夕焼けは、嫌いだ。
別れの時を示して、寂しさが広がるから。
長い影
選抜合宿も半ばを迎えて、少年たちの疲労はピークに達していた。毎日の15キロマラソンのタイムも、今日は最低記録を続々と更新。見かねた監督の一声で、まだ日没にもならないうちに練習は切り上げとなった。
「……っは―――……。」
疲れ顔の少年たちがぞろぞろとシャワールームへ歩く中、功刀一は大きく息をついて、グラウンド横の芝生に転がった。ぐったりと手足を投げ出して、脱いだ帽子を顔の横に放り出し、袖で汗をぬぐった。
疲れた。去年の経験から言っても、ここを抜ければ後は楽になる。分かってはいるものの、辛いものは辛いのだ。正直助かった。
それは本音ではあったけれど、情けないとも思ってしまう。
疲労が他のメンバーよりも大きいのは小柄なせいだとコーチに言われた。もっとがっしりした体格で、そう例えば城光のように。そうであったならば、もう少し楽になるのだろか。それは常々気にしていることだったから、自然と眉根にしわが寄った。
今に見てろ、そのうち絶対デカかなって見返してやるけんな!!
「カズさ〜ん?どげんしたと?」
「ぅわ!?」
目の前ににゅっと現れた昭栄の顔に、カズは目を見開いて驚いた。一方の昭栄も、カズが驚いたことに目を丸くしている。
「え??カズさん何回も呼んだのに、気がつかんかったとですか?」
野望に燃えていたカズの耳には、あの騒がしい昭栄の声も聞こえていなかったらしい。驚きに跳ね上がった鼓動を何とか落ち着かせて、カズはゆっくりと近づきつつあった昭栄の顔を手で押しやった。
「ぶふっ、ひどかカズさん!!」
「せからしか!!何ばすっとねお前は!!」
さっさと起き上がって睨みを効かせるカズに、昭栄がへらりと笑う。
「何って、ちゅー?」
「黙れアホ!!」
渾身の力を込めたこぶしを昭栄の頭に炸裂させたカズは、顔を赤くして周囲を見回した。グラウンドには誰一人残っていない。誰にも聞かれなかったことにほっと息をついた。
なしこいつは、こげん考えなしなん……?
頭をさすってすねている昭栄に、カズは苦く眉根を寄せる。昭栄はあまりにもためらいなく人前でこんなことをするから、いつもハラハラさせられる。人目があるから嫌だと言っても、この年中色ボケ能天気犬には通じない。
昭栄を好きだ、と思う。好きという感情がどんなものかは知らないけれど、とりあえず、他の誰も代われないくらい昭栄が特別なのは確かだ。だから例えば抱きしめられたり、ちゅーしたい、とか言われたりするのだって、嫌なわけじゃない。
ただ、人に知られたくないだけだ。もし変な目で見られたり言われたりしたら、嫌だ。昭栄は平気なのかもしれないが、自分は気にする。たとえそれが昭栄へのものであっても。
自分は昭栄が好きで、昭栄も自分が好きだ。カズはただそれだけで満足で、誰にも干渉されたくなかった。二人の間に他人など必要ない、この気持ちを大事にしたい、そう思っているだけなのに。
なし、わからんと……?
