絶対絶対会いに行く。何があっても。
時計の音
11月9日、午後7時。カズは自宅で一人、テレビの前にいた。ソファを背もたれに、クッションを抱えて床に座り込んだその表情は、真剣そのもの。
「あっ……アホ、後ろから来とーとやろ!!」
ほらそこ、とぶんぶんクッションを振り回す。
「違う、そっちじゃ……あーほら!!アホショーエイ!!」
見ているのは、サッカーの試合中継。昭栄がレギュラーとして出場している試合だった。
『カズさん……9日の夜、来てもよかでしょ?』
そう昭栄が言ったのは、久しぶりに二人の休みが重なった、10月も終わりのある日。カズが一人暮らしをしているマンションに、寮生活の昭栄が泊まりに来ていた。
引っ越し祝いに昭栄が贈った大きなベッドに並んで寝そべった二人は、一月近く会えなかった時間を取り戻すように、取り留めのない会話を楽しむ。幸せな時間をかみしめていたカズを抱き寄せて、昭栄はつぶやくように言ったのだ。
『どうせ10日は休みだし、カズさんもでしょ?』
ね?と甘える昭栄に、カズは少し困った顔で考える。
確かに、自分は9日と10日が休みになる。9日の夜ならば、昭栄が泊まりに来ても、困ることはない。その日以外では、また一月以上会えなくなるし。それに、何より……
『カズさんの誕生日やん?一緒にいたか。』
思考を読んだかのような昭栄の言葉に、カズも思わずうなずきそうになってしまった。
けれど、とほだされそうになる自分の気持ちを引き締める。
『いかん。……お前、その日は試合っちゃろ?無理したらいかん。』
カズの諭すような声に、昭栄もぐっと言葉に詰まった。
プロの世界に入って、4年。昭栄は最近レギュラーとしての地位を固めつつあった。特に9日の試合は、今後の鍵になりそうな重要なものだ。余計な事を考える余裕などない。試合だけに専念しなければならない。
言われずとも、昭栄だってわかっている。わかっている、けれど。
『それでも……会いたか。無理なんて言わんで?』
優しく頭をなでられて、カズは目を閉じた。昭栄の気持ちは、痛いほどによくわかる。自分だって、会いたい。昭栄が隣にいない夜は、泣きたくなるほど寂しい。
『……ダメだ。わかっとーとやろ?』
会いたい、来てほしい。その気持ちと同じくらい、昭栄の負担になりたくない。そう思う。昭栄は本当に自分を負担だなどと思わないのだろうが、カズはどうしても気になってしまうのだ。自分たちは、プロだ。感情のままには生きられない。
口にはできない想いを伝えたくて、カズは昭栄の胸に顔をうずめる。カズの押し隠した悲しみを感じ取って、それでも、だからこそ昭栄はあきらめられなかった。
『わかりません。俺カズさんに会えるって思ったら、ちかっぱがんばれるとやもん。大体、俺が誕生日にカズさん独りにできると思います?絶対、来ますからね!!』
強く抱きしめられて、カズは唇をかみしめる。嬉しくて、悲しくて。もう何も言わないでほしかった。そっと昭栄の背中に手を回し、上向いてキスをねだる。そうすることで、昭栄の言葉を奪った。
翌朝、名残惜しそうに玄関を出る昭栄に、
『9日。テレビで見とーけん、な。電話も、待っとーけん……』
カズはそう言った。だから来るな、と言外に込められていることに気づいて、昭栄は悲しそうに笑って、しかし小さくうなずいてカズの部屋を後にした。
ブラウン管越しの昭栄は、汗をかいて、真剣な表情でボールを追っている。外国人FWと競り合うたくましい姿を、カズは食い入るように見つめた。時々声を上げて、届かない指示を出しながらクッションを振り回す。
時々、思う。今、あのピッチに立っているのが自分なら、もっとうまく昭栄をフォローしてやれるのに。どの試合を見ても、自分なら点は取られなかったと豪語するカズではあるが、特に昭栄の出る試合は冷静に見てはいられなかった。昭栄は恋人であると同時に、長年面倒を見てきた後輩でもある。
「あと一分……!」
