出会ってから毎年、この日は二人で過ごしてきたのに。


ぽかぽかなよる。


 早朝の空気は冷たい。まだ白くはならない息を空に吐き出して、昭栄は玄関を後にした。
 去年の今日は、カズの家で勉強をして、ご馳走を食べた。一昨年の今日は、選抜皆でパーティーをして、その帰り、想いを告げ合った。
 11月9日。
 今年は、まだ何も予定を立てられずにいる。


『カズさんは、俺より渋沢が大事ですか?』
 思わず口からこぼれた、この一言が発端だった。
 一週間ほど前の話だ。部活帰りに二人でラーメンを食べに行った後、昭栄はカズを家へ誘った。どうせ親は深夜まで帰ってこない。もう少し一緒にいたかった。
 「初めて」の夜から、三ヶ月以上経って。カズの家にしろ昭栄の家にしろ、夕飯以降の誘いをカズが受けてくれたのは、実はこの日が初めてだった。相当痛かったのだろう、昭栄もかわすカズに無理強いはしなかった。
 耐えるのは大変だけれど、苦痛とは思わない。カズのためだから。それでも腕の中にお風呂上がりのカズを抱きしめたら、もうたまらなく気持ちが募って。
『カズさん、好いとーです……』
 何度も何度もそう言って、口付けた。唇に、まぶたに、耳朶に直接吹き込むようにささやいたら、カズもくったりと体を預けてくれて。
 ギシ、きしむ音を聞きながら、二人でベッドに沈み込んで、舌を絡ませたままカズのシャツのボタンに手をかけた。
    好き。大好き。欲しい。抱きたい。
 どきどき、お互いの心臓の音が余計に興奮を呼んで、頭の中が本能でいっぱいになる。
『ぁ……』
 指先がカズの胸先を掠めた瞬間、

ブブブッ!!!

『『っ!!?』』
 静まった部屋に突然響いた無機質な音に、お互いに肩を揺らすほど驚いた。
『あ、俺や……』
 バッグのそばに放り投げてあったカズの携帯が、一定のリズムで振動を繰り返す。なかなか鳴り止まないので、ぼんやりとした表情のままカズが起き上がった。
    おかーさん、かな?
 水を差されてぽかんとしたまま、携帯を取り上げるカズを眺める。家に一人のカズの母が電話をしてきたならば、何か困り事でも起きたのかもしれない。
『渋沢……?』
 カズのつぶやきに、昭栄は目を見張った。
    なし、こげん時間に、あいつから電話げな来ると!?
 こんな時間とは言ってもまだ9時を回った程度で、友人同士が電話をしてもおかしくはない。しかし昭栄にとって渋沢は単なるカズの友達ではなく、目の上のたんこぶのような存在である。
 カズの母ならばいざ知らず、せめて城光ならばよしとしたのに。よりにもよって今夜、ようやくカズがその気になってくれた、三ヶ月ぶりの、人生二度目の……!
『あっ、何すっと!?』
 今まさに電話に出ようとしていたカズの手から携帯を乱暴に奪い取り、勝手に終話ボタンを押し電源を切った昭栄に、カズが思わず責めるような声を上げた。
『何か、大事な用事やったかもしれんのに』
『そげんこつなかです。どうせ大したこつなかに決まっとる』
 敵意を隠さない昭栄の言動に、カズはむっと眉根を寄せた。
『ショーエイ、お前先輩に向かって何ちゅー口きいとると!』
『渋沢は俺ん先輩じゃなかです!!』
 渋沢を庇うカズへの怒り、というよりは、カズに庇われる渋沢への嫉妬心が、昭栄をますますかたくなにする。ぷいっと横を向いた昭栄に、カズは困った顔でため息をついた。
『……もう、よかやけんそれ返さんや。』
 素直に差し出すふりをして、カズの伸ばした腕をとって強く引く。飛び込んできた体を抱きこむと、そのままベッドに押し倒した。
『ちょ、何……』
『カズさん、続きしましょう?』
 すでに脱げかけていたカズのズボンに昭栄が手をかけると、カズが必死で抵抗を始める。
『待てって!ほんとに、代表の、連絡とかやったら!』
『そんならよっさんでも話できますけん、ヘーキです。』
『アホっ……嫌や、放せ!!』
 筋力だったら、カズには悪いが負けない自信はある。しかしカズの本気の抵抗に、昭栄は突き飛ばされるように体を起こした。その隙にカズは体を捻って、携帯を手にベッドから抜け出す。
 まるで捨てられた子犬のような気持ちになった。寂しくて怖くて苦しくて辛くて、ドロドロの暗い感情が溢れて、無意識のうちにそれは言葉になっていた。