目を伏せたカズに、昭栄は慌てた。
「カズさんすんません、俺が悪かったとです!だけん泣かんで!ね?」
「別に泣いてなか!!それよりなんぞ用でもあるんか?」
覗きこんでくる昭栄の顔をもう一度押しやって、カズが言う。その言葉に、わざわざ戻ってきた理由を思い出した昭栄は大げさに声を上げた。
「あぁ、しまった忘れとった!!はよせんと、カズさん!!」
何を?といぶかしげなカズの腕をとって走り出し、背中越しに答える。
「さっき、食堂のおばちゃんが新メニューのデザート、試食してくれって言っとったとです!!」
「はぁ!?な、アホショーエイはよ言わんや!!」
疲れには甘いものが一番だ。夕食までには時間があるし、一方腹はすっかり空いてしまっている。走る速度を上げたカズに合わせて、昭栄もカズの手を引く腕に力を込めた。
「おーカズにタカ、遅かったな〜。さっきなくなったとよ。」
食堂に飛び込んですぐのチームメイトの言葉に、二人はがっくりと肩を落とした。疲れがどっと押し寄せてきて、カズが昭栄を蹴りつける。八つ当たりだ。それだけならいつものことだが、
「ヨシ、なし俺の分もとっとかんかったと!?自分だけ、ズルか!!」
目が合った幼馴染にまでぷんぷんと怒り出す。腹が減っているせいなのか普段より幼い口調に苦笑して、城光がその口に自分のスプーンを差し出した。最後の一口は、素直にカズの腹に収まる。
「そげんこつ言っても、仕方なか。それで我慢せろや。」
飲み込んでしまうと満足感は消えて、逆に余計に腹が減ってきた。たった一口に胃が刺激され、もっと欲しいと騒ぎ出す。
「……そげん顔しても、もうなかやしなぁ……」
むぅ、と見上げてくるカズと、一口も貰えなかった昭栄の腹の虫に、自分の空のカップを眺めて城光は困り顔である。他のメンバーも、気の毒そうに二人を見ている。
「……仕方なか、今日だけやぞ?」
「カ〜ズさんとコンビニ、カ〜ズさんとデート♪」
「キモか歌はよかやけん、はよ行くぞ!」
調子はずれの歌で浮かれた昭栄を一発殴って、カズはさっさと歩き出した。慌てて昭栄が財布を手に追いかけてくる。ちなみにカズは手ぶらである。今日はお詫びにおごる、と言い出したのは昭栄なのだから、いいのだ。決して脅したわけではない。えぇ、もちろん。
合宿中、コンビニでの買い食いは禁止されている。体調管理の一環と、緊張感を保つためだ。どうしても食事が足りない者はこっそりと買いに行っていて、それは一応黙認されてはいるものの、見つかれば叱責は免れない。しかし今日は、キャプテンのお許しを得た。買うのは一つだけ、食べて帰ってくること、と条件付ではあるが、堂々と買い食いができるのだ。初めてのことにカズはご満悦である。
コンビニのドアを開け、カズを先に通した昭栄は、わくわくと店内を見回した。
「ねぇカズさん、カズさんは何にすっとですか?何食べたか?」
「なんか、甘いもん。」
「うー、俺は何にしよ……。」
城光によかこつはダメだと先手を打たれて悩む昭栄を放って、カズはデザートの棚を覗き込む。プリン、ケーキ、ゼリーにヨーグルト。どれもおいしそうで、しかしぴんと来ない。店内を歩いていると、入り口付近のアイスに目が止まった。
すーっとして、甘くて、食べやすい。時期外れではあるけれど、食べたい。
「カズさんアイスですか?寒くなか?」
「うー……やっぱ寒かよなぁ。」
どうしようと首をひねるカズに、昭栄はひどくいいことを思いついた。
「じゃあ、俺にくまんにすっとです!カズさんが寒くなったら、俺のにくまん分けてあげます!!」
きょとんとしたカズに構わず、昭栄はにこにこ笑ってレジに向かう。慌ててアイスを選んで、今度はカズが、その背中を追った。
棒付きのアイスは思ったよりも量が多くて、おいしかった。満足そうにアイスをかじるカズを見て、昭栄も嬉しそうに笑う。