ロスタイムの表示を見て、カズはぎゅっとクッションを抱えた。スコアは、2-1で勝っている。しかし、後半はずっと押され気味で、ひやりとする場面が続いていた。
一分だって、何があるかわからない。カメラは相変わらず昭栄たちDFを映し続けている。つまり、ピンチは続いているのだ。
大丈夫だ。ショーエイ、落ち着いとーし……。
集中した顔が映るたび、ドキドキと鳴る胸に言い聞かせる。あと、三秒。体の力が抜けかけた、そのとき。
鈍い音が、した。少し浮いた昭栄の体が、芝生の上に倒れる。
画面から響く試合終了のホイッスルで、カズははっと我に返った。倒れたのは昭栄だけでなく、競り合っていたFW共々転がっている。すぐに二人とも起き上がり、何か一言交わして歩き出した。それを見て、やっと頭が状況を把握し始める。
なんということはない、ハイボールの処理をしようとした昭栄と、ヘディングでシュートに行ったFWが接触した、それだけだ。PKにもならず、選手が中央に整列する。中継が終わるまで、画面の中の昭栄はいつも通り笑っていて。
何も心配はない。そのはずだ。
不安の拭い去れない心を何とか落ち着かせて、カズは携帯を握った。きっとすぐに、底抜けに明るい声で昭栄が電話をかけてくる。「勝ちましたよ〜!!カズさん見てた?」などと言って、浮かれて。それで自分がいい気になるな、とか言うのだ。
想像して思わず上った笑みで、心が少し温かくなる。そう、勝ったのだ。しかも昭栄は今日のヒーローだった。これはすごく大きなプレゼントだ。
電話が来たら、今日くらい褒めてやろうかな。手の中の携帯を眺めながら、カズは着信を待った。
30分経った。着信がない。今日はホームでの試合だったから、ファンに囲まれているのかもしれない。昭栄は愛想がいいから、人気も高い。
コーヒーを飲みながら、その様子を思い描いて、カズは少し笑った。
一時間。まだ、電話は来ない。耳障りなテレビは消してしまった。
二時間。電気も消してしまった部屋で、カズは携帯とクッションを胸に、床に転がっていた。
電話が、来ない。こんなことは、二人が恋人という関係になってから今まで、一度だってなかった。昭栄はいつもうんざりするくらい、自分への連絡は欠かさない。
不安になって何度かかけてみたけれど、つながらなかった。どうしてとか、何かあったのだろうかとか、不安を煽ることばかりが頭をよぎる。
さっきの転倒で怪我をして、病院に行っているのかもしれない。すぐに歩けたことだしそうひどくはないだろうが、わからない。念のため、ということもある。
だとしたら、検査が終わり次第自分に電話をしてくれるはずだ。普段はともかく、今日は絶対に。だって、自分は電話を待っていると言った。昭栄だって、あの時ちゃんとうなずいたじゃないか。
それとも、来るなと言ったことを怒っているのだろうか。
いつもなら、そんなことは考えもしなかったであろう。しかし、今は。
真っ暗な部屋は、耳に痛いほどの静寂に満たされている。音を立てるものは、呼吸する自分と、時計だけ。
この部屋は、一人暮らしには広すぎる。ベッドルームとリビングは別になっているし、トイレもバスルームもキッチンも別々だ。カズはもともと余分なものを所持しない性格で、引越しの際に運び込んだのは、昭栄と選んだベッドやソファ、テレビ。あとは小さなテーブルと、日用品のみ。最低限の家具が、逆に部屋の広さを強調していた。
広い部屋も、大きなベッドもソファも、最新型のテレビも、全部昭栄が欲しがったものだ。冷蔵庫やクローゼットには、昭栄の物がたくさん入っている。部屋中いたるところに昭栄の気配があるのに、今ここにいるのは自分ひとりだ。
コチコチ、時計が鳴り続けている。あと一時間と少しすれば、今日が終わってしまう。
電話は、来ない。
「……っ!!」
カズは自分の体をきつく抱きしめた。膝に顔をうずめて、耳をふさぐ。コチコチと響くその無機質な音が耳にこびりついて、そうしていないと不安でどうにかなってしまいそうだった。
もう嫌だ……ショーエイ!!
ガチャガチャッ!!
