新しい年の一番初め。
昇る朝日に照らされる横顔が、すごく綺麗だった。


明けの朝


 12月31日、大晦日。里帰りなのか買い物帰りなのか、それともこれから遊びにでも行くのか。人でごった返す駅前の広場で、カズは噴水の前のベンチに座っていた。
 彼の目的はただ一つ。待ち合わせである。
    あのアホ、遅か。
 携帯の時刻表示は、6時45分。待ち合わせは、6時半。5分前行動が当然のカズにとっては、これは許すまじき大遅刻である。大体、先輩と待ち合わせなのだから10分前には来ているのが最低条件ではないか。
 たるんでいる。こういうところから、試合中のミスが生まれるのだ。昭栄の詰めの甘さを直すには、やはり日々の生活から……
    ブブブ!!
 ぶつぶつと考え事をしていると、ポケットにしまった携帯が勢いよく震えだした。取り出すと、発信者は。
「アホ、お前……」
『カズさんどげんしたと!?大丈夫!?』
「あ?」
 言おうとしたことを先に言われてしまい、カズはいぶかしげに眉を寄せる。
「どげんも何も、駅前におる。お前がそこにおれって言ったっちゃろ?」
『え……?駅前、の広場んとこですか?』
 昭栄の戸惑いに、カズも少し不安になった。待ち合わせ場所を勘違いしていたかと思い返しても、確かに駅前広場に、と言われた記憶がある。
「おー。噴水ん前に座っとーぞ。」
 一瞬の沈黙の後、
『噴水……?……あ、ちょ、今そっち行きますけん!!』
 勢いよく駆け出したような音を最後に、携帯は沈黙を取り戻した。あの戸惑いは一体何だろうと首をかしげていると、5分もしないうちに昭栄の姿が見えた。合図する前にカズを見つけて、そのまま駆け寄ってくる。
「うわー、よかった!!カズさんおったー!!」
 そのまま抱きつかれそうな勢いである。思わずのけぞったカズの腕を取ると、昭栄は安心したようにしゃがみこんで息をついた。優しい色の目が見上げてくる。
「カズさん、ここ西口ですよ。待ち合わせは東口の広場、です。」
「え?」
「事故でもあったんかなーとか、ちかっぱ心配しとったとですよ〜?」
 布越しでもわかるほど昭栄の手は冷えきっていて、かなり前から待っていたことがわかる。この駅には初めて来るから詳しくないとはいえ、完全に自分のミスだ。
「悪か、全然気づかんかった……。」
 さすがに申し訳なくて謝るカズに、昭栄は嬉しそうに笑った。
「ううん、わかりにくかとこ待ち合わせにした俺が悪かですよ。これからは家まで迎えに行きます。そげんこつより、カズさん体冷えとーよ!あったかいもん食べよう!」
 よくわからないが、甘やかされている気がする。俺は先輩だという気持ちと、好きな人に気遣われる嬉しさ。歩き出す昭栄に並んで、カズは複雑な気持ちで少し眉根を寄せた。

 あったかいもの、といえばラーメン。思った通りのワンパターンだけれど、文句は言わなかった。昭栄の連れて行ってくれるラーメン屋は安くてうまい。
「はー、やっぱラーメンはよかな〜!」
 満足そうな呟きに、そうだろうなぁとカズは苦笑した。
「お前、前世は絶対ラーメンっちゃな。」
「え、なしですか?」
「…………。」
 首を捻る昭栄から一度目をそらして、カズはにっこりと微笑んで話題を変える。
「あー、そろそろ神社でも行くか?」
「あ、はい!案内しまっす!」
 ころっと流されて笑った昭栄に、目論見通りとはいえカズは頭痛を覚えた。単純すぎる。これは対策が必要かもしれない。トレセンに向けて、来年の指導項目に入れるべきか。
「カズさん、人がすごかやけんはぐれんでね!」
 うなずいて歩調を合わせると、昭栄が何かそわそわしていることに気づいた。手を何度も握ったり開いたりして、迷うようにふらふらと動かしている。
「……こげんとこでつながんぞ。」
「え゛!?」
 手をつなぎたい。はぐれる心配もないし、何というかとにかく理屈抜きでカズに触れていたい。しかし人の溢れる街中でカズがそれを許すはずもなく、迷っていたのだが。
 どうしてわかったんだろうとあたふたする昭栄に、カズはこらえきれず噴出した。全部顔に出ていて、ほんとうに単純でわかりやすい奴である。
 これではやっぱりサッカーに支障が出るかもしれないな、と苦くも思ったが。
    まぁ、よかか……。
 それは昭栄のいいところだ。手の内を読ませない、狡猾な昭栄など気持ちが悪いし。何よりその素直さは、カズを射止めた要因の一つである。
「ほら、こげんとこで立ち止まっとーと邪魔やぞ。さっさと案内せんや!」
 背中をバシッと叩かれて、昭栄はちょっと悲しそうに眉を下げて歩き出した。
    もう、なしこげん人が多かなん?世の中暇人ばっかりたい!
 邪魔をするなとお怒りの昭栄だが、師走の夜に初詣に出かけてきた自分たちも、十分その暇人の仲間である。


