後輩の後を追う背中を見送って、ふと昔を思い出した。
涙の理由
城光は、昭栄がひどく傷ついた目で歩き去ったことに気づいていた。普段明るい昭栄のその表情は、その傷の深さを物語るかのようで。
傷ついただろう。自分の思わぬミスで、一番なついているカズに迷惑をかけたのだから。
キャプテンとしての心は、追いかけて声をかけてやらなければと言っていた。いや、キャプテンでなくとも、そうしたかった。有望で素直な、可愛い後輩の今後がかかっているかもしれない。
けれど、できなかった。腕の中で泣いているカズを、振り払うことなどできなかった。
カズには今、自分だけだ。再びその足で立つために、支えてやれるのは自分だけだ。今ここで離れたら、カズの心がつぶれてしまう。
自分にとって昭栄は大事な後輩だが、カズは特別な存在だった。どちらを選ぶかと言われれば、カズをとるしかないと思うほどに。
昭栄の背中が見えなくなって、城光はぎゅっと奥歯をかみしめた。
キャプテンなんて、名ばかりだ。自分はこんなにも頼りない、ただの子供だ。
悔しかった。カズの涙も、昭栄の心も、自分では救えない。昭栄には手を貸すことすらできなかった自分が、ひどく不甲斐なかった。
二人分のバックを肩にかけて、カズと並んで歩く。真っ赤になったカズの目を、優しいカズの母がどう思うかが心配だ。きっといつも通り何も気づかないふりをしてくれるだろうけれど、心配させたくはない。何と説明したものかと悩んでいると、
「ショーエイが……」
立ち止まったカズのつぶやきに、城光もその視線を追う。その先には、ふらふらと頼りない足取りで歩く昭栄の背中が見えた。
その背中がふっと物陰に消えていって、見えなくなる。すると、カズが突然走り出した。同じく踏み出そうとしていた足を止めて、城光はその背中を見送った。
無意識なのだろう、けれど迷いのないカズの足取りに、城光は昔を思い出す。
以前も、大人の理不尽な言葉に傷ついたことがあった。あれは、確かまだ自分たちが小学生の頃。
4年になって自ら志願してキーパーに変わったカズは、5年ですでにチーム内で一番の実力をつけていた。日々たゆまぬ努力を続けていたのはよく知っていたし、もともと向いていたのだろう。
次の試合のメンバー選考のための紅白戦でも、カズの活躍は素晴らしかった。誰もが先発キーパーはカズだと思うほどに。けれど、カズは選ばれなかった。
理由は簡単だった。背が低いから。そして、5年だから。背の高い6年よりもはるかに実力があるにもかかわらず、そんな理由ではじかれた。
あんときも、ちかっぱ泣いとったな。
カズは誰にも一言も文句を言わず、部屋に帰って初めて泣いた。自分も悔しくて、あのときは一緒に泣いたのだ。
理不尽なことは、中学でもたくさんあった。1年の間はまともにボールを触らせてももらえなかったし、2年でも先輩がいる間は決して自由にはならなかった。自分は外見のせいかあまりなかったけれど、カズはかなり屈辱的な思いをさせられることも多くて。
悔しさがこみ上げるたびに、カズは部屋でこっそり、声を殺して泣く癖がついた。そのとき自分はいつもそばで、ただ黙って受け止める。カズが泣いても楽にはなれないことは知っていたけれど、自分にはそれ以上何もできないことも知っていた。
ただ隣で、どんなに時間がかかろうとも、カズが自ら立ち上がるのを待つ。自分にできるのは、それだけ。
カズの背も、昭栄を追って物陰に消えていく。それを見て、城光は物思いに沈んだ思考を現在まで引き戻した。
タカなら、俺とは違うこつができるかもしれん。
その思いは、根拠のないものだったけれど。しばらくして戻ってきた二人は、真っ赤な眼をして、それでも笑っていたから。城光も笑って、昭栄の頭をなでた。
帰ろうと歩き出した三人の背に、思わぬ声がかけられた。
「おー、お前らまだ帰ってなかったと?はよせんや〜。」
