「好きだ」と思ったら、どういうわけか。
血が沸騰するほど恥ずかしくて怖くて、そのくせ妙に安定した気持ちになった。


町の獣医さん6


「こんばんはー」
「いらっ……んや、お前か。ちょぉ待っとれ、今店閉めるとこやけん。」
 はいと素直にうなずいて、店の奥にちょこんと座る。カズはてきぱきと片づけを済ませて、シャッターを閉めに一度外へ出て行った。
    手慣れたもんっちゃなぁ……当たり前か。
 まだカズと花屋のイメージがしっかり連結されていないせいか、ついつい感心してしまう。もう何年もここで毎日店を開いているのだから、手慣れているのは当然のことなのだが。
「飯、食うっちゃろ?用意するけん。」
「あ、手伝います!」
「いらん。お前ちかっぱ不器用やけん、見とるこっちが怖か。」
「うぅ……ばってんお皿出すとか、そんぐらいはできますけん!」
 店の奥の階段を上っていくカズを、昭栄も慌てて追いかけた。


 最近の昭栄の日課は、お互いの業務が終わる夜8時頃、カズの店を訪れて花を見せてもらうことだ。どのような花を植えたいかと聞かれても、花には全く詳しくない昭栄は実際見ないとわからない。
 というのが建前100%、本音50%。本音のもう半分は、カズに会いたいから。
 会えば話が出来る。カズの考えていること、知っていること、好きなもの、嫌いなもの。たくさん知ることが出来るから。
 意外と料理も上手だとか、豪快な調理法の割に繊細な味付けを好むとか、人に振舞って「おいしい」と言われるのが好きだとか。
「カズさん、今日もバリうまかです!!天才ったい〜!!」
「アホ、もっと落ち着いて食べんか!」
「だってほんとにうまかですもん。ねークロちゃん?」
 昭栄の声に、足元でミルクをぺろぺろとなめていたクロが顔を上げ、みーと同意するように鳴いた。
「ほら、クロちゃんもそうやって!」
 にこにこ食べる昭栄を叱りながらも、カズは満更でもなさそうに目を伏せた。

 初めて訪れた夜、腹の虫を鳴かせた昭栄に、カズは渋々(すでに二人分用意されていた様子を見ると、実際はどうだかわからないけれど)夕食を出してくれた。
『えっ、カズさん料理できるとですか!?』
『当たり前やろーが。親おらんし、自分で作らんと飯食えん。』
『え、ばってん、彼女とかは……?』
『そげんもん、つくる余裕なか。』
 カズの言葉は何気ないものだったけれど、昭栄は自分の無神経さに落ち込んだ。詳しくは知らなくとも、カズが未だに両親の死を心の奥で引きずっていることはわかっていたのに。
    なし俺は考えなしにすぐこげんこつ言ってしまうと……。
 尊敬する先輩の姿が脳裏に浮かんで、しょぼんと肩が落ちる。もっと大きな男になりたいと、常々思ってはいるのだが。
『なん……あぁ、別に気にせんでよかよ。それよりお前こそ彼女おらんと?遊んどー様子なかよな。』
『はぁ、何か俺長続きせんくて。大学で付き合っとった子にも卒業する直前にフラれたけん、今は誰もおらんです。』
『そうなんか……?』
『何か昭栄君って熱意が足らんのよ!とかいっつも言われるとです。ちゅーかっ!何これバリすご〜!!ぴかぴかトロトロ!!』
 目の前に置かれたオムライスの皿に目を輝かせて、わぁいとスプーンを握る昭栄に、カズは少し緊張した面持ちでその表情を見つめた。
『……っうまー!!』