突然響いた音にカズは肩を震わせた。ドアの鍵が開いた音だ。乱暴に靴を脱いで、カズのいるリビングへ、荒い足音が近づいてくる。
泥棒では、ない。冷たい静寂を破るひどく焦った様子のこの足音には、聞き覚えがあった。
まさか、だって、そげんはず……
「うわ、暗!!カズさんこげん暗か部屋で何しとーと!?」
点された電灯の下には、呆然と座り込んだカズと、走ったのか乱れたスーツ姿の、昭栄。
「カズさん?どげんしたと?……もしかして具合悪か!?」
様子のおかしいカズに、昭栄は慌てて駆け寄る。すぐそばで見ると、顔は青ざめて、少し震えているようだった。
「カズさん!?しっかりしてください、俺わかる?」
肩を掴んで少し揺さぶると、ぼんやりしたままカズが口を開く。
「ショーエイ……?」
「そうです、カズさんの大好きな高山昭栄ですたい!あ、本物です!!」
ひどく真剣な顔で寝ぼけたことを言う昭栄に、カズのフリーズが解けた。
「なん……誰がだいす、いや、つーかお前なしここにおると!?」
やっと調子の戻ったカズに安堵して、昭栄がへらっと笑う。
「なしって、決まっとーでしょ?カズさんの誕生日ばお祝いしに。」
「な、だって、来んなって言ったっちゃろ!!」
「えー?だって俺絶対来るって言いましたよ?そん後はカズさん、来るななんて言ってなかよ。だけんよかかな〜って思って、来ちゃいました!!」
子供みたいな屁理屈で胸を張る昭栄に、カズはあきれて開いた口が塞がらなかった。あれだけ来るなと言ったのに、何が来ちゃっただ、と怒鳴ろうとして。
「ずっと電話、待っとったのに……」
カズの口から出た声は、ひどく弱弱しいものだった。違う、こんなことを言いたいんじゃない。ふざけるな、と怒って、二・三発は殴って、それで……
「ごめんねカズさん……不安にさせたと?」
たくさん文句を言いたかったはずなのに、昭栄がそう言って優しく抱きしめてくれたら、もうそんなことはどうでもよくなってしまった。同時に、自分が本当に言いたかったことが何か、はっきりとわかる。
会いたかった、寂しかった、独りぼっちは苦しかった。プロだからとか、そんなことは関係ない。自分の本当の気持ちは、ただ昭栄を求めていて。
そばに、いてほしい。
「俺はよカズさんに会いたくて、試合終わってすぐに車とばして来たとよ。だけん、今日泊まっていってもよかでしょ?」
昭栄は腕の中のカズの顔を覗き込んだ。すぐそばで目があって、カズが小さい声で言う。
「……もう来てしまっとーもん、仕方なか。」
素直じゃない言葉は、強がりなカズの精一杯の愛情表現だ。大きくて吊りあがった目は、素直にそばにいて、と言っていた。
あきらめなくて、よかった。昭栄は微笑んで、艶やかな黒髪に口づける。もしあきらめていたら、カズに寂しい思いをさせてしまうところだった。
学生の間は先輩というプライドからか、決して見せてはくれなかったカズの弱さが、昭栄にはとても愛しい。守ってあげなければといつも思う。そんなことを言ったら、ひどく怒られそうだけれど。
「カズさん、ケーキとプレゼントは明日でよか?」
律儀な昭栄に、カズは少し笑ってうなずく。本当は、別にプレゼントなどなくてもよかった。一番の望みは、今こうして昭栄が叶えてくれたから。
昭栄の腕の中、しばらく甘えて身をゆだねていたカズが、ふと顔を上げる。
「ショーエイ、お前どこも怪我してなかか?」
唐突な言葉に少し首をかしげた昭栄は、思い当たってうなずいた。
「あー、あれですか。あんぐらいじゃ怪我なんぞせんですよ。カズさんに鍛えられとーし」
出会ったその瞬間から今まで、散々殴られたり蹴られたりしてきたのだ。接触程度でどうにかなるなら、きっともう20回ぐらいは死んでいる。
笑いを含んだ昭栄の言葉に、カズはそれもそうかとうなずいた。これを機に反省するつもりは、微塵もない様子である。なんともカズらしい。こういうところはちっとも変わらないと、昭栄は複雑な気持ちになった。
まぁ、別によか。あれも愛っちゃね、カズさんなりの。
腕の中のカズは、まだ少し不安が残るのか、昭栄の肩や首の筋肉を指で押して、痛みがないか確かめている。
「カズさん心配してくれると?嬉しか〜!」
にこにこした昭栄に抱き上げられて、その目的を悟ったカズの耳が少し赤くなる。しかしカズは何も言わず、昭栄の首に腕を回し、そっと首筋に頬を寄せた。トクトク、間近で聞こえる穏やかな音が、耳に心地いい。
そういえば、昭栄が来てから、時計の音が聞こえなくなった。カズの寂しさを追い詰めるような無機質な部屋は、昭栄の存在一つでひどく暖かいものになる。
こいつのせからしかとこも、たまには役に立つっちゃね……。
「カズさん、お誕生日おめでとう。愛しとーよ。」
耳元でささやかれて、カズはうっとりと目を閉じた。
2006,功刀一生誕企画様に載せていただきました。
お題提供:【Air.】(master/yuki様)日常的な10のお題