心から想う人と愛し合うと、こんなにも蕩けてしまうものなのか。
身体も、心も、昭栄だけを求めて震えている。


幕間


 一度目の夜は、丹念に時間をかけて。この身の解し方を足を開いて指南する間は羞恥で焼き消えてしまいそうだったけれど、昭栄の熱を受け入れた瞬間、もうそんなことはどうでもよくなってしまった。
 その夜続けて現れた昭栄の、物語みたいに後朝の歌を贈ろうと思ったけれど和歌がさっぱり詠めなかった、と告げる八の字眉がおかしくて。
 そうして迎えた二度目の夜、恐る恐ると動く指が、カズの教えを忠実になぞっていた。あんまりにも素直で熱心で、それが可愛くて嬉しくて、甘く上擦った声が止められなかった。
 昭栄の手は温かくて優しい。そっと触れる指先がもどかしいくらい。
 昭栄の瞳はまっすぐで綺麗。空と海が溶け込む、透き通った色に吸い込まれそう。
 昭栄の声は甘い。ささやきに思考を奪われて、世界がぐずぐずに溶けてしまう。
 言葉などでは到底言い足りない。唇も舌も肩も背も足も、もちろん魔羅だって、何だって昭栄が一番だ。昭栄だけがカズを気持ちよくしてくれる。幸せを教えてくれる。
 手練手管に長けていなくとも、ただ昭栄は昭栄であるだけで、全てを捧げたい気持ちにさせてしまうのだ。

「……ねぇカズ。回想中に悪いけど、吸い物が冷めるよ?」
 はたと瞬いて目の前を見れば、呆れた表情の翼が座っている。その隣には、顔を赤らめて苦笑する将。どちらの膳も既にあらかた片付いていた。
「まったく、里芋摘んだままとろんと惚けてる奴なんて初めて見たよ。」
 どうやらかなり長い間放心していたらしい。カズはうつむいて芋を頬張った。
 今朝のカズの様子を見て諦めたのか感じ入ったのか、翼はからかうような目で笑っている。何を言ったわけでもないのに、カズの気持ちはすっかりお見通しのようだ。
「いいじゃないですか、カズさんが幸せなら。翼さんは大好きな友だちの一番の座を奪られたから、妬いてるだけでしょ?」
 将の言葉にカズはきょとんと目を丸くして、翼は若干頬を染めて将の頭を叩いた。何やかやとわめいてじゃれ合う二人を眺めて、カズの心がまた温かくなる。
「……ありがとな。」
 大好きな人に愛されて、二人の友に見守られて。すごく幸せだ。
 穏やかに笑って言えば、翼が照れたように明後日を向く。将はそれを見てまた笑った。

「翼さんの言ってた嫌な予感、当たらなくてよかった」
 いつものように文字の練習をしながら嬉しげに言った将に、翼は目を伏せたまま。
「……どうかな。」
「え?だって……カズさんのあの幸せそうな顔、見たでしょう?」
 確かに、翼が初め心配していたような不安は杞憂に終わった。カズだけでなくあの客も、本気らしい。もちろん先のことはわからないから、今のところは、としか言いようがないことではあるけれど。
    それは、いいんだ。仕方のないことだから。
 悲しいけれど、人の心は移り変わる。変わらないものもあるかもしれない、けれどそんな幸せを手にできるのはほんの一握り。むしろこの状況で、一時でも本気で心通わせ合う相手がいたことは、それだけで救いだ。
 それでも、何かもやもやとしたものが胸に残っている。カズのひたむきな心、それ故の急激な変化。
 もしかしたら。
「……災厄を、」
 呼ぶかもしれない。杞憂に終わったそれよりも、余程仄暗い闇の底から。



 昭栄と間を置かずに二晩を共にして、すっかり夢心地に浸ってしまっていた。
「やぁ、久しぶり。前に会ってから、もう一月くらいか?」
 温かい人々に囲まれて過ごした二日間があんまり幸せで、忘れるところだった。

自分が陰間であるということを。

「最近なんだか忙しくって。寂しがってくれていたなら、嬉しいんだけど」
 上客のみが通される奥の間。ふふ、と柔和な笑みを浮かべた男は、まるで自分の部屋のように慣れた様子で寛いでいた。
 入り口のすぐ傍で申し訳程度に指をついて座るカズのあからさまな態度に、楽しそうに目を細めて手招きをする。
「あぁわかってる、そんなに嫌そうな顔をするな。俺の顔と名前を忘れてなければ、それでいいよ。」
 冷たく整った無表情のまま近寄ったカズは、不遜に男を見下ろした。

「しぶさわ、かつろう。」
 この世で一番幸せな夢から醒めたカズは、この世で一番憎い名を呼ぶ。
「……おいで、俺の可愛いカズ。」
 身の毛がよだつ。一層冷え込んだカズの視線に、渋沢は完璧に整った笑顔を返した。

 渋沢という男は、カズが閨事を仕込まれ暴れては折檻をされ、とうとうその身を諦めかけた頃、初めてつけられた客である。
 政界に根を張る財閥の御曹司、微笑のよく似合う穏やかな面差しの切れ者。生粋の日本人ながら飛び抜けて長い手足で英国様式の服を着こなし、物腰の柔らかさもまさに上流。
 渋沢は以前からこの店の常連で、店主や番頭にとっては何よりも逃しがたい上客中の上客であり、陰間たちには一夜だけでも目に留まりたい憧れの存在である。
 しかし唯一、翼だけは渋沢を囲んで華やぐ人の群れに鼻白んでいた。このときカズは既に翼の聡さに気付いていたから、「渋沢様にご指名を賜った」と伝えられた瞬間、何か嫌なものを感じて。
 そしてそれは、確かに正しかったのである。

「やっぱり、おかしいな。」
「…………っ!」
 放り投げるように床に転がされて、打った背中にカズは一瞬息を詰めた。無理矢理に顎を上向かされて首が痛い。掴まれた顎と押さえつけられた手首には、痣ができるかできないか、際どい力に身じろぎもできない。
「俺はね、カズ。お前の闇色の瞳を見初めたんだ。陰間になった身の上に絶望する、その貌が、気に入ったんだぞ?」
 寝物語を聞かせる親のような、優しい声色で。
「困るな、誰がお前に光なんて見せたんだ?翼か……まぁいいよ。忘れたなら、思い出させてやるから。ここがどこで、お前が誰か」
 好物の菓子を前にした子どものように、満面に喜色を浮かべて。

「傷つけば傷つくほど、人形みたいに綺麗になるカズが、俺は好きだよ。」

 諦めかけて、それでもどこかであがこうとしていたカズを、真に闇の底へ尽き落とした男。今度こそ、奪われるわけにはいかない。カズはただ一つの灯を手に、瞬時に心の奥底へ逃げ込んだ。
 そうして残った黒い目の人形を、渋沢はさも愛しげに抱いた。



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