ひとはギャップに弱いってよく言うでしょう。
あれはほんとなんだって、身を持って体感したある日のお話。


月光カタルシス


 サッカー部に中途入部した高山昭栄にとって、一つ年上の先輩・功刀一というお方は、それはもう「こわい」存在だった。


 それまで、先輩なんてものはハナクソと同じと思っていた。敬語なんか使ったこともなかったし、根が正直者だから体面だけ整えて、なんてこともしなかった。
 ぶっちゃけ自分の方が運動できるし背も高いしモテるし、ちょっと早く生まれただけで威張り散らすなんぞ、何て迷惑な輩だろう。
 スポーツで大事なのは実力だ。そしてどんなスポーツも、半年もすればレギュラーを奪える程度に上手くなれるし、そうなるように努力もする。
 ただ年上というだけでふんぞり返っている先輩たちは、いるだけ邪魔くさい。そう思っていた。

 人間関係が面倒でバスケに飽きがきていた頃、サッカー部の顧問に声をかけられて。
 当時はサッカーよりバスケの方がかっこいい、なんてイメージがあって、正直乗り気ではなかったけれど、暇つぶしのつもりでボールを蹴った。
 誰もいないグラウンドを走ったときの流れる風の気持ちよさや、広がる空の大きさに、気付いたらもう気持ちは決まっていた。


 そうして、初めてカズに出会った。
 第一印象は、『小さいくせに偉そう』。自分の胸辺りまでしかないちびっこが腕を組んで睨みをきかせるのがおかしくて、思い切り噴き出した。
 それからの惨事は、火を見るより何とやら。その辺はまぁ、よく知ってると思うけど。
 カルチャーショックって、まさにあんなのを言うんだろう。
 不意打ちだったとは言え腕っ節が強く、勉強じゃ到底敵わないし、細いくせに大食いで早食い、バスケで勝負したらセンターラインから後ろ向きでゴールを決められた。
 サッカーでは全国でも一、二を争う実力のGK。入学当時は多くの運動部がカズを獲得しようと争ったという伝説も残っている。
 ただ運動神経がいいだけでもなくて、誰よりも遅くまで用具を磨いて、誰より早く来てランニングをしている。努力を怠らない。いつも、いつもだ。
 そんなストイックで硬派なところがかっこいいと、学年問わずファンもたくさん。
 全てにおいて、敵わない。そんな人に出会ったのは、本当に初めてだった。

 ミスをすると容赦なくこぶしが飛んでくる。大きな声でメタメタに叱りとばされる。知識も技術も、ヘトヘトになるまで叩き込まれる。
 それでも、カズは絶対に昭栄を見捨てたり、諦めたりはしない。評価は辛いし褒めてもくれないけれど、いつも正直に誠実に向き合ってくれる。
 それが、嬉しかった。
 心の底から、この人はすごい、かっこいいと思う。尊敬する。これが本当の先輩ってものなんだなぁと、そう感じるのだ。
 だから、慣れない敬語も自然と使える。怒鳴られて殴られてもムカつかないし、カズがときどき見せる笑顔や優しさが、何とも言えず嬉しい。
 自分でも不思議だけれど、いつしか「カズの犬」なんて言われるほど、いつも後を付いてまわるようになっていた。

 そう、だから、「こわい」っていうのは、嫌いだとかそういう意味ではなくて。
 カズに褒めてもらいたい。認めてもらいたい。そう思うからがんばれるし、身体も動く。見捨てられたくないから、カズの役に立ちたいから、少しでも早く上達したくて必死だ。
 まずは同じピッチで肩を並べて、「お前の代わりはおらん」って思ってもらえるようなプレイのできる選手になりたい。何年かかるかわからないが、カズからゴールを奪ってみたいとも思う。
 なりたてサッカー選手としても、人間としても、「功刀一」は昭栄にとって、偉大で理想で目標で、絶対の存在。まるで神様に向かうみたいな、おそれと敬い。そういう「こわい」って意味なんだけど。
 もう少し賢くなったら、もっと相応しい言葉が見つかるのかもしれない。


 だけど、今は少し、違う。
 もちろん尊敬の念が減ったとかそういうことではなくて、それはそのままに、少し違う気持ちも覚えるようになってきたのだ。

 つい先日、大降りの雨に部活が中止になった日の帰り道。城光が委員会の何かで呼び出しをくらって、昭栄はカズと二人でダラダラ歩いていた。
 自分は安物の透明なビニール傘だったけれど、カズは黒地に薄青で格子模様の入った上品な傘を差していた。
 そういうさりげないかっこよさに憧れて、今度自分もそういう傘を買おうかなと言ったら、カズは少し困ったように笑った。でもその傘カズさんには大きすぎるんじゃないですかと言ったら、膝蹴りをくらった。
 寝ぼけて担任を「母さん」と呼んだクラスメートの話や、どんなペットが飼いたいかとか、新しく出たシューズのモデルについてとか。昭栄が脈絡なく話すのに、カズが呆れたりちょっと首をかしげて考えたりする。
 靴もズボンの裾もグチャグチャで、それでもカズとこんな風にのんびりするのはあまりないことだったから、足を速めようとは思わなかった。
 こういうのもいいな。もうちょっとゆっくり、こうしててもいいな。
 そう、思ったのが伝わったみたいなタイミングで、カズがふと足を止めた。バタバタと大きく音をたてて傘を打つ雨の向こう側を見遣るみたいに、少し遠い目がすいっと前へ向けられる。
 その横顔に、ドキッとして。


『……ぇくちっ』



「そのクシャミ聞いてから、カズさんがちかっぱ可愛く見えるっちゃけど、これって何やと思う?」
 消灯時間も大きく過ぎた夜更け、皆明日の練習に備えて寝静まっている。
 大真面目な顔で長い話を締めくくる本題を口にした昭栄に、延々語りを聞かされていた5番と呼ばれる少年は、窓の外に高く浮かんだ月を見上げた。

    ちょっと、とりあえず一発殴ってもいいですか、カミサマ。


っていう、5番くんのカタルシス(笑)