どきどきどきどき。
心臓が、爆発してしまいそうだ。
16歳の夜1
いつも通りの時間に起きて、いつも通りにランニングをしてシャワーを浴びて。ガシガシと髪を拭きながら部屋に戻ってきたカズは、ふとカレンダーの前で立ち止まった。
7月14日。今日から丁度一週間後のその日付が、何だか妙に気になった。
何ぞ、あったか……?
テストは終わっている。宿題もない。制服に着替えながら、カズは首を捻った。
試合、じゃなかしなぁ。
その日は一日、部活がある。少々メンツの変わった新しいレギュラーでのフォーメーションを確実にしようと話したばかりで……
「…………あ!!!」
浮かんだのは、しまりなく笑う大型犬の顔。7月14日は、昭栄の誕生日である。
去年は当日まで、昭栄の誕生日を知らなかった。苦し紛れに差し出したのはガム一枚で、何もないよりはマシだろうけれど、それでもやっぱり気の毒だ。過去二回、昭栄はカズの誕生日をきちんと祝ってくれている。
今年は、ちゃんとしてやらんとな。
うん、と一人うなずいて、大きなバッグと共に階下へ降りた。用意されている朝食をむぐむぐと食べていると、台所の母が何やらご機嫌でやってくる。
「ねぇねぇカズくん!」
目の前に座る母に、カズは軽く眉をひそめた。
カズくん、やとぅ?
「カズくん」と呼ばれていたのは、小学校の低学年までだったと思う。成長し子ども扱いを嫌うようになってから、母は自分を「カズ」と呼ぶようになった。
今母が自分をそう呼ぶのは、怒っているときだけ。だが、この表情は作り笑いなどではない。そのくらい読み取れないで、何が息子か。
「何?朝練あるっちゃけん、はよ話せんね。」
いくらか警戒した声音のカズに、母はうふふ、と笑った。
「あのね、お願いがあるんよ。14日やけどね?」
ぴくり。思わず止まりかけた箸をごまかすように、カズは大口でご飯を頬張った。
14日。昭栄は珍しく暗い顔で、ふぅーっと深いため息をついた。
カズさん……今日が俺の誕生日って、覚えててくれとーかなぁ?
うるさくアピールしてもよかった。でも、やっぱり、だって、自分たちは恋・人・同・士!!である。何も言わなくてもカズが覚えてくれていて祝ってくれる方が、ずっと嬉しい。
それに、他人への関心の薄いカズに誕生日を覚えてもらう、というのはなかなか大変なことだ。こんな日くらいは、自分がカズの「特別」だという証を見せてもらいたい。
そんな小さな目論見は、去年は裏目に出てしまったのだが。
まぁ、あれはあれで?カズさんの愛ば感じたっちゃけどね。
正直なところ、「んなもんあるわけねかろーが」で終わることも予想していた。しかしカズはカズなりに、昭栄のためを思って一生懸命に考えてくれた。もうそれだけで、十分に幸せな誕生日だ。
それでも、やっぱり、今年こそは…と期待してしまうのは、仕方のないこと。
あぁ、カズさん……覚えててくれとーですか?
昭栄の心の呼びかけが通じたのかどうかはともかく。
「ショーエイ……今日、な。部活ん後、俺んち来んか?」
いつも通り二人で過ごす昼休みに、どことなく上の空だったカズは突然そう切り出した。並々ならぬ決心をしたとでもいうような険しい目と上気した頬。
か、かわいか……!!
そんな顔をされたら、断れるわけがない。そうでなくても断らないけど。
それからはただ一心に、「はよ部活終われ!!」と念仏のように唱え続けた。部活命の誰かさんの機嫌を損ねたら怖いので、心の中で。
浮ついた気持ちはただでさえ詰めの甘いプレーを更に甘くして、昭栄は一人監督に呼び出しを食らった。もちろんその前に、守護神の鉄拳とキャプテンの罰走命令を受けて。
ようやく終わった!と弾む足取りで部室に向かうと、他の部員は全員帰ってしまったのか、そこにはカズが一人で立っていた。昭栄に気づかないほど、ぼんやりして何か考え事でもしている様子である。
まだ着替えもしていない。Tシャツと髪の間からのぞくうつむき気味の首や力の抜けた肩がどこか頼りなげで、抱きしめたくてたまらなくなる。
誰もおらんし……よかよね?
