*小十郎が傅役になるまで。捏造輝宗、生意気若こじゅに注意。


竜の雛 0


 世界というものは腐りきってやがる。
 片倉小十郎は常々、心底そう思っていた。

 小十郎はたかだか直に十八を数えようとする若造であるが、しかしもし世界が皆の言うように素晴らしいものなら、十七年も生きた人間に一度もそう思わせないというのはおかしいだろう。
 かつては、生きている限りきっと何かこの心を潤すものがあると信じていた。何かを変えたくて、ただひたすらに無茶を繰り返したこともある。伊達家に小姓として仕えることになっても、未だ胸の中は空っぽのまま。
 そんな寂しさや悲しさに鬱屈した幼い反抗心は今、諦観に深く心を冷やし凪ぎをもたらすまでになった。
 勉学に励むのは、どんな話を振られても恥を晒さない自分がいいと思うから。武芸に励むのは、誰を相手にしても膝をつかない強い自分を望むから。
 この腐った世界も、そこで安穏と生きる腐った連中も、消し去ることは難しい。自分がさっさと死んだ方が早いくらいだ。けれどそんな理由で死んだんじゃ、負けたみたいで許せない。
 どうせ生きるなら、自分くらいは愛したい。そうでなきゃ、この世は余りに空しすぎた。

 だから。
 伊達家現当主・輝宗に、ある日突然「お前を梵天丸の傅役につける」と言われ、小十郎はとても落胆した。
    俺が傅役?見る目がねぇにも程があるだろ。
 輝宗の人を見る目は鋭い。信の置ける家臣は皆そう言っていたし、今この瞬間までは、小十郎もそう思っていた。だからこの仕事もそこそこ気に入ってやっていたのに。
    一体どうすりゃそうなるんだ、全くもってがっかりだ。
「……失礼ながら、お受け致しかねまする。」
 頭を下げたまま答えると、輝宗は興味深そうな声で返してくる。
「何故だ?」
「小十郎は、他人の見本となるような立派な人間ではございません。ましてや御嫡男の傅役とあらば尚更。そこらの餓鬼を躾けるのとは訳が違いましょう」
 これから一国を担っていこうという武家の男子に、自分のためにしか生きていない人間がどう手本になると言うのか。
「そうは言うがな……知も武も、手も笛も馬も。お前以上に兼ね添えて優秀な者を俺は知らぬ。遠藤にも尋ねてみたが、やはりお前の名を挙げたぞ?小姓にしては過ぎるほど勉学も鍛錬も積ませた甲斐があったものよ」
 ついでにお前は顔も良い、素晴らしい完璧だと笑う輝宗に、小十郎は据わった目のまま顔を上げた。
 最近になって大分背は伸びたものの、小十郎の身体はまだ厚みに欠け、少年期特有の繊細さを残している。細く整えた眉や切れ長の目は涼しげで、結い上げた髪は黒より少し色素が薄く、それがまた容姿の甘やかさを引き立てていた。
 それでいて剣を持てば大の男を吹き飛ばすものだから、やっかみ混じりの揶揄を受けることもしばしば、中には小十郎をあからさまに色小姓扱いする者もいる。実際はそのような命を受けたことなど一度もないが。
 それに小十郎がどのような対応をしているか知っていて、輝宗は面白がっているのだから呆れてしまう。しかしそんな一筋縄ではいかない所が、彼らしくもあり。
「そこまで仰っていただけるとは恐縮ですが。輝宗様はご存知でしょう、小十郎は優しくありませぬ。主家の御嫡男を叩いたり泣かせたりするのは本望ではございません。」
「はっはっは!良い、むしろ今の梵天にはそのくらい強烈な奴が必要だ。大体お前は無意味に子どもを叩いたりはせんだろう。嫌味な小言は山程浴びせるかもしれんが」
「えぇ、それは叩く手も痛いですからね。しかし無意味に泣かれは致します。小十郎は愛想がありませんので」
「それしきで泣く軟弱な嫡男では困るから、お前で鍛えられれば丁度良い。まぁ、愛想のある小十郎というのもなかなか小姓らしくて良いものかもしれんが」
 ああ言えばこう言うやりとりは輝宗が好んで小十郎を目にかける理由の一つで、普段なら小十郎も調子を合わせて会話を楽しむ。けれど今は主旨が主旨だけに、引く様子のない輝宗に段々面倒になってきた。
 それならばと、もう一歩踏み込んだ理由を挙げることにする。不敬など今更だ。勘気をかったなら蟄居でも切腹でもやってやる。
「……畏れながら梵天丸様に於かれましては、御心を痛められる事情がおありです。そこに小十郎の無体が重なっては、余りにお可哀想で。傅役は常に傍らで補佐し支えるもの。もっと優しく、御心を癒してさしあげられる方にお任せしとうございます」