 言ってしまってから、はっと我に返った。振り向いたカズの瞳が呆然としているのを見て、しまったと後悔した。
 けれど、出てしまった言葉は飲み込めない。今更冗談にもできない。その声にどれだけ思いがこもっていたか、カズには見破られているだろう。
『な、ん、言っとる……?』
 声も、瞳も、揺れている。何も答えられなくて、けれどカズのそんな様子を直視し続けることもできなくて、昭栄はうつむいた。
『なぁ……それ、どげん意味?お前より渋沢が大事って、それ……まさか本気で言っとーと?』
 本気なんかじゃない。疑っているわけじゃない。
 でも、不安だった。
『だ……って、カズさん……俺はいっつもカズさんが一番で、カズさんしか見てなかのに!カズさんはすぐ渋沢渋沢って、俺んこつ一番には思ってくれてなかって……っ』
 バチン!
 乾いた音に続いて、左頬がビリビリと痛みを訴える。頬を張られたのだと気付くまでしばらくかかった。
『……っお前、そげんこつ思っとったと?ずっと、疑っとったんか!?』
 ぎゅっと寄せられた眉根も、涙を必死でこらえようとするせいで上気した頬も、激昂の中に悲痛を色濃く映した声も、昭栄の喉を枯らすには充分すぎるもので。
 何も言えずにただ見上げる昭栄に、叩いたカズの方が痛そうに顔をゆがめた。
『なぁ。そげんはずねかろーが……俺、こげんこつ、渋沢とするか?』
 昭栄の手を取って、きゅっと握る。乱れたままの胸元にその手を引き寄せて、じっと昭栄を見つめた。想いが伝わるように。
『……しない、です。しないです。絶対しないです……!』
 何度も首を振って、昭栄が泣きそうな声で言うから、カズは何も言わず乱暴にその頭を抱きかかえた。
 しばらくそうして、カズが待ってくれているのはわかっていたけれど、すっかり落ち込んでしまった昭栄は結局、カズが「帰る」と言って背を向けても、動くことができなかった。


「アホやな……」
「ん?」
 呟いた声に、柔軟を終えた城光が振り向く。何でもないと首を振って、つい眺めてしまっていた後輩の背中から視線を外した。
 あれから一週間、まだ昭栄は落ち込んでいるのか気にしているのか、いつものようにカズにまとわりついてこなくなった。
    ちゅーか、避けられとる、よなぁ。
 行事もテストも補習も、何か特別な理由があるわけでもないのに、朝も昼も、帰りも、別々に過ごしている。
 部活以外の時間では顔を合わせることもない。部活の間も、視線はぎこちなく逸らされるし、指導や伝達事項以外ではほとんど話していなかった。
 身辺が静かなのはいいことだが、たまらなくつまらない。今朝に至っては、母親までもが「最近ショーエイくんが来ない」なんて寂しがる始末。
 イライラに任せて詰め寄ってもよかった。何をそんなにウジウジしてると怒鳴りつけて、はっきりしろと無理矢理にでも話させて……。
 でも、できなかった。あの日「帰る」と背を向けても、昭栄は追って来てはくれなかった。ずっと不安に思われていたことが寂しくて、求めてほしくて待っていたのに。
 いつもなら、こっちが困るくらいまとわりついて、欲しがって、決してそばから離れようとしないくせに。
 しょぼんと耳と尻尾をたれた犬。何だって、言えばいいのに。そんな風にされたら、怒鳴りかかる勇気もなくなってしまうじゃないか。