「カ〜ズさんっ」
ぎゅう。
「なっなっなっ、なんばしとっとねーーーーー!!?」
「いだーっっ!!」
思いっきり張り飛ばされた頬の痛みで、思わず涙目になる。
「カズさんひどかぁっ!!もうこれ絶対紅葉できますよ!!せっかくの男前がーっ」
大げさに嘆きつつカズを見上げた昭栄が、目を丸くした。
カズの様子が、おかしい。この程度の接触はお互い慣れたもののはずなのに、カズは耳まで赤くなって、肩が揺れるほど呼吸が乱れている。
「カズさん!?ど、どげんしたと?なんぞあったとですか?」
「何もなか!はよ着替えせろ!!」
「……ほんとに?」
「せからしか!!」
「また殴る〜(泣)」
こうなるとカズは絶対に口を割らないので、昭栄は素直にカズの隣のロッカーを空けた。着替えながらちらっと様子を窺うと、なぜかカズはその場でぴきっと固まっている。
あれぇ……ほんとどげんしたっちゃろ。
「カズさ〜ん、着替えんですか?」
ひらひらっと目の前で手を振ると、するどい手刀で叩き落とされた。手がじんじんする。
「……着替える。」
もごもごと答えたカズは、昭栄から少し離れて着替えだした。
……え、何今の…………距離、とられた……!?
確かに腕が当たるほど至近距離にいたのは事実だが、そんなことは日常当たり前のことで。今は他に誰もいないけれど、同じ状況だって今までそんな風にされたことなんてなかった。
とられた距離は、歩幅にしてたった一歩か二歩。小さいけれど大きな事実に、昭栄は目の前が真っ暗になるほど傷ついた。
別に、やましい気持ちを持って立っていたわけではない。それは、誓って。
正直他の人間には全く興味がないが、カズとならいつだって、そばにいたいとか触れたいとか……まぁ、そーいうこともいつかは……なんて望んでいたりする。
だからと言って始終それしか考えていない人間ではない。本当にただ純粋に、何の意図もなく、そこに荷物を入れていたからここに立っていた、というだけだ。
や、まぁ隣ば選んだんは、やましか、かもしれんけど。
でもだって、誰だって好きな人のそばにいたいじゃないか。他の誰かがこんな距離で着替えるのを見るなんて、ちょっと、いや大分嫌に決まっているではないか!
俺はおかしくない、と正当化してみるものの、こんな風にされると何だか傷ついてしまう。嫌われてる?なんてありえないことを思って、そんな自分に泣きたくなった。
時は少しさかのぼり。カズが部室でぼんやりと思い浮かべていたのは、一週間前の母との会話。
『カズ、14日やけどね?お母さん高校時代の友達と温泉に行きたかやの!一泊で……』
『一泊?』
『うん、15日の……んー、夜までには帰るけん!カズ一人にしちゃってよか?』
ごめんねとお願いの入り混じった視線で、しかしすでに久々の旅行に心を弾ませている母を見て、カズはうなずいた。
『そんぐらい別に何ともなか。いくつやと思っとーと?』
『そうよね!カズはしっかりしとーもん、お母さん自慢の息子よ!!』
抱きつかんばかりに喜ぶ母に半分あきれて、しかし半分嬉しくも思うカズのほのぼのとした気持ちは、次の母の言葉で一気に乱された。
『あ、そうだ。一人っていうのも寂しかやし、せっかくやけん、ショーエイ君にでも泊まりに来てもらったら?』
今度こそはっきりと、カズの手が止まった。箸の先から、掴んだばかりの里芋がぽろりと落ちる。
いや、それは……え?
もちろん母の言葉に深い意味がないのはわかっている。親もいないことだし、一人でつまらなく過ごすよりは仲のいい後輩を呼んで楽しく騒いだ方が楽しいだろうと、それだけ。
しかし、自分たちは曲がりなりにも、こいびとどうし、というやつである。その関係で「今日誰もいないから、泊まりに来て?」なんて、他意ありまくり含みまくりに聞こえるに決まっているではないか!!
