「『カズさん……!』」
声に出した瞬間に、昭栄はがばっと起き上がった。
男の子の憂鬱
のんきな鳥の鳴き声。窓からはやわらかい日差し。気持ちのいい春の朝だ。いつもより一時間早い起床で、普段なら少し早めのランニングに出かけていただろう。
「あ゛ぁあ……」
しかし今朝の昭栄は、ベッドに半身を起こしたまま耳を覆い、うんうんと唸っている。眼鏡をかけるとそーっと掛け布団をめくって、丹念に眺め回してから、再びぽすっと枕に沈んだ。
「セーフ……」
大きく息をついて眼鏡を外すと、腕を交差させて目を覆った。
夢を見た。この自分を飛び起こすほど、それはもう強烈な夢だった。
ではそれは一体どんな夢か、というと……
『ぁ、やっ……はぁ』
耳の奥によみがえった声に、昭栄は顔を枕に押し付けた。そうでもしないと、朝っぱらからありえない音量で絶叫してしまっていたに違いない。
『んん……待て、あぁ……っ』
尚も鳴り響く声に、ぐっと息を止める。落ち着け落ち着け、と何度も自分に言い聞かせるが、努力も虚しく、今度は閉じた目の裏側に、先刻見ていた情景までがありありと浮かんできて。
濡れた瞳、しどけなく開いた足。絡みつく腕。赤い舌が零すのは、蜜よりも甘い誘惑。
『ショ、エ……』
『カズさん……!』
「うわぁあああ!!無理やっ落ち着け俺っ!!!」
自分の熱のこもった声を思い出して、憤死する直前で踏み止まった。あれは夢だ、夢だー!と今度は口に出して言い聞かせる。
ベッドの上を10往復ほどしたところで、酸素不足に頭がくらくらと揺れた。同時にようやく溢れかけた熱が収まり、昭栄は泣きそうな顔でため息をついた。
別に今まで、えっちな夢を見たことがないとは言わない。昭栄だって男の子だ。成長期に合わせて、しっかり「朝起きたらハプニング起きてました」現象の経験だってしているわけで。
中三の冬頃、友人に借りて初めてがっつりえっちなビデオを見たとき、「こんなことをカズさんとしたら」なんて思ったらひどく興奮して眠れなかった。そんな経験だってある。
ばってん、あげんリアルなん初めてったい……。
今まで見たことのある夢は、どれも……なんというか、「生身」っぽさを感じないものだった。ブラウン管の向こう、別世界で起きていること。ビデオと同じだ。だから起きた瞬間に「あともうちょっとだったのに」とか「惜しいなぁ」なんて思ったりしたものだ。
しかし今日の夢といえば。薄暗い中になぜか自分とカズだけが浮かび上がるように見えていて、喘ぐ声も息遣いも、触れ合う肌の熱さまで、自分たちが何をしているのか、火を見るよりも明らかなリアルさで。
まるでほんとにカズさんとやっとーみたかやった……。
浮かんだ言葉と共に再び思い出しかけたものを必死で追いやって、昭栄は乱暴に着替えると外へ飛び出した。
高校に入って、毎日一緒に過ごせるようになって。文句を言いつつ結局毎日一緒に過ごしてくれる昼休みとか、厳しいけれど楽しい部活とか、昭栄の自転車に二人乗りして帰る放課後とか。
一日の中でカズと共にいる時間が急激に増えたから、最初は毎日が過ぎていくだけでどうしてこんなに幸せなんだろうなどと思っていた。
ばってん、段々……欲張りになりよーな。
一緒にいられる日々が当たり前になったら、ただ一緒にいるだけでは我慢できなくなった。手を触れることを許されたら、その唇に触れたくなったのと同じで。
隣にいると抱きしめたくてたまらなくなる。抱きしめたら、キスしたくなる。キスを許されたら、次は……。
がむしゃらに動かしていた足をゆっくりと止め、朝日にきらめく川の水面を眺める。清浄な空気の中で、自分がひどく汚れた存在に感じた。
キスの先、もっと深く繋がり合えることを、自分は知っている。
「そげんこつ、思ってもできんけどね。」