「あ〜うまかぁ!こん野菜なしこげんうまかっちゃろ?ホクホク!」
 ふと我に返ると、昭栄があの夜と同じように幸せそうな顔で箸をすすめていた。実はその料理は、こってり好きな昭栄に合わせて作ってみたものである。内心の嬉しさを隠すように、カズも箸を取った。
 他人に料理を振舞ったのは、昭栄が初めてだった。両親が生きているときは手伝いすらしたことがなくて、花屋を継いで生きると決めてから家事をするようになって。
 意外と料理は楽しくて、それを誰かにおいしいと言われるのがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。誰かと話しながら食事をするのがこんなに楽しいことだなんて、気づきもしなかった。
 初めて知ること、初めて知る思い、初めて知る自分。
    もっと、早く知っとればなぁ……。
 部活にかまけて不在がちだった家族での食事の時間も、親への感謝の言葉も、今なら素直に大切に出来るのに。
「ごちそうさまでした〜!!カズさん、俺洗い物します!!」
 腕まくりをする昭栄に、カズはわざと嫌そうな顔をしてみせる。
「お前は皿拭くぐらいしかできんっちゃろーが。いや、それもあやしか……」
「そげんこつなかです!……多分……」
 自信のなさそうな昭栄に、カズは思わず笑った。


「それで、考えたんですけど。花はスロープ沿いに植えてもらおうと思うとです。駐車場にはコンクリ埋め込まんかったし、スペースも一台分あればよかかなって。」
 眠そうに丸まったクロを、昭栄が丁寧に洗濯して返してくれたお気に入りのタオルで包んで寝かせてから、店に下りる。
 何度か花を見たり、ガーデニング雑誌を参考に借りたりして、ようやく固まってきたイメージ。
「壁が白で、レンガがあるけん。花はあんまり派手じゃない、黄色とかピンクとかオレンジとか、そげんやつがよかです。」
 ふんわりした雰囲気がいいと言っていたから、そうだろう。カズはうなずいて、昭栄の言う通りに構想を練りながら、それほど広くない店内を見渡す。
「ちょぉ、これ見とれ。よかのあったら教えて。」
 花の図鑑を渡してやって、カズは考えをまとめるため店内を歩き出した。


 カウンターだけスタンドに照らされて明るい。しばらく図鑑に集中していた昭栄が顔を上げると、カズは店の隅の窓辺に立っていた。そこには明かりもぼんやりとしか届かず、昭栄は何となく不安になって立ち上がった。
 近づいてみると、その窓からは月が綺麗に見える。スタンドの黄色い明かりとは違う、青白い月光に照らされた後姿は、寂しげで無防備で儚くて。

 柔らかそうな耳、白い首筋。頼りなげな肩。
 抱きしめたい。

「高山……?」
 腕を伸ばす直前に振り向いたカズに、昭栄ははっと我に返った。咄嗟に何も言葉が出なくて、無言のまま見つめ合う。
「……な、ん……?」
 漂う空気に含まれた何かを感じ取って、カズの体が緊張した。それを見てようやく、昭栄のフリーズが解ける。
「っあ、俺……え、と。……っず、図鑑!借りて帰ってもよかですか?もうちょっとじっくり見たかなんで」
「お、ぅ。よかよ」
 ぎくしゃくした雰囲気に、昭栄の視線が揺れる。何とか取り繕う言葉がないかと考えるものの、何を言っても余計におかしくなりそうで、焦りばかりが募った。
「……じゃあ、今日はこれで終わりにするか。」
 うつむき気味のカズの言葉に、昭栄はぎこちなくうなずいて、何とか言えた挨拶とお辞儀を残して、カズの店を出た。



 放心したまま自宅に帰り着き、自室のドアを閉めた瞬間。
「うわっ、俺やば……」
 一気に力が抜けて、その場にずるずると座り込んだ。こめかみがドクドクと音をたてて、体中が沸騰したように熱い。
 月明かりにぼんやりと立ち尽くすカズの背中はあまりにも寂しそうで。
    誘われとー気分になった……。
 温めてあげたいと思った。抱きしめて、この手でその寂しさを消してあげたいと思った。寂しいなら、すがればいい。支えたい、甘えて欲しい。ここにいる、この自分に。
 そう思ったら、思わず腕が伸びそうになって……
「なんちこつか……」
 好きだ。好きなのだ。カズが、どうしようもなく。ずっと、ずっと惹かれていた。きっと一目会ったその瞬間から。
 尊敬でも友愛でも何でもない、これは紛れもなく恋だ。今までに落ちたことのないほど、深く篤く。

欲情してから気付くなんて、何とも情けないけれど。



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