寒い冬の日、キューピッドたちに導かれ。
町の獣医さん9
高山ペットクリニックの看板犬・ゴールデンレトリーバーのケンは、とても賢くて飼い主思いの犬である。
昭栄がまだ学生であった頃から、辛いことも苦しいことも、いつも一緒に乗り越えてきた。あまり器用ではないご主人を、優しく穏やかな瞳で見守り支えてきたケン。
だから今度も、ケンは昭栄のため、何ができるか一生懸命に考えていた。
四葉祭りも終わりが近付く夕暮れ時。角の花屋から漂ってくる柔らかな香りに包まれながら、ケンは顎の下に潜り込んでゴロゴロと喉を鳴らすクロに優しく話しかけた。
昭栄は、どうもその花屋の主人・カズに恋をしているらしい。しかしカズの様子を見れば、その気持ちが簡単には実らないだろうことは明らかで。
ケンの大好きな昭栄を、カズも好きになってくれたらいい。もっと触れ合う機会が増えれば、きっとそうなってくれるとも思う。昭栄は本当にいい人間だから。
できれば毎日、少しずつでも、二人が会話をするように。
そのためにケンが考えた計画は、『朝のお散歩でご挨拶作戦』。ペットクリニックの近所の公園までをゆっくりと歩く今までのコースを、商店街広場へ向かうコースに変更すれば、毎朝カズと挨拶を交わすことができる。
ケンの話に、クロも快く賛同してくれた。もっともクロは飼い主二人の恋路よりも、毎朝ケンにマーキングできることの方が嬉しいようだったが。
そうして、作戦は決行され。
いつもは半歩前を忠実に守るケンが珍しく自分を引いて歩くのに、昭栄は驚きつつも何も言わずついていった。商店街が近付くにつれてそわそわする心を何とか宥めつつ、途中でパン屋のおばさんに焼きたてパンを貰ったりしながら。
予想通り鉢合わせたカズに、飛び出そうな心臓を飲み込んで挨拶をして。驚き顔のカズが、珍しく早起きをしていたクロが甘えてケンに擦り寄ったのを見て、苦笑しながらも挨拶を返してくれて。少しだけ立ち話をして。
あぁ、何か夢みたい!乙女な心境で喜ぶ昭栄は、帰宅してケンに水とご飯を用意しながら、これからはあっちに行こうと笑いかけた。
とは言っても、昭栄は忙しい町の獣医さん。それまでの倍以上は時間のかかる新たな散歩コースを、そう毎日歩くわけにもいかない。
空気が段々と冷たさを増し、季節は移ろい年が明けて。世間の休日も何くれと働き、ときどき遠出してカズやクロに会い、焼き立てパンを買って帰る朝は、昭栄とケンにとって癒しの一時であった。
そんな、ある冬の日の朝。
身を切るような寒風に鼻を赤くした昭栄は、目の前に立つカズをきょとんとして見つめていた。
少し恥ずかしげに伏せられた睫が、相変わらず色っぽいなぁとか。夏場より少し長めの襟足が可愛いなぁとか。着膨れしてモコモコしてるのが愛おしいなぁとか。
ぼんやりとその魅力に見蕩れていたら、カズがむぅと眉根を寄せて見上げてくる。
「……おい、聞いとると?」
「ふぇっ!?あわわわ、えーっと」
上目遣いに浮かれる気持ちは止められないが、ご機嫌を損ねたくもない。慌てる昭栄に、カズはダウンの下のパーカーの袖を弄りながら、
「やけん。その、寒かし、冷たい道路ばっかり歩かせたらケンが可哀想やし。朝飯、作ってやってもよかけど……」
ちょっと尖らせた唇から、なんとも可愛らしいお誘いが。
暖かい部屋の中は、カズの匂いがする。トントンコトコト調理の進む音を聞きながら、ケンとクロをじゃらして遊んで。
何ですかここは、パラダイス?
大概お気の毒な思考の昭栄だが、無理もない。この部屋に招き入れられたのは、実にほぼ一年ぶりのことになるのだから。
一瞬の空気の変化を敏感に読み取り、そこから半年以上まともな会話すらしてくれなったほどに警戒心の強いカズが、再び自身のテリトリーに昭栄を受け入れてくれる。それがどれほどすごいことか。
あの俺的人生冬枯れの時代、あったかいのは気温だけやったもんね……。
「こら、クロ!ケンが困っとるやろ、尻尾噛むなちゃ!」
「あはは、大丈夫ですよー。クロちゃん甘えとるだけやもん、ねー?」
エプロン姿のカズ、優しいケンとやんちゃなクロ。まるで家族みたいだ!
にぃーと抱っこされて甘えた声をあげたクロは、昭栄の内心伸びた鼻の下に気付いたのか、きゅるんと首を傾げた。
しばらく遠ざかっていた間に、昭栄は皿洗いをマスターしたらしい。片付けは任せてくださいと張り切って台所へ向かっていった背中を見送って、カズはケンの隣に座った。
「飯、あんまりちゃんとしたもんじゃなくてごめんな?」
ドッグフードなどもちろんこの家にはないので、白米に味噌汁と鰹節というクロとお揃いのご飯を出してしまったが、ケンは優しく見返してくれる。おいしかったよと言いたげに、ふりふりと揺れる尻尾。
「……ケンは、優しかな。クロともいっつも遊んでくれて、ありがとな」
昭栄の鼻歌に合わせてにゃんにゃんと鳴くクロの声が聞こえる。楽しそうだ。気難しいクロなのに、どうもあのたれ目の男はお気に入りらしい。昭栄がいる間はカズよりも彼に抱かれたがるのがちょっと悔しい。
穏やかにケンの背中を撫でながら。
うまいうまいと喜んで食べてくれる昭栄はやっぱり変わっていなくて、それが照れくさくも嬉しくて。迷ったけれど、招いてよかったかな、と。それ以上に、また呼んでやってもいいとまで思ってしまっている。
結局、何だかんだ言いつつも、自分だって。そう気付いて、カズは苦笑を浮かべた。
「お前のご主人サマは、変な奴っちゃね。」
その声に潜んだ気持ちが何なのか、気付いたのはケンだけだった。
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