんなことしてない!うそ言うな!!」
「嘘じゃない!!時宗なんか、うるさいし我侭だし生意気だし、大嫌いだ!!」
「だったらおれだって、梵天みたいなひょろっちぃ弱虫、だいきらいだぞ!!いっつもこじゅうろうにべったりのくせに!!」
「べ、べったりなんか、してない!時宗こそ、幼子みたいに小十郎に迷惑ばっかりかけてるじゃないか!!」
「なっ……」
 二人ともが真っ赤な顔で、肩で息をして。互いにぶつけ合った言葉に傷ついて。
 声を上げて泣き出したのは時宗丸だった。梵天丸は、時宗丸が小十郎の袴にしがみついて泣くのを見て、
「あ、梵天丸様…!」
 喜多の呼ぶ声を振り切り、自室へと走って行ってしまう。
 ぽろりと一粒、耐え切れなかった涙がこぼれたのに、気付けたのは小十郎だけだった。


 その日は一日、自室の奥で引き篭もり、涙が涸れるまで一人で泣いた。

 と、いう予定だったのだけれど。そこはそれ、かの傅役が許すはずもなく。
「梵天丸様、湯浴みをなさい。泥だらけでしょう」
 声を掛けた一瞬後には例によってすぱーんと襖が開けられ、抵抗も何のそのといった風に小脇に抱えられ、あれよあれよという間に稽古着を脱がされ。
「はい、湯をかけますから目を閉じてください」
「わ、いやだ傷にしみ……!!」
 問答無用でどばしゃーんと湯を掛けられたら、もう抗う気力も出なかった。

 ほこほこと温まる体。浴槽の中から、洗い場で膝をついて控えている小十郎をじっと見つめて、梵天丸はくすんと鼻を啜った。
「寒いですか?」
 ついとこちらに向けられた色の薄い瞳に、ふるふると首を振る。少し腫れぼったい気がする瞼が恥ずかしいけれど、小十郎は特に何も言わずまた横を向いてしまった。
「あ、あの、こじゅうろ」
 咄嗟に出た声に、また小十郎の瞳が向けられる。別に何を言おうと思っていたわけでもなかったので、梵天丸は真っ赤になって慌てた。
「あの、えっと……」
「………………」
 一緒に入ろうなんて、頷くはずもない。退屈じゃないかと聞いてしまったら、出て行ってしまうかもしれない。ちょっとお湯が傷にしみるなんて、言ったらもうこの二人だけの時間が終わってしまう。
 考えれば考えるほど、何も言えなくなって俯いた。
    だって、ただ、もっと梵天を見ててなんて。
 とても言えない。言えるはずがない。
「……俺は、子守は嫌いです。」
「えっ?」
 唐突な小十郎の言葉に、梵天丸は目を丸くして顔を上げる。
「餓鬼はうるさいし、馬鹿で嫌いだと思ってました。子守だけじゃなく、小姓なんかやってましたが、正直他人の世話とか雑用とか、面倒で向いてねぇなって思うばかりで」
 軽く目を伏せる、その視線が珍しく揺れている。口調もそうだ。いつもと違う小十郎の、ちょっと戸惑ったような声音。
「……だから、その。俺が梵天丸様のお世話をするのは、俺があなたの傅役だからで。女中みたいな仕事してやがるって馬鹿にされても平気なのは、相手があなただからで。」
 うまく言えないもどかしさに、がしがしと頭を掻く、そんな小十郎が。
「あー、だからつまり……別に心配しなくとも、梵天丸様以外の餓鬼なんか、面倒見てやる気もないですから。」
    だから、別に、泣かなくていいです。
 尻切れトンボに言われた言葉が、梵天丸の胸の内にじんわりと沁み込む、その間の沈黙に耐え切れず。
 さっと顔を背けて浴室から出て行ったその後姿。珍しく赤く染まっていた耳。
    小十郎は、梵天を見てくれてた。梵天だけを、見てくれてた!
 その全てがあんまりにも温かくて嬉しくて、また少し泣いてしまったなんて。
 知られたらまた心配されるだろうか。でもちょっと、それもいいかもしれない。泣きながら笑いがこぼれて、嬉しくてたまらないなんて、不思議な話だけれど。


 湯浴みを終えて自室に戻ると、泣き腫らして真っ赤になった目で、時宗丸が待っていた。
「梵天、ごめん!」
 泣き出す一歩手前の表情で頭を下げる時宗丸に、梵天丸は戸惑って首を傾げる。
「おれ、梵天がずっとひとりでがんばってたの、知ってたのに。いやなこと言ってごめんなさい。ほんとは、弱虫とか、そんなこと全然おもってないから!」
 梵天はすごいぞ、だって疱瘡の病に勝ってここにいるんだから。すごいし、強いぞ!
 時宗丸があんまりにも一生懸命に言ってくれるので、梵天丸は顔を赤くして傍らの傅役の袖を握った。
 控えていた喜多が、くすりと悪戯に笑って小十郎を見ている。梵天丸も小十郎を見上げたが、いつも通りの鉄面皮からは何も読み取れず。しょんぼりと小さくなる従兄弟に、一体何を話したものやら。
「……時宗、もういいよ。梵天も、ひどいこと言ったから。ごめんな」
 多分他の誰かだったら、謝られたって許せなかったろう。けれども、時宗丸だ。梵天丸にとっては、大事な従兄弟。
 すぐ泣くしうるさいし、負けず嫌いで喧しいけれど、素直で屈託のない、優しい仲間だ。
「これからは、おれ、梵天のいちばんの味方になるぞ!もう梵天をひとりにしない!それが梵天の『きんじ』のつとめだもんな!」
 涙を拭ってにぱっと笑う時宗丸に、梵天丸も笑った。

 が。
「たくさん迷惑かけてごめんなさい。すききらいやめるし、字のれんしゅうもするから、また剣のけいこつけてね、こじゅ兄!」
「!?」
「こっ…………こじゅ、兄!?」
 素直で屈託のない時宗丸の、素直で屈託のない親愛の表し方に、またもちょっと複雑な気持ちになる梵天丸だった。



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