 この一週間ずっとそうだったように、ぼんやりと昭栄の背中を見つめる幼馴染に、城光はため息をついた。
「カズ、今日、誕生日やな。部活終わったら、何ぞ食いに行くか?奢っちゃる」
 ぽんと頭に手を載せると、ぼんやりしていたことにも気付いていないのか、カズがきょとんと見上げてくる。当の本人よりも先に、たまたまそばを通りかかったチームメイトが顔を輝かせた。
「あ、そういえば今日カズん誕生日やったな!おっしゃ、今日は皆でカズにご馳走してやらんや?」
「よかやん!寿司がよか寿司〜!!」
「アホ、勝手に決めんなちゃ。なぁなぁカズ、焼肉がよかよな。食い放題の店があるとよ!」
「お前も人んこつ言えんっちゃろ!」
 カズと城光を囲んで盛り上がる仲間に、若干置き去りの主役を擁護するため、城光が有無を言わせない笑顔を浮かべる。
「ピザや。カズの好物食わせんでどげんすっと?わかったら騒いどらんと、練習に戻らんや!」
 すごすごと退散するチームメイトの向こうで、昭栄がカズを見ていた。何だか複雑な色を宿した瞳は、城光がそれに気付くとすぐに逸らされる。
    あー……マズかったか?
 部活後、ミスの連発で監督に罰走を命じられた昭栄に「遅れてもいいから来いよ」と声をかけたとき、必死で笑おうとして失敗したような表情を返されたから、やはりマズかったのだと少し後悔した。
 店について解散するまで、扉が開く度にカズがそちらを振り返り、現れない昭栄に瞳を曇らせるのを見て、後悔を通り越して昭栄が憎くなった。
 一体何があったら、カズにこんな顔をさせていい理由になるというのだ。ムカつく。
 結局カズに甘い自分の思考は認識していたが、今日ばかりはそれでいい。昭栄が動かない以上、自分ができる限りカズを喜ばせてやろうと、城光は普段の五割増でカズを甘やかした。
 好きなメニューを皿に取り寄せてやるまではともかく、口元についたソースまで拭い始めたときには、さすがに全員がおかんじゃないんだからと突っ込んだ。


「もぉ〜カズくんてばぁ、ママがせっかくごちそう用意して待ってたのにぃ〜!」
「だぁもう、何回同じ文句言えば気がすむと酔っ払い!くん付けんな!大体ママとかいう歳じゃねかろーが」
「ひどい〜〜〜カズくんの意地悪〜〜〜!」
「だけんくん付けんなって言っとーと!」
「小母さん、すんません。俺らが突然カズんこつ誘ってしまったけん」
「や〜ん、ヨシくんいい子!カズのお婿さんに来て〜v」
「ダメよぉ、カズくんばヨシのお嫁さんに貰うんだからぁ」
 お決まりのやりとりで楽しそうに笑い声を上げる母コンビに、カズと城光はげっそりとため息を漏らした。

 二人が帰宅すると、誕生日パーティーをしようとしていたらしく、豪勢な夕食と共にカズの母が城光宅に上がりこんでいた。
 帰ってこない主役に構わず大人同士で散々盛り上がっていたようで、すでに酔っ払いと化した親たちに捕まった城光は、未だ制服のまま居間に座っている。
 着替えてから顔を出したカズは、母や小母の文句に見せかけた可愛がり攻撃に小一時間ほど付き合って、皿や空き缶の片付けに専念した。城光が恨みがましい視線を寄越したが、酔っ払いの相手はあしらいのうまい幼馴染に押し付けるに限る。
「カズ、小母さん眠そうやけん、今日はこっちでよかか?」
 最後に運び込んだ洗い物が終わる頃、台所に城光が顔を出した。居間を覗き込むと、かなり酔いが回ったらしく、机に沈没寸前の母の姿が見えた。
「小母さん、見た目に似合わず結構酒強かよなぁ」
「ばってんもう歳やな。こんぐらいで潰れるげな、弱くなりよった。」
「いや、こんだけ飲んで騒げばもう充分っちゃろ……」
 両親と小母、酔っ払い三人を一手に引き受けていた城光の顔には疲労が滲んでいる。よれよれのカッターシャツに苦労を汲み取って、カズがぽんと城光の肩に手を置いた。
「災難やったな。」
「お前のせいじゃ。」


