*梵天丸8歳、小十郎18歳。双方生意気、捏造喜多・義姫注意。


竜の雛 1


「退がれ。」
 幼子の愛らしい声が最初に紡いだのは、この一言だった。


 新年を迎え、折もよいだろうと正式に傅役の任を命じられた小十郎は、梵天丸の居室のある離れの一室に端座していた。
「小十郎、聞いているのですか?」
「……はいはい、聞いてますよ。」
「何ですかその気の抜けた態度は!」
 しかし目の前に座るのは梵天丸ではなく、梵天丸の乳母であり小十郎の異父姉、喜多。梵天丸に仕えるための心構えだの何だのと、いつまで経っても終わらない小言に正直辟易していた。
 喜多は武家の娘として育ったため、幼い小十郎にも実に厳しく教育を敷いた。男子としての心構えや鍛錬はもちろん、箸の上げ下げから立ち居振る舞い、文字に管弦と、母親以上に熱心だった姉を今でもよく覚えている。
 そんな小十郎から言わせて貰えば、その梵天丸への入れ込み様は、喜多のくせに甘やかしすぎ。鬼姉にも涙。口に出せば血を見るだろうが、それほど過保護に感じるものだった。
 何しろこのとき、右目を人目に晒すのを厭う梵天丸の命で、この離れには人気が全くない挙句、喜多すらもほとんど梵天丸の部屋へ入れない状態になっていたのである。

「姉上を阻む梵天丸様のお部屋の障子とは、鋼鉄か何かで出来ているのですか?」
「お前は私を何だと思っているのです?」
 呆れた事態に思わず口を滑らせた。何しろ小十郎の知る喜多ならば、そんなものブチ破って乗り込み拳骨をかますぐらいはやってのけるはずなのだ。
「……梵天丸様は、お東の方様のことがあってから、女人には特に敏感になっていらっしゃるのです。私が障子を無理に開けるなど、御心にどれだけ負担をかけるか」
 疱瘡の痕は、罹患が幼い頃であればほとんど残らないと聞く。母・義姫自らの懸命の看病の甲斐あって、梵天丸の瘡痕もやがて綺麗になくなった。
 唯一、右目の膿を除いては。
「お東の方様を責めたくはありません。しかし、梵天丸様があのように塞ぎこまれているのは……」
 膿んで張り出したその目はもう何も映さないと知った日以来、義姫は梵天丸のもとへ姿を見せなくなった。床を払った梵天丸が挨拶に伺うと、顔を背けて奥の間へ篭ってしまったという。
 そうして今現在も、同じ城に寝起きしながら、親子の交流は断絶したまま。

 喜多の気持ちはわからないでもない。梵天丸が健やかで皆に愛されていた時代から仕えている喜多にとってすれば、義姫をたとえ詰っても、梵天丸に無理を強いることなどできはしないのだろう。
「ですから、いいですか小十郎。決して梵天丸様の御心を土足で踏みにじるような真似はなりませんよ。」
 うんざりなのは、これだ。別に喜多がどれだけ梵天丸を可愛く思おうが構わないが、始めてもいない内から教育方針や方法について文句をつけられては、たまったものではない。
「そうして姉上のように、障子越しに梵天丸様が出てくるのを何年も待ち続けるんですか?そんな無為な日々、俺はごめんです。」
「お前が無作法者だから、こうして重ねて言い聞かせているんでしょうに」
「お上品な姉上で手に負えないから、無作法者な俺が呼ばれたんでしょうに」
 言葉尻を真似て言い返せば、喜多は渋い顔でため息をついた。昔ならこの時点で手が出ていた姉を思えば、余程梵天丸が心配らしい。
「……わかっています。傅役を仰せつかったのはお前だもの、私が口を出していいことじゃないわ。だけど、心配なのよ。梵天丸様は、お部屋の戸を閉ざすことで何とかご自分を保っておられるの。」
 冷静に見えて実は直情的な行動に走りやすく、頭に血が上ると途端に乱暴な面が前に出て、その上非常に頑固者。小十郎の性質は、喜多もよく知っている。
「お願いだから、荒療治は梵天丸様の御心を理解してからにして頂戴。唐突に、それも無理矢理に環境を変えられる苦痛は、お前が一番よく知っているでしょう?」
 あんな可哀想な思いを、もう小さな子にさせたくはないのよ。そうつぶやいた喜多は、過去を悼むような、珍しく沈んだ表情をしていた。
 他家を養子として盥回しにされてから、特に小姓となって以来、小十郎は完全に実家と関りを持っていなかった。同じ城内にいるはずの姉とも、これが幾年ぶりかの邂逅である。しばらく会わない内に、彼女も少し変わったのかもしれない。
 梵天丸の乳母ではなく、小十郎の姉として。喜多にそこまで言われれば、小十郎も譲らないわけにはいかなかった。
「……わかりました。とりあえず三日、梵天丸様がどのように過ごされているのか様子を見ることに致します。それでよろしいか?」
 傅役としては、どんなに梵天丸が可哀想な境遇にあろうと、割り切るところは割り切らねばならない。梵天丸の意に沿わぬことも、必要ならば為さねばならない。そこに小十郎はためらいを持ってはいない。
 三日というのは、小十郎の考えうる限り最大の譲歩だった。ため息をついた喜多はうなずいて、小十郎はようやく新たな主のもとへ案内された。