 結局言ってしまえばそういうことだった。
 数年前に疱瘡に倒れた梵天丸は、何とか一命は取り留めたものの右目の視力を失った。病毒で盛り上がったそこを隠すため何重にも布を巻き、今はそれでも足らず離れの奥深くに閉じこもってしまっている。母との関係もうまくいっていないらしい。
 小姓というより内政見習いのような仕事を多く請け負う小十郎は、梵天丸と傍近くで関わり合ったこともないし、病後は姿を見てもいない。ましてや嫡男と母君の確執など、言わずもがな、だ。
 その小十郎をしてそこまで内々の不名誉な事情が知れているのは、それほどに人の口端に上っているということで。
 梵天丸が閉じ篭ってしまったのは、それが大きな原因でないかと小十郎は思っていた。周囲の口さがない態度が幼心にどれほど傷をつけるか、味方のいない寂しさはよく知っているつもりだ。
    だが、だからと言って俺に傅役が務まるとは到底思えねぇ。
 小十郎は、生きにくい世界で生きる自分のことで精一杯。余裕のない自分が梵天丸の心に追い討ちをかけ、跡目を継ぐなどという状態でなくしてしまったらどうすればいい?
 そう強い意志をもって見返したはずが、輝宗の目にはもっと深く強い思いが宿っていた。その眼差しの力に気圧されて、思わず視線を逸らしてしまう。
「だから、お前なのだ。景綱よ。」
 名はその身を支配する。輝宗は先程までの砕けた表情を拭い去り、当主の威厳をもって小十郎を呼んだ。
「あれは今、実に危うい立場。しかし俺は、家督を継ぐは梵天丸との考えを変えるつもりはない。お前は賢い、それに人を冷静に見る。瘡痕に怯える者は論外だが、嫡男の傅役が情にかまけすぎる者でも困るのだ。」
 何よりも、と一呼吸置いて。
「今この伊達家中ではな、頭から梵天丸こそ跡継ぎと思っておるのは、ほんの一握り。」
 輝宗の意向をよく汲んでいる腹心以外では、むしろ次男の竺丸を推す一派の方が主流になりつつある。それは小十郎もよく知っているが、別に自身が梵天丸派というわけでもないため、困惑に眉を寄せた。
 小十郎はただ、独特の厭世観に元々武家の出ではないことも手伝って、武門のしきたりやらお家争いやらにとことん興味がないだけなのだ。
 輝宗は主と認めて仕えているけれど、その先は知らない。梵天丸だろうが竺丸だろうが、気に入らなければ同じだ。他国に出てもいい、野に下ってもいい。これで忠義の腹心と並べられては、彼らが余りにも気の毒である。
「だがまぁ、命じれば大躍進だからな。出世欲さえあれば、梵天を武士として育てようと必死になる者は多いだろう。だからお前を選んだ一番の理由は、そこではない。」
 戸惑う小十郎の目を見たまま、輝宗は疲れた顔で微笑んだ。
「驚けよ、景綱。その一握りの中でさえ、梵天の心を思う者など、お前くらいだ。」
 輝宗のその言葉に、小十郎は声を失う。
「良き跡継ぎとなるため外堀を埋めるなら誰でもできよう。だが梵天の、あの小さな愛い子の心は、それではきっと壊れてしまう。俺は惜しみなく梵天を愛しているが、立場もある。呼ぶことはできても、共に生きるには遠すぎる。」
 まだ年若く、そのくせ悲しい程冷めた目で生きている目の前の少年を、輝宗はまるでもう一人の息子のように見つめた。
「景綱よ。お前はきっと、誰よりも梵天に近くある。お前は胸の内で、どのような人を求めていたのかな」