 カラカラと戸を閉めると、柔らかな温かさと明かりから切り離され、つんと冷たい夜の闇に包まれる。忘れていた寂しさを急に突きつけられたようで、カズはしばらくぼんやりと城光宅の玄関先に佇んでいた。
 優しい隣人の泊まっていけという誘いに、とうとう眠ってしまった母だけ任せて出てきた。一人になりたくてそうしたけれど、残ればよかったのかもしれない。
 深く息をつく。思ったよりずっしりと疲労が圧し掛かる、重い手足をしみじみと眺めた。こんなとき実感する。自分は口ほど強くない。
    なし、こげんこつになっとーっちゃろ……。
 寒さに震えて、我に返った。こんなところでぼんやりして、風邪でも引いたら馬鹿みたいだ。ふるりと頭を振って、冷えて余計に動きにくくなった足を踏み出す。
 帰ったら熱い風呂にしっかりつかって、もう勉強はいいからすぐに布団に包まってしまおう。ぐっすり寝て明日になれば、この重苦しい胸のモヤモヤもきっと晴れてくれる。
 やけくそ気味にザクザクと進めていた足は、門を入ってすぐ、玄関先に座り込む人影に止まった。
 ちんまりと縮こまったデカい図体のそいつは、見慣れた制服の上に、見慣れたジャージを羽織っている。
「……ショーエイ?」
 抱えた膝に突っ伏していた顔が上がる。まるで捨て犬のような頼りなさで、昭栄がそこにいた。

 いつからここにいたのだろう。ずびっと鼻をすすった昭栄に、カズが慌てて駆け寄る。
「な、こげんとこで何しとる!風邪引いたらどげんすっと!?」
 伸ばした手で触れた頬は冷え切っていた。思わず先輩調で叱ったカズに、昭栄はしょんぼりと下を向いた。
「…………だって今日、カズさんの誕生日やけん」
 会いに来て、カズがいなくても諦められなくて、ここでずっと待っていた。すがるような声でつぶやく。
「カズさん、俺がおらんくて、ちょっとでも……寂しかった?」
 じんわりと胸の奥から、たまらなく温かい何かが湧き出してくる。その感情に押されて、昭栄の頭をなでた。何度も何度も、優しく。
「……アホ、意地張らんで店に来とれば、こげんこつならんかったのに。お前が来らんって、皆気にしとったぞ?」
 カズの手も声も静かで優しくて、昭栄が顔を上げる。甘えの滲んだ瞳は、少し赤かった。またじわり、温かくなる。
「だって、ふたりっきりでお祝いしたかやったとです。カズさんは、俺のやもん」
「……なん、言っとると、アホ。」
 久々に聴く昭栄のストレートな言葉に、照れ隠しのこぶしにも力が入らない。
    そうや、そげん当たり前んこつ、なしもっと早く気付かんと?
 だからアホだって言われるのだ。指先までぽかぽかに温かくなった体で、冷えた昭栄をぎゅっと抱きしめる。
「ショーエイ。今日……泊まってくか?」



 二回目のえっちはやっぱり痛いし苦しいし辛いし散々だったけど、昭栄とぎゅっと抱き合って包まった布団は、ものすごくあったかかった。



2008.11.9 カズさんHAPPY BIRTHDAY!!


めでたいんだか何なんだかよくわからない話ですみません。
何ていうか、勝手に嫉妬されてる渋沢さん、いい迷惑だよね(可哀想に)(あんただよ)