まとわりつく湿気を帯びた暑さに、昭栄は辟易して窓の向こうを眺めた。
揺れもしないカーテンが恨めしい。


御御足にKISS。


 ただでさえ気難しい年上の恋人は、この時期最も手強い。
 オフの日にいそいそとカズの部屋へ通って、抱きしめて抱き上げて、ベッドへ向かう。そして愛し合うまでが一連の流れのはずなのに、まずここで機嫌が悪くなる。
    布団の上は暑苦しいから。
 そっぽを向きかける彼を笑顔で引き止めて、手を引いてリビングのソファに移る。そこで愛し合うのも珍しいことではないのだが、ここでもいやいやと抵抗される。
    革張りのソファは体温が移ると気持ち悪いから。
 普段から照れ屋で素直に甘えられないカズは、昭栄が示す直接的な愛情に渋面を返したり、嫌がるそぶりを見せたり、そんなことはよくあることだ。けれどそれは、どれも照れ隠しで、形ばかりのもの。
 ただ、この時期を除いては。

 梅雨。大して日差しは強くないくせに妙に暑くて、それもじっとりべっとり汗をかくような、雨の日ですら涼しくならない、むしろ余計にじとじとする、この季節がカズは嫌いなのだ。
 カズの梅雨嫌いは年を追うごとに酷くなっているように思う。ならばクーラーをつけてしまえばと言うのだが、妙なところで意地っ張りなカズは、こんな時期から冷房なんて軟弱者!と主張してやまない。
 確かに体が資本のスポーツ選手としてはもっともだと思う一方、そのせいで機嫌や寝つきや体調が悪くなるのでは本末転倒ではないかと感じることもしばしばで。
「暑か……」
 おあずけが続いてはたまらないと昭栄が厳選して買ってきた、つるりとした竹の感触が肌に涼しく気持ちいい敷物に横になったカズが唸る。
「ほんとに、なしこげんジメジメすっとやろ」
 その隣、片膝を立てて座る昭栄がぼやくと、カズがまた暑い、とつぶやいた。
「やっぱ地球温暖化って、ヤバかこつになっとーとですかね?去年とか、こん時期こげん暑かった気ぃせんもん。」
 毎年似たようなことを言っている気もするが、喉元過ぎれば何とやらなのか、本当に地球環境が原因なのか。どちらにせよ、この季節は自他共に認める夏男・昭栄にとっても過ごしにくい。
 が、過ごしにくいのは気候のせいばかりではなく。
「……あ〜〜〜もうっ、暑かって言っとろ−が!!」
 タオルケット代わりに掛けられた昭栄のシャツの裾から、カズのむき出しの足が伸びてきた。太ももまで晒された大胆な光景に目を奪われると、鬱陶しいとばかりに背を押される。足の裏で。
    あーあ、ほら、これやけんなぁ……。
 カズのなら足の裏だって好きだ。サラサラした平たい部分と柔らかい指の感触がくすぐったい。カズと触れ合えるなら、蹴られたって嬉しい。全然余裕。
 しかしその足に込められた力と感情は、心の底から昭栄という熱を発する物体を我が身から遠ざけようとしている。その証拠に、動かない昭栄にだんだんとイラつきが募ったのだろう、ぐいぐいがゲシゲシに変わっていた。
 さっきから繰り返される「暑い」が「あっち行け」の意味だと、気付いていて気付かないフリをしていたのだが、そろそろ限界である。
「はいはい、わかりました。あっちに行っとりますけん、怒らんでね?」
 じめじめベタベタ暑いから、くっつくことまで嫌がられるのだ。手を伸ばせば触れられる距離を追い出されて、ジーンズだけ身につけた昭栄は唇を尖らせてソファへ移る。
    暑かなんも、雨も、嫌いじゃなかとばってん……。
 開いた距離が寂しい。腰周りだけシャツで隠して、素肌のままカズは一人の空間を楽しんでいる。湿気さえなければあの可愛い姿をこの腕に閉じ込められるのに……なんて、実体のない水分相手に拗ねている自分は相当子どもだ。
    まぁ、今日はまだ、一回できたけんよかと思わんとね。
 悲しいかな未だ物で釣るしか能のない昭栄は、涼を感じさせるプレゼントに機嫌を急上昇させたカズに、ようやく久々のお許しを頂いたのだ。竹の敷物の上でのセックスは何とも新鮮で、よかった。
    あん、滑るvなーんて言っちゃって、カズさんてば……
「いでっ」
「キモかこつ言っとんなボケ!」
 勢いよく後頭部へ投げつけられたティッシュの箱をテーブルに戻しつつ、昔からどうにも締まりのない口を閉じる。
 最中のカズを反芻することは、昭栄にとっては涎モノなのだけれど、当人には怒りたくなるほど恥ずかしいらしい。やめろと言われても無理だが怒らせるのも嫌なので、なるべくバレないように思い浮かべることにしているのだが、これがなかなか大変だ。
