最近とても気になっている。
自分の知らないあいつの顔は、一体どんなだろう。
竜の雛 6
「小十郎の幼い頃ですか?」
花器に花を活ける手を止めて、喜多はきょとんと目を丸くした。
数日前から昼餉の後の学問の時間、梵天丸は虎哉に出された課題に、小十郎は畑作りにと別々に過ごすようになった。いつもは写経や読書が早く済むと、喜多や小十郎の部下たちと休憩がてら畑の様子を眺めに行くのだが。
「梵天丸様、勉学は宜しいので?」
おそらくどうにも勉学が手につかず早々と諦めてやって来たのだろう。そわそわと言い訳をしながらも隣に座ったままでいる梵天丸に、喜多も笑顔を浮かべる。
仕方ありませんねぇと困った声も、甘やかしてくれる前の最後の砦だと知っているから、梵天丸は意気込んで身を乗り出した。
「喜多はあいつの姉なのだから、何でも知っているだろう?あいつは昔からあんな恐ろしい奴だったのか?」
「まぁまぁ、梵天丸様ったら……どうなさったのです、あんなに小十郎が生意気だと憤慨してらしたのに。」
少しは気に入ってくださいましたかとからかう喜多に、梵天丸の頬がさっと赤らんだ。
「ち、違うぞ!!ただちょっと、いつも偉そうにしてるから、昔はどうだったのかって気になっただけで。別にあいつのことなんて、知りたくもないけど。昔の話を聞いて、今度言い返してやろうと思ったのだ!」
何だか数日前にも同じようなことがあったような。くすくすと笑って、喜多は花を手にそっと目を伏せた。
小十郎は姉心に、それはもう可愛い幼子だった。
片倉の家に移って最初に生まれた弟は神職の跡継ぎとして継父の方針によって大切に育てられていたけれど、次男は少し勝手が違う。小十郎は早くから、養子なり何なり、片倉家から出されることが決まっていた。
弟が可愛くて、だからこそ喜多は悔しかった。悲願の男児も二人目ならこうもあっさり見限られるのかと。母がかつてふと、「お前が男の子であれば」と漏らしたこともきっと心のどこかでわだかまっていたのだろう。
神職の家にいらぬのなら、武家の子として育ててやろう。いずれはゆかしきところへ仕官できるくらいに、この私が誰より強く育てるのだ。
その一心であったばかりに、今思えば随分と無茶なこともした。まだ小さな小十郎に理想の武士像を押し付けて、かくあらんと叱咤ばかりで。
「……ですから、梵天丸様にお話できるような楽しいことなど、あの子の幼いうちにはしてやれませんでした。」
根が素直で真面目だったのだろう。小十郎は姉の期待に応えるため、いつも肩を張り背筋を伸ばし、町民の子に敬遠されるほど大人びた子どもとなった。
「そうこうするうちにあの子が養子に出され、私も梵天丸様へお仕えするためにこちらへ参りましたから。姉としては、あの子のことを何も知らないのです。再会してみたらあんな捻くれた物言いをするようになっていて、驚いたくらいですもの」
記憶の中の小十郎は、いつも緊張にぎゅっと口を噤んでいたけれど、褒めてやると恥ずかしそうに、けれど心から笑っていた。今の小十郎が浮かべる微笑みは、整ってはいるがうっすらと冷たく、かつての愛らしさの面影も宿さない。
武家の子よりも武士らしい、何ら恥じることない立派な成長ぶりが誇らしい。しかし一方で、冷えた瞳を悲しく思う気持ちも捨て切れない。なんとも勝手なことだけれど。
自重めいた笑みを一つ溢して、パンと手を叩くと喜多は花器を抱えて立ち上がった。
「さぁ、景気の悪い話は終わりにいたしましょうね。まったく、年を取ると愚痴が増えていけませんわ!」
そのまま床の間に花器を飾って、梵天丸の頭を撫でる。
「小十郎の部下たちは、随分前から小十郎を慕ってついてきた者だと聞いております。話を聞きに行ってみてはいかがです?きっとおもしろい話をしてくれますよ」
一旦自室に戻った梵天丸は、ぺたんと座り込むとぎゅっと膝を抱えた。
びっくりした。小十郎には喜多みたいな姉がいて、両親も兄も揃っていて、あれだけの出来た男ぶりからしても、きっとたくさん誉められて愛されて、それであんなに尊大な態度なのかと思っていたのだ。