甘いよなぁ、とカズは心の中でつぶやいた。常々思うのだが、昭栄はいつも自分に甘い。困らせてやろうと思って、いっそ怒るくらいの我侭を言ってみても、怒るどころか喜ぶし。「今日のカズさんは甘えん坊っちゃね、かわいか〜」などと言われたときには逆にこっちが困った。
甘やかされるのが嫌だとは思わないけれど、それに対して自分は、と思うとなんだかもうしわけない気持ちになる。素直には何も言えないし、いつも人目を気にして、昭栄を邪険にしてばかりだ。
「カズさんゴミ貸してください。俺捨てとくけん。」
いつの間にか食べきっていたアイスの棒は、カズの手から昭栄の手に移り、昭栄の持つ袋に入れられた。どうしてこいつはこういうことを自然にやってのけるのだろうか。きっとモテるんだろうなぁと、思わずまじまじと見ると、昭栄がにこっと笑う。
「にくまん食べますか?」
答える前に口元に食べかけのにくまんを差し出されて、温かい湯気と匂いに思わずかぶりついた。冷えた口の中に、熱いくらいの肉汁が広がる。
「うまかでしょ?」
こくこくとうなずくカズに、昭栄がまた嬉しそうに笑った。
ありがとう、とか、言うべきなのだろうか。こんなに想われていて、お礼一つ言わないというのはひどいのではないか。最近よくそう思うのだが、今までずっとふんぞり返っていたせいか、急に素直になるのは難しかった。いざとなると、恥ずかしくて何も言えない。
……どげんしよう……。
即決即行の自分がこんなにぐずぐず迷うのは、昭栄のことだけだ。ただ恋愛に慣れていないせいなのか、それとも、相手が昭栄だからなのか。誰よりも早く昭栄に出会ってしまったから、わからない。
悩むカズの思考を断ち切ったのは、そっとその手を包み込んだ、昭栄の温かい手だった。
「なん、すっと!!」
慌てて振り払おうとすると、昭栄の手にぎゅっと力がこもる。
「誰もおらんです。人来たら離しますけん、だけん……、よか?」
周りを気にして視線をさまよわせるカズの目を、昭栄の真剣な目がとらえた。カズは目を伏せて、きゅっと唇をかみしめる。
恥ずかしい。人が来たらどうしよう、変に思われるに違いない。その気持ちが膨らむ一方で、少しくらいはいいかなぁなどと思う自分もいて。
ありがとうも言えないから、せめてこのくらい、受け入れてもいいかな。
ダメ、かな。そう思って離そうとした昭栄の手を、カズが握った。
驚いて見ると、顔を赤くしたカズはうつむいて、恥ずかしさをこらえているようだった。何も言わなくても、分かる。きっと自分を喜ばせたくて、一生懸命がんばってくれているのだ。
すごく嬉しかったから、昭栄も何も言わず、カズの手を握り返した。
冬の日没は早い。夕焼けの赤が空いっぱいに広がって、少し遠回りをして歩く二人を染めていく。
夕焼けなんて、嫌いだ。もう家に帰る時間だと、もう終わりにする時間だと、いつも楽しいときを邪魔するから。赤い色に染められて、まだ一緒にいたいのに、まだ遊んでいたいのにと、幼い頃は何度も泣いた。今はもう泣かないけれど、あの頃よりもずっと寂しい。
二人一緒にいられるこのときが終わるのは、寂しくて淋しくて。もう帰らなきゃいけない、城光たちが心配するだろう。そう分かってはいるのに、どうしても歩調は上がらなかった。おかしな話だ。今は合宿中で、朝から晩までずっと一緒にいられるのに。
「そろそろ、戻りましょうか。」
昭栄の小さな声に、カズもうなずく。それなのに、自然と絡め合った指は、お互いの心を伝えているように離れなかった。
もう少し、このままでいたい。そうすればきっと、なんでもない顔をして、また日常に戻れるから。サッカーに没頭して、仲のいい先輩と後輩として、怒鳴ったり笑ったり、そんな日常に自然と戻っていける。
だからもう少し、もう少しだけ。
赤く染まった世界の中、一つに重なって長く長く伸びる影を、二人だけの秘密に。
2006,功刀一生誕企画様に載せていただきました。
お題提供:【Air.】(master/yuki様)日常的な10のお題