 梵天丸が誰とも触れ合うことのない孤独な世界に佇む姿を、小十郎は簡単に思い浮かべることができた。それはそのまま紛れもなく、自分自身の姿であるから。
「……隣、に」
 特別に愛しんでくれとまでは言わない。叱られても喧嘩をしても、呆れられても。それでもただ、隣に居続けてくれたなら。世界なんてしょうもねぇな、と愚痴をこぼし合えたなら。
 ふとそう思ったことはあって、けれど望み続けるには難しいことがたくさんあった。忘れたふりで諦める方が余程容易な、それ以上はとても言葉に乗せることなどできないほどの途方もない贅沢な望み。
 それを輝宗はうなずいて。
「では、景綱。常に梵天の隣に、共にある、そんな存在になってやってくれないか。必要なときは容赦なく叱れ。飢えているときは包み込んで癒してやってくれ。お前が望んできたように」
 そんなこと、そんな簡単に言いやがって。たった自分一人のために生きている今でさえ、こんなにも手一杯だと言うのに。そう叫んでやりたいのに、喉が詰まって声が出ない。
「ただ小粒に優秀な形のいい嫡男はいらん。こんな乱世を生き抜くのだから、突飛で型破りで破天荒ぐらいが丁度良いな。梵天は俺にないものを持っている。そこを伸ばしてやってくれ」
    あぁ……なるほど、な。それで俺なのか。
 輝宗にその意はなかったが、主が目をかける臣下にしては型破りな経歴や性質を自覚する小十郎にとってはそれでようやく得心がいって、何とか心の波を静めることができた。
「……家老の、皆様が。今のお言葉を聞かれたら、悲鳴を上げられましょう。」
 ようやく出た声と、重役連の揃って青くなる様を思い浮かべて大いに笑った輝宗に安堵して、小十郎は姿勢を正した。
「叱れと、仰いました。小十郎は本当に容赦致しませんが」
「あぁ。臣下だからといって遠慮はするなよ、傅役はそうでなければ務まらん。」
「叩きますし、怒鳴りますよ。」
「うんうん」
「小十郎は梵天丸様とお話したことがございませんのでわかりかねますが、もしかすれば数日も持たぬかもしれません。」
「梵天が嫌がってか?」
「それもありましょうし、小十郎が我慢ならぬ場合も大いにあるかと」
 ぶはっと吹き出して笑い転げる輝宗に、小十郎は真面目な顔のまま。傅役となるからには、梵天丸を我が主と思い臨まねばならないのだ。
「小十郎は出来た人間ではありませぬ。輝宗様を主と思えばこそ、今日があるのです。もしものときは腹を切ってでも、小十郎は嘘をついては生きられませぬ。」
 目尻の涙を拭って、今度輝宗が浮かべたのは穏やかな苦笑。
「全く。不意打ちでそんな可愛いことを言われては、どうしたものか困ってしまうな」
「……なんと、まさか輝宗様がどこぞの好色爺のようなことを仰るとは。小十郎は悲しみで明日も見えぬ思いです。」
「何だ、誰ぞに言われたのか?そんなときは悲鳴を上げて助けを呼ぶのだぞ」
 茶化す輝宗に、小十郎はため息をついてぷいと横を向いた。珍しく子どものような仕種が可愛らしくて、まるで梵天丸にするように、砂糖菓子でご機嫌をとる。
「そうだな……もしものときは、腹を切る前にここへおいで。助言は惜しまないし、理由次第では考えよう。だが恐らくな、お前と梵天はうまくいく。」
 納得いかない顔の小十郎に、輝宗は悪戯の成功した子どものような笑顔で言った。
「梵天の乳母はお前の義姉だぞ。俺の血を引き、喜多の教育が人格の根幹を成したとあれば、お前と相性が良くないはずがないだろう?」
 それを聞いて途端に、小十郎はげっそりと肩を落とした。あの強烈な義姉が教育を施す輝宗の幼子。その全ての要素から、それはもう面倒な気配がひしひしと伝わってくる。
 けれど結局それ以上は何も言わず、深く深く頭を下げて。

「……梵天丸様の傅役が務め、片倉小十郎景綱、謹んでお受け致します。」
 もう既に心の中では、小十郎は独りぼっちの梵天丸の元へと歩き出していた。



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というわけで小梵です!(なんて安直なネーミングセンス)
小十郎は昔から正直で頑固でナチュラルに不敬だと思う。