甘ったれて泣いたり、我侭を言ったりした話を聞いたら、からかってやろうと思っていたのに。
びっくりして、そして想像してみたら、悲しくなった。右目もある、努力もして才覚もあって。それでも独りぼっちだなんて。
「…………」
小十郎の部下たちは、どこにいるだろうか。いつもは離れの警備を率先して引き受けてくれているけれど、今日は姿を見ていないから、別の場所の見回りに行っているのかもしれない。
明日まで待てば、外に出なくても話は聞けるだろう。けれど明日は今日できなかった分も課題に励まなければ、虎哉和尚や小十郎に叱られるかも。
右目を押さえる。足の裏がじりじりと熱い。どくどくと鳴る心音に、梵天丸は立ち上がって声を張った。
「……えぇい、外など怖くない!梵天は、強い男になるのだ!」
駆け出せば背中を風が押してくれる。その心地よさに勇気付けられ、梵天丸は光と雪の眩しい外へ、思いきり飛び出した。
は、いいものの。
梵天丸は俯いたままきょろきょろと視線だけ彷徨わせて歩く。完全に迷っていた。長じてからは引き篭もっていたし、病の以前は屋外と言えば母と過ごしていた東の棟の前庭くらいにしか出たことがなかったのだ。
とりあえず廊下沿いに庭を歩いていると、曲がり角の先から男たちの話し声が聞こえてきた。
期待に一瞬顔を上げたものの、その話し方は求め人の荒々しくも明るいものとは明らかに違う。梵天丸の知る男といえばあとは輝宗か小十郎だが、そのどちらでもないことも明白だ。
つまりは、梵天丸にとって信の置けない人間である可能性が限りなく高く。
どうしよう……!
欄干の下に潜り込んでしゃがみ、両手の袖で右目を隠した。しばらく様子を窺って、動かないようなら引き返そう。近付いてくるならば、歩き去るまで気付かれないようにしなければ。
息を詰めて声の距離を測っていると、どうやら男たちは三人で立ち話をしているらしい。それならば今のうちにと動きかけたところで、
「……が……あの、片倉という……」
知っている名前の登場に、梵天丸は思わず止まった。
「あぁ、確か殿の小姓の」
「滅法腕が立つとかで、今は若君の傅役をしているらしい。」
「若君って……まさか、離れの?」
訝しげな声音に失笑が続く。言葉はなくともそれだけで雄弁に、彼らの考えは読み取れた。
さっき、立ち去ってしまえばよかった。自分なんかに傅役がつくなんて、やっぱり皆おかしいと思っているのだ。こんな右目の醜い子どもに、噂話でさえ評判の小十郎が……
「まぁ、腕が立つと言ってもどうせごろつき上がりみたいなものだ。根暗な子どものお守りくらいが分相応だろう。」
それは、梵天丸にとって、大きな石でがつんと殴りつけられたような衝撃だった。
きんと遠のく聴覚が、悪意の声だけを拾い取る。
「たかが神官の子のくせに、殿に目をかけていただいているからと大きな顔をして」
「はは、目をかけて……少々薹が立ってはいるが、確かにあの容姿ならば」
「なるほどなぁ。とすれば、剣の腕とて如何程のものか」
嘲りの笑いが上がる。意味がよくわからない。わからないけれど。
「下衆な勘繰りで小十郎を語るな!!!」
思わず飛び出していた。右目を袖で覆うこともせず、拳を握って、その隻眼を怒りに燃やして。
「小十郎の剣筋がどれだけ鋭いか、知らぬくせに!小十郎がどれだけ勉学に勤しんでいるか、知らぬくせに!!小十郎が……どれだけ懸命に生きてきたか、知らぬくせに!!」
真っ白な頭にはただ一つ、
「それ以上小十郎を馬鹿にしたら、この梵天丸が許さない!!!」
叫んで駆け出した。滅茶苦茶に腕を振って。そうでなければ耐え切れなかった。
生まれて初めて感じた、大事なひとを貶される、身を燃やすような深い怒り。
どこをどう走ったものか、気付いたら離れの前。喜多と小十郎の顔を見たら、たまらなくなって。
「小十郎はごろつきなんかじゃない!梵天の、立派な傅役だ!!」
身体中で叫んで、小十郎の胸に飛び込んで泣いた。驚きと戸惑いに固まる小十郎の着物を、ぎゅうと掴んで放さないように。
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