突然頭を抱えた息子に、母はきょとんと首をかしげた。
カズだって年頃の男の子である。周りの男子よりは淡白かもしれないが、その言葉にどんな意味が含まれるのか、気付ける程度には知識だってあるわけで。
中学の頃は、はっきり言って全く無関心だったけれど。昭栄に抱きしめられたりキスされたり、そんなことに少しは慣れてきたこの頃は、意識してしまうことも、実はある。
正直に言えば、昭栄がときどきひどく……「男」っぽい目で自分を見ていることにも気付いていた。昭栄は本能の生き物だから、きっと自分よりもずっと、望む気持ちは強いのだと思う。
恥ずかしさと、未知の行為への恐怖と。どちらも今まで、カズに気付かないフリをさせてきたけれど。
泊まりに来いと言えば、きっと昭栄はこの上なく喜ぶだろう。
何より誕生日という大義名分がある。がっかりさせただろう去年の分も、昭栄が一番嬉しいと思うことをしてやらなければならないし。
……やばか、どげんしよう。緊張してきた。
部活が終わり、部室で着替えを手に取ったまま、カズは困ったようにうつむいた。いや、実際困っている。いつまでも気持ちに踏ん切りがつかなくて。
だってそんな、怖いじゃないか。男女ならともかく、男同士で……なんて、何をどうするのか、全然見当がつかないし。……ちゃんと気持ちいいのかな?
って、何考えとーと!こーいうん、妄想って言うとよ!!
おかしな方向に流れかけた思考を慌てて引きずり戻す。昼休み、昭栄を誘ったあの時点で、すでに覚悟は決めたはずだ。
今日、は。その、つまり……ショーエイん誕生日やけん。
うだうだとまとまらない思考をもてあましていると、
「カ〜ズさんっ」
ぎゅう。
包み込む腕、背中越しに感じる心臓の鼓動。突然思考を断ち切られて呆然としたカズは、そこでようやく我に返った。
誰もいない、二人きりの部室で、昭栄に抱きしめられている!!!
「なっなっなっ、なんばしとっとねーーーーー!!?」
「いだーっっ!!」
思わず殴った頬を押さえて、涙目の昭栄が自分を見上げた。なぜ殴られたのかわからないという昭栄の表情と、瞬時に上がった自身の脈拍と体温で、自分の反応が過剰すぎたことに気付く。
いかん、俺意識しすぎったい!!
平静を取り戻そうと呼吸を整えていると、昭栄が心配そうに覗き込んでくる。自分の気持ちが見透かされてしまいそうで、思わずもう一度殴ってしまった。
痛い痛いと騒ぎながらも素直に昭栄が着替えだしたので、カズはほっと息をついた。自分も着替えようとTシャツの裾に手をかけたとき、傍らでTシャツをさっさと脱いだ昭栄の、入部当時よりずっとたくましくなった広い背中が目に入った。
可愛い後輩というよりは、もうずっと男らしく成長してしまったことをまざまざと見せ付けられて、慌てて目を逸らしたものの、もうそれ以上体が動かなくなってしまった。
大体、なし誰もおらんとっ?帰るの早すぎっちゃろ!
それは自分がぐずぐずしていたせいなのだが、意識しすぎて混乱しているカズが気付けるはずもない。
二人っきりの部屋で、服を脱ぐ。それもこんなにぴったりとくっついて。今まで何とも思わなかったその行為が、今はひどく恥ずかしいものに思える。
「カズさ〜ん、着替えんですか?」
そう、そうだ。着替えないと帰宅もままならないではないか。大体こんなに意識しているのは自分だけだ。考えすぎるからいけない。ぱぱっと済ませればいいことなのに。
「……着替える。」
ばってん、近すぎなんは事実っちゃろ。スペースあるし。
言い訳をするように頭の中でつぶやいて、カズはできるだけさりげなく昭栄と距離をとって着替えだした。何よりも自らの心の平安のために。
こんなん、心臓もたん……。