四日経ってお昼過ぎ、再びカズがクリニックへやって来た。
上がる動悸と体温をごまかすようにべこっとお辞儀をして挨拶したら、ちょっと困った顔で笑われた。


町の獣医さん3


 そんな表情もきれいでかわいいよね。
 とか思っている場合ではなく、何とか気を引き締めてクロの診察に入った。以前は嫌がったクロも、今日は素直に昭栄の腕に身を任せてくれる。お腹の辺りを軽く押してみても、おかしな反応なし。鼻の湿り具合もいい。
「もうよくなったみたかですね。ひどくならんでよかやった。」
 撫でると甘えた声で鳴くクロに、カズもほっと肩の力を抜いた。
「食べ物ば受け付けんとか、もどすとか、もうなかですか?」
 何やらカルテに書き込んで確認する昭栄に、カズはこくっとうなずいた。それを見て、昭栄も嬉しそうに笑う。
「じゃあ、もう俺がするこつはなかですね。お疲れ様でした!」
 カズにぺこっと頭を下げて、クロの手をとって「バイバイの握手」をする。その意味がわかったのか、ただ単にぷにぷにの肉球に触られたのが嫌だったのか、クロがカズに擦り寄った。
 クロを抱いて診察室を後にするカズの背中を見て、昭栄は急に寂しい気持ちになった。さっきまで、ほんの一瞬前まではクロの早い回復に本当に喜んでいたのに。
    カズさん、帰っちゃうんかなー。
 当たり前だ。病気でもない、用もない。カズが「ついでにちょっとおしゃべりして行こうかな」なんて性格でないのは明らかである。
「じゃあ、どうもお世話に」
「あーカズ、ちょぉ待たんや。今淹れるけん、茶でも飲んでいかんか?」
 天の助け、偉大なる城光先輩が素敵な申し出をしてくれたことで、昭栄の気持ちは一気に上向いた。だがしかし、カズがあっさり断る可能性もある。
 案の定、カズの表情は幼馴染のお誘いをあまり歓迎したものとは言い難く、
「あーいや、俺は……」
「何や、店でも開けとるんか?用事でもあると?」
「いや、今日は閉めて来た。別に何もなかけど……」
「なら帰っても暇なだけやろーが。どうせ患者さんおらんし、ちょっとくらいよかやろ?」
 そこまで言われては断れないようで、カズも渋々といったふうにうなずいた。城光の慣れた様子に、やはり年季が違うのだと妙に感心してしまう。
「そんならよっさん、今日はこれで休診にしますか?せっかくやけんゆっくりしたかでしょう?」
「え?いや、そげんこつまでせんでも……」
 自分が気を遣わせたと戸惑うカズの言葉ににこっと笑って、昭栄は自らドアプレートを「CLOSE」に返し、ケンを連れて入ってくる。
 ドアには「急患の際には、24時間いつでもチャイムを押してください」と書いた紙が貼ってあるから、もし患者さんが来ても大丈夫。おしゃべりに来る主婦の皆さんはがっかりするかもしれないけれど。
「いっつもお世話になっとー先輩と、その大親友さんやけん、よかです!」
 何よりも、もっとカズのことを知りたかった。
 院長先生のお言葉に、城光はまだ迷っている様子のカズの背を押して二階へと上がって行く。昭栄とケンもその後を追った。


「でねー、よっさんはすごかーっていっつも思うとですけど、一つだけ困るんはね、朝食に納豆ば食べさせてくれんこつです!」
「あは、こいつ昔からアレだけは何しても食わんけんな。」
「あげんもん平気な顔して食っとーお前らがおかしかやぞ。臭いし……洗うときとか、本気で耐えられんわ。」
「だけん、俺が洗いますって!」
「お前が台所に立つと腐海の森ができあがるけん嫌じゃ。」
「ひどかー!!ってカズさんも笑わんでくださいよ!!」
 体を震わせて笑うカズに、昭栄は真っ赤になって弁解を始める。横から城光が余計なことを付け加えて、カズの笑いが更に大きくなった。
 城光の作った軽い昼食をとりながら、今日は特別に、昼間からビールを飲む。慣れるとカズは意外と話しやすい。気性は激しいようだが、兄貴肌だからだろう。
 昭栄が聞きたがった二人の過去の武勇伝が終わると、カズがふと思い出したように昭栄に目を向けた。
「お前普段休日は何しとーと?商店街のおっさんら、ヨシは見るのに若先生は見らんってぼやいとったぞ。」
「えー、だってよっさんがね、『お前が買いもん行くと余計なもんばっか買うけんいかん!』とか言うっちゃもん。休日はね、ドライブです。海とか」
 少しアルコールが入った分テンションが上がって、城光の真似をして眉間にしわを寄せてみせる昭栄にカズがまた笑った。意外と笑い上戸らしい。
「っと、もうこげん時間か。晩飯どげんしよ、あんま食材なかなぁ……」
 城光の言葉に時計を見ると、時刻はすでに午後5時を回っていた。
「あ、じゃあ俺そろそろ……」
「えー、カズさん帰るとですか?泊まって行けばいいのにー。」
 腰を浮かしかけたカズは、昭栄の言葉に目を見張る。当の昭栄はローテーブルにあごを乗せて、「そうやーよっさんも泊まって行けばいいんだー」とか言っている。
    何や、こいつ酔うと甘えん坊になると?
 昭栄の前にはビールの缶が三本。カズと城光も同じ量を飲んでいたが、ザルを通り越してワクの二人には何てこともない。
「なん、お前酒弱か?もう酔っとーと?」
「んーん。普通っちゃー……ばってん、ちょびっと酔っとーかも〜?」
 うぅ?と首を捻る様子に、犬みたいで可愛いなーなんて思えて、カズはくすっと笑った。こういう奴は嫌いじゃない。どうやら懐いてくれているみたいだし。
「カズ、どげんすっと?俺は別に泊まってもよかやけど……」
 慣れない相手と一緒にいるのは気疲れして、あまり好きではなかった。城光がいたから了承したものの、本来なら一緒に食事だってしたくない。ほぼ初対面の相手の家に泊まるなんて、カズにとってはありえないことだ。
 でも、どうしてだろうか。それもいいかな、なんて思っている自分がいる。どうせ明日は定休日だし……
「泊まりましょう!俺の秘蔵の酒があるけん、皆で飲みましょう〜!!」
 決定事項のようにびしっと手を挙げて、昭栄は自室へと消えて行く。足取りはまだ確かだから、もう少しなら飲んでも大丈夫だろう。
「……あげん言っとーし、しょーがなかな。どうせ帰してくれんっちゃろ。」
 てっきりこの隙に帰る、とでも言うかと思っていた城光は、意外な返答に目を丸くした。カズ自身、不思議でもある。
 ただ何となく、久々のこのわいわいとした空気が懐かしくて、昭栄の笑顔の明るさや温かさが懐かしくて。このまま一人、家に戻るのが少し寂しくなった。
 一瞬カズの瞳が曇ったことに気がついて、城光が口を開く。それを制するように、カズはにっと笑ってみせる。
「ヨシ、俺ピザがいい。ピザ!注文せろ!」
 わがままに振舞うカズに、城光は何も言わず笑って、
「……そげんもんばっか食っとーと栄養偏るぞ。野菜パスタも作ったる。」
「あったー!じゃーん、幻の名酒『ゆきおとめ』〜!!」
 真っ白な箱をかざして登場した昭栄に、カズは心の奥底へ寂しさを仕舞い込む。代わりに手にした宅配ピザのチラシをぴらぴらと振った。
「夕飯。ピザどれがよか?」




応援ありがとうございます!!