 案内されて、一応礼儀作法もあるのだからとそこは喜多も譲らず通された梵天丸の自室。額づいてお決まりの口上を述べ終えた小十郎に梵天丸が返したのが、先の一言である。
 顔の右半分を過剰なほど厳重に布で隠した梵天丸は、もう用はないとあからさまに小十郎から目を背け、全身で出て行けと言外に匂わせている。
 食事も運動も満足でない身体はがりがりに痩せ細り、年齢の割に小さい。発育不全だ。その姿は、以前遠目に見たことのある、母君に似て美しい顔立ちの、ふくりとした愛らしさからは程遠いものだった。
    さて、どうするか。
 まるで巣穴で怯える小動物のように痛々しい姿は、あれほど喜多が気を遣うのも無理はない。しかし梵天丸の左目には、手負いの獣のような獰猛さが宿っている。少なくとも小十郎には、下手な手加減は無用の相手に思えた。
「……数日持つかどうかとは思っておりましたが、まさか数刻も持たぬとは」
 やれやれと言う小十郎からは、先程までの形式ばった態度は一切感じられず、梵天丸の目が思わずといった様子で小十郎を捉えた。特に構えも力みもなく、小十郎はいつもの冷静な表情でその視線を受け止める。
「先程のお言葉は、傅役の任を解くと、そういう意味にございましょうか」
「……察したのなら、早く出て行け。梵天の命令だ。」
「成程。命じられては逆らう訳にもいきますまい。」
 控えていた喜多が小さく叱責の声を上げたが、小十郎はそれには取り合わず、

「では、梵天丸様。如何なる不徳をもって小十郎を任から解かれたのか、お教え願えますか?」
 あっさりとそう切り返されて、梵天丸は一瞬固まった。

「畏れながら此度の傅役の任は、輝宗様より直に仰せつかったもの。梵天丸様から任を解かれましたこと、小十郎はご報告せねばなりません。小十郎の何がお気に召さなかったのか、ぜひお教えいただきたく」
 梵天丸の真意は、誰も傍に置きたくないというところにある。それを知っていて敢えて論点をずらしたのは、梵天丸が女中や近侍を悉くこうして追い返そうとするのを考え直させるためだった。
「命じるということは、責任の重いもの。まさか何の理由もなしに、そのような重大なご決断を為されたと?」
 このように面と向かって侮られたことなど初めてだろう、梵天丸はかっと目元を赤くして小十郎を睨みつけた。
「小姓風情が、梵天を愚弄するか!」
「まさか。小姓風情の小十郎では、梵天丸様のお考えを察するに適いませぬ故、お教えくださいとお願いしているだけにございますれば。」
 梵天丸が小さな拳を震わせて怒鳴っても、小十郎はしれっとした顔で嫌味を返す。あまりの言い様に喜多が目尻を吊り上げたが、梵天丸が一瞬早く口を開いた。
「理由があればいいのだな!お前は、お前はっ……」
 ぎらぎらと光る隻眼で小十郎を眺め回し、
「…………お、お前は目つきが悪い!!」
 怒りに任せ思い切り叫んだ。

 ……が、さすがに自分でもこれはないと思ったらしい。梵天丸は耳まで赤くして悔しげにうつむいた。
 初めて顔を合わせてから、時間にして茶も冷めぬ程。交わした言葉は儀礼的な名乗りのみ。そんな状態で満足に言い返せるはずもなく、挑発に乗った時点で梵天丸の負けだった。
「御自分の決定が、下々の者に、国に、引いては世界に如何なる影響を与え、それにより如何なる結果が予想されるのか。今後はよく熟考なされませ。」
 幼い勘気を笑うでもなく至極真面目に諌められ、より居た堪れなくなった梵天丸がぎゅっと唇を噛む。恥の上塗りを避けようと必死に耐える梵天丸に、小十郎は僅かに目元を緩めた。
「しかし梵天丸様、着眼点は素晴らしい。」
「……え?」
 思ってもみない時宜での褒め言葉に、思わず力が抜ける。戸惑いの色濃い梵天丸の瞳が上げられても、やはり小十郎は至って真面目な顔のまま。
「目とは時に口よりも真実を語るもの。目の前の相手が信に足るか否か、案外と目を見ればわかるものです。慧眼の誉れ高い輝宗様に、以前そう教わりました。」
    それに。
 何を思い浮かべたのか、小十郎の口元に荒んだ色の笑みが浮く。
「……俺も、目つきが気に入らない奴は端からブン殴りましたが、まぁ大抵そいつは碌なこたぁ考えちゃいませんでしたよ。梵天丸様の考えも、あながち間違っちゃいませんぜ」
 突然に乱れた、梵天丸にすれば初めて耳にするような荒れた言葉遣いと雰囲気に、無意識に身が竦んだ。半歩後退った梵天丸に、小十郎は過去の幻影を拭い去り、いつもの鉄面皮に戻る。
「小十郎とて、このように、碌なことはしてきておりません。梵天丸様は人を見抜く御力に優れていらっしゃる。今後はよりその才を高められると宜しいかと存じます。」


 何が何やら、感情も理解も追いつかず言葉を失っている内に、小十郎はそれでは明日からどうぞよろしくと頭を下げて辞去していった。
 しばらくあれこれと反芻して、結局小十郎が自分の言いたいことだけを言って梵天丸の命はあっさりと無視したことに気付き、梵天丸が癇癪を起こして部屋中を荒らしたのは、その夜のことだった。



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こうして生意気同士のバトルは始まった的な。
それにしても可愛くない小梵…!