こぼれた声は何とも情けない響きで、昭栄はふぅと息をついた。
「そげんこつって何?」
突然後ろから聞こえた声に、昭栄の心臓は確実に一瞬止まった。ギギギ、とでも鳴りそうなほどぎこちなく振り返ると、やはりというかまさかというか。
「か、カズさん……お、はよう、ゴザイマス!」
「おはよ。何や、変やぞ?」
「いや……、そげんこつ、なかですよ?」
むしろここで「ぎゃああっ」と叫んで逃げ出さなかった自分を褒めたいぐらいです。
昭栄の心の声には気付かなかったようで、カズは不思議そうに昭栄を見上げた。
「お前、こげんとこまでランニングしとーと?」
そう言われてみると、普段は絶対通らない所に自分は立っている。ここがどこだかわかるのは、カズを送って帰るときにいつも通る道だから。
「……ちょぉ考え事しとったら、無意識にカズさん家目指して走っとったみたい、です。」
アーモンド型の目が丸くなり、照れたように細められ、ふいっとそらされる。
「考え事って、何ぞ悩みでもあると?」
先輩らしい言葉に、昭栄は困ったように眉を下げた。
悩みねぇ……いくらなんでも、これは言えんよなぁ。
「夢に見るほどカズさんとえっちがしたいんです」なんて、さすがの自分でも恥ずかしくて、とても口になど出せない。余程追い詰められているなら別かもしれないが。
カズの頭の中はサッカーでいっぱいで、もちろん少しは自分のことも考えてくれていると思うけど、そうだとしてもきっと同じものを求めてはいない。キスして、抱きしめ合うことは心地よくても。
べろちゅーだって「エロかやけん嫌!」とか言われるくらいやけんね……。
何てピュアなんだマイハニー。愛し過ぎる!!
「ショーエイ?」
「ふぁっ……あぁ、はい!!いや、悩みってほどのもんじゃなかですけん、気にせんでください。」
もどかしさと愛しさで何ともいえず緩んだ昭栄の顔に首をかしげていたカズは、はぐらかすような言葉にむぅっと眉根を寄せた。
俺には相談できないのか!という不服そうな顔。いつだって先輩ぶりたいカズ。昭栄がたまらなく可愛いと思ってしまうところだ。
「……言えんこつはなかですよ?ばってん、カズさん聞きたかですか?」
「……いらん。今の顔、ろくなこつ考えとらん!」
鈍いんだか鋭いんだか、カズはぷいっと背を向ける。そのままランニングに戻るつもりなのだろう。朝練もあるのだから、そうゆっくりはしていられない。
カズのまっすぐで綺麗なところが好きだ。だから時々、カズを見ていると少し寂しくなる。
大事にしたい。一方で触れたくて抱きたくて、カズの全てを自分のものにしたくて。
ごめんね。心の中では、俺こげんこつ考えとーですよ。
他愛ない話で一緒に笑いながら、心ではいつも欲情と戦っている。嫌われたくないし怯えさせたくないから、平穏な日々を過ごしているけれど。
いつかカズもここまで来てくれるのだろうか。それまで自分は大人しく待っていられるだろうか。それとも待つ必要がないくらい、カズを追いかけて追い抜いて包み込む、そんな人間になるべきか。
今にも走り出しそうな背中に、思わず声が出た。
「カズさん!」
振り返るその目はまっすぐに昭栄を見つめて、続く言葉を待ってくれる。
いつも追いかけて、いつも待っていて、それでも辛くは感じない。本当の望みはただ単純に、この瞳に映っていたい、それだけだから。
欲を言えばキリがない。だって自分は欲張りだから。
「……今日、部活終わったら。一緒にラーメン食いに行きましょう!」
今はまだこれでいい。もどかしさも切なさも愛しさも全てが、カズを想う心の証。
昭栄は意外と人知れず悩んでいるかもしれないな、と。男の子だからね!!
でもまぁ、人知れずとか言っても、知らないのはカズさんくらいだったりするかもしれませんが(笑)