のんびりとした声に、三人が振り返る。一様に硬いその表情を見て、尾崎監督はスクーターを止めた。
こりゃ嫌われたな〜。
のんきにそう思いながら、しかし顔はとぼけたままである。
「……っ監督、なしあげんこつ言ったとですか?」
昭栄の言葉に、監督は一つうなずいた。
「今日はな、お前ら二人に、自分を省みるっちゅーこつばしてほしかやったとよ。」
きょとんとする三人に、監督はまた、うんうんとうなずいた。
もちろん何の理由もなく、あんなことをしたわけではない。カズも昭栄も、九州選抜の大事なメンバーだ。個人的にも期待している、可愛い教え子だ。
しかし期待するからこそ、やらなければならないことがあった。
「お前らがこっから成長するために、知っとかんといけんこつがあると。」
「そんために今日があった、ちこつですか?」
何となく察しのついた城光は、少し肩の力を抜く。しかし肝心の二人は、何のことだかさっぱりわからないという顔である。
「まず、高山。」
「う、す」
びしっと指を指されて、昭栄が身構えた。
「技術なんぞ、後からいくらでもついてくる。お前にはデカか武器もあるし、そげんこつはどうでもよか。ばってん、問題はメンタルたい。」
腕を組んだ監督は、ぼんやりした表情のまま、しかし目に強い力を込めて続ける。
「お前は、功刀に甘えすぎやぞ。」
ずっと気にして、目を背けていたことを指摘され、昭栄は顔を赤くしてうつむいた。
「尊敬するんも、仲良しなんもよか。ちかっぱ大事なこつたい。ばってん、甘えはいかん。自分の管理は自分でせろ。試合中も、練習中も、自分で考えて動け。いつまでも功刀がお前から目ば離せんようじゃ、選抜落ちた奴にどげん言うと?」
昭栄が更に高みを目指すには、独り立ちすることが絶対に必要だ。いつまでもカズに頼っていては、昭栄の才能がつぶれてしまう。
痛いところを突かれて、何も言えずに恥じている昭栄から、監督の視線が移る。ぴたりと合ったカズの目に、気迫負けしないため力がこもったのが見て取れた。さすがのプライドの高さである。
「功刀、お前の欠点はそこたい。」
カズの視線が、揺れた。
「自信家なんは構わん。実力も伴っとーし、強気なんはちかっぱ頼もしか、よかこつたい。ばってん、なし周りば見らんと?お前一人でサッカーはできんぞ。一緒にサッカーする仲間にもそげん目するんか?」
それは監督が昨年来ずっと思ってきたことだった。カズは誰にも弱みを見せず、いつも前を向いている。それは頼もしい反面、打ち解けにくい理由でもあった。
城光も、監督と同じ悩みを持ってはいた。しかし、これまでカズが経験してきたことをよく知る城光には、それはとても言えない言葉だった。
度重なる悔しさに、いつも誰よりも強く、その実力を見せつけることで対抗してきたカズに、もっと周りを頼れ、とは言えない。けれど、それはカズが知るべきことでもあった。
この監督、全部見抜いて言っとーんか……。
とぼけた顔をしているくせに、なんて鋭いんだろう。城光は感心して、監督を眺めた。
「すぐにどげんかせろ、とは言わん。難しか問題やけんな。ばってんよぉ考えろ。それがお前らの将来につながるとよ。」
黙りこんだ二人にそう言って、監督は一度止めたスクーターのエンジンを付け直す。ぺこんと頭を下げた三人に、ひらひらと手を振りながら監督は帰っていった。
それぞれに監督の言葉をかみしめながら、並んで歩く。考えて考えて、一生かかる問題なのかもしれないとため息をついた。
自分の欠点をまっすぐに見つめるのは、苦しい。それでもいつか大きく成長できるなら、この苦しみだって乗り越えてやると思える。
とりあえず今わかるのは、監督も意外と色々考えてるんだな、そんなことだった。
温かい親心。そんな指導者をもてたら、ひどく幸せだと思います。
九州選抜は皆優しくてあったかいのがいいです。