 しかしこれ以上続けて、再び反応してしまうのも困る。もう一回が望み薄である以上、つらいのは自分なのだ。気を紛らわそうとテーブルの上に放ってあった雑誌に手を伸ばす。
「ショーエイ」
「はぁい?」
 雑誌を片手に振り向くと、カズは寝転がったまま、手のひらだけ背中越しにぐっぱ、と繰り返す。
「そん雑誌こっち持って来んや。」
 今俺も読もうとしてたのに〜、なんて言っても仕方がない。カズはわかってやっている。
 大人しく雑誌を渡して、ついでに一緒に見ようと隣に寝そべろうとすると、またも足の裏が無言の圧力をかけてきた。後ろ向きに何度も脛を蹴りつけてくる。これが結構、地味に痛い。
「もーカズさんひどか。暑かなんは俺んせいじゃなかとですよぅ」
 ぐすんと鼻を鳴らしても、カズはしれっとそっぽを向いて雑誌をめくっている。まぁ、いつものことなので気にしない。
 ソファに戻ってもすることがないので、キッチンに向かった。グラスを出して、冷えたペットボトルからお茶を注ぐ。
「ショーエイ」
「んぅ、っはい?」
 一口飲んだ瞬間に声が掛かって、慌てて飲み下した。ここからカズの姿は見えないが、雑誌を眺めながらだろう、気のない様子の声が続く。
「茶ぁ飲みたかー。」
「……はーい。」
 とりあえず一杯はいただいて、同じグラスにもう一度お茶を入れる。リビングへ戻ってみると、やはりカズは寝転んだまま「世界のGK特集」というページを丹念に眺めていた。
「カズさん、口開けて〜」
 口移しで飲ませてやろうとそばに寄ると、じとっと据わった瞳が睨み上げてくる。グラスだけ置いて行けよバカヤロウ、と言葉より雄弁なその視線に、尻尾を丸めて降参。
 再びソファに座って、ちょっぴりため息。
 せっかく久々に会えて、そりゃもう大好きな人がそばにいて。せめて隣にいることくらい許してくれてもいいのに、この暑さのせいでそれも叶わない。
    あ〜ぁ、もっとイチャイチャしたかー……。
「ショーエイ」
「はーい、何ですかー?」
 心なしか投げ遣りな昭栄の返事に、カズがむっと眉根を寄せて振り向いた。
「おぁっ、じゃなくて!……えーっと、カズさん?どげんしたと?」
 慌てて取り繕って、何でも言ってと笑顔を向けたら、プイと顔を背けられた。本当にせっかくの二人一緒の日に、ケンカなんてしたくない。あわあわとそばに寄って行くと、
「座れ。」
「ぇあ!?す、座るっ?」
「ん。そこ。」
 カズが踵でトントンと示した場所に、言われた通りに座り込んだ。すぐそこにカズのしなやかなふくらはぎがある。触りたい。
    いやいや、我慢やぞ高山!これ以上カズさん怒らせたら……!
 問答無用で叩き出される可能性も、無きにしもあらずだ。
 立てた片膝に肘をついて、ソファの背に寄りかかる。雑誌を繰るカズの顔は見えない。抱きしめるにはちょっと遠い。でもさっきまでより断然近い。それが嬉しい。
 ここでしばらく大人しく、カズを眺めていよう。むき出しの肩とか肩甲骨とかなめらかな背中とか柔らかそうな耳とか。
    あー、可愛い。触りたい。撫で回したい。
「……ショーエイ」
「はいっ!?いや何もそげんスケベなこつはちっとも、あはは!!」
 ものすごい勢いで手を振って求められてもいない弁解する昭栄をしばらく睨んで、カズはふぅんと鼻を鳴らした。
 ころりと仰向けになったカズの左足が、昭栄の膝に乗る。あ、と口を開けて(声も漏らしていたかもしれない)カズの顔を窺った。
 見下ろすように半分伏せられた瞳が色っぽいのは、気のせいだろうか。魅入られてしばらく見つめていても、足は膝の上から動かない。では、やっぱりこれは。

 きゅっと締まった足首をそっと持ち上げて、その甲にくちづけ。
「……考えとりました、ゴメンナサイ。」
 だって今だって、寝返りを打ったときにシャツはほとんど落ちかかって、持ち上げた角度で見えるような見えないような、絶妙に悩ましい足のラインがもうたまらない。そんなことしか考えられないでいる。
 そうキスだけじゃなくて、例えばこの顎をくすぐる小さな足の指を舐めたりとか。あ、それいい。舐めたいな。舐めてもいい?
 欲情に濡れた目でねだるように見上げた昭栄に、カズが今更照れたように目を背けた。
「……すけべ。」
 あぁ、俺の可愛い王様!じめじめもベトベトも、今すぐ俺が忘れさせてあげる!(まぁ、今にベトベトどころかドロドロになっちゃうだろうけどね)
    忠誠を誓います。心の底から、あなたに。
 服従する臣下の気分で、もう一度その足にキスをした。



梅雨の不快さをバネに、よっしゃー久々の大人昭カズでしっとり!と思っていたはずが…。
落ち着かない様子が実に年下の彼氏っぽい(笑)