 そんなに大きな神社ではないから、閉口するほどの人混みではなかった。けれど出店はそれなりに充実していて、参拝客の年齢も幅広い。
「結構よかでしょ?俺毎年友達とここに来て遊んどったとですよ。」
 辺りを見回していたカズの目が、昭栄を見上げる。
「今年はよかなんか?」
「え、なし?だってカズさんと一緒の方がずーっと楽しかやし。」
 何のてらいもなくうなずいた昭栄に、カズは言葉が見つからず、黙ったままうつむいた。前々から思っていたが、どうしてそんな恥ずかしいことを平然と口に出せるんだ。
 カズの照れや戸惑いには気づかなかったのか、昭栄がたこ焼き屋を見つけて目を輝かせる。
「カズさん、たこ焼き!!やっぱ屋台といえばたこ焼きは基本ですと!!」
 たこ焼きたこ焼きと連呼しながら歩いていく昭栄を、カズはあきれたようにたしなめた。
「アホ、初詣やぞ。先にお参りせんや!」
 ぶぅぶぅと不満そうな昭栄の頭を軽く叩いて、さっさと階段を上がり出す。慌ててついてきた昭栄と並んで、階段を上りきった。
 賽銭箱の前で財布から五円玉を取り出したカズは、昭栄の手元を見ていぶかしげに眉を寄せた。
「……お前、一円投げるつもりなんか?」
 ドケチにもほどがある。カズの白い目に、昭栄は得意げに笑って見せる。
「ふっふっふ〜、俺はただのケチでやっとーんじゃなかですよ!」
 じゃーん、と効果音付きで一円玉を差し出された。
「……なん?」
「見てくださいこれ、平成11年製の一円玉〜!!」
 どうだと胸を張る昭栄に、カズは特に何の感慨もなく、
「あ、そう……」
 どうでもよさそうな返答に昭栄はがっかりと肩を落とす。
「えー、すごかと思ったのに……。それに1ってカズさんの番号やん?ご利益ありそうかなーって思って今日までとっといたのに〜!」
 しくしくと泣きまねをする昭栄に、カズはため息をついた。放っておいてもよかったが、人目が恥ずかしいのでなだめることにする。
「そうやな、一番はよかな。」
 そう言って自らも一円を取り出したカズに、昭栄は満面に笑みを浮かべた。
「カズさんとおそろいならもっとご利益ありそうですね!!」
 こいつの中で自分はどんな偉人なんだろうと複雑に思いながら、カズが一円玉を投げ入れる。続いて昭栄も投げ入れて、二人でがらがらと鐘を鳴らした。手を合わせて目を閉じる。
 願い事。これはサッカーを始めて、GKになった年からずっと変わらない。
    俺は絶対No.1GKになる!!
 それだけ強く心に誓って、カズは目を開けた。願い事というよりも宣言である。この儀式は、カズにとって初心を忘れないよう気を引き締めるためだけのものだ。
 一方隣の昭栄は、ひどく真剣な顔で手を合わせている。
 えぇとまず、来年はもっとカズさんとラブラブできますように。U-15で日本一とれますように。サッカーもっとうまくなって、カズさんばびっくりさせられますように。 カズさんの受験がうまくいきますように。カズさんが俺んこつもっともっと好きになってくれますように!神さん今のはマジで頼みますけん!!マジで!! えーと他には、カズさんが風邪とかひかんように。あとはー……
「おいショーエイ、まだか?」
 目を開けると、カズが退屈そうに自分を見上げている。
「あれ、カズさんもうお願い事終わったとですか?早かですねー、もっと頼まんでよかですか?」
「……お前一円でそげんあれこれ叶えてもらうつもりなんか……」
 何というか、大物である。

 出店を見て回っている間に新年を迎えて、二人同時に「あけましておめでとう」。顔を見合わせて、少し笑った。
「ふっふー、カズさんの今年初ばゲット!幸先よかな〜今年は。」
 にまにまとだらしなく笑う昭栄に、カズが首をかしげる。
「初って?」
「初挨拶に、初笑いでしょー?あと今ので初疑問!初質問!!」
 そんなことを言い出したらきりがないではないか。あきれると同時にくすぐったくて、ふーんと気のないそぶりで、その辺の出店に見入っているふりをした。
 自分も昭栄の今年初をいっぱい手に入れたんだな、と思うと、かなり照れくさかった。

 屋台で山ほど買った食べ物を、神社の裏手に座り込んで食べる。学校で起きた他愛もないことを話したり、サッカーについて語り合ったり、ただ黙って寄り添ってみたり。気づけば明け方になっていた。
 あと一時間くらいで日の出だな、とつぶやいたカズに、昭栄が瞳を輝かせる。何かいいことを思いついたときの顔だ。
「ねーカズさん、日の出も一緒に見て行きましょうよ!俺の秘密の絶景ポイント、カズさんだけに教えてあげる!!」


 カズさんだけに、という言葉にほだされて、辿り着いたのは山の中。一応ついている道はおそらく林業従事者とか、ごく少数人の出入りしかないことを示している。
 少々不安だが、小さい頃から何度も来ているらしく、足取りの確かな昭栄に黙ってついていく。
 突然視界が開けて、山間に切り立った崖のようなところに出た。大きな石に座って昭栄が手招きをするので、その隣にカズも座った。体がぴったりとくっついて、恥ずかしいけれど安心する。
「なぁ、お前毎年初詣は友達と行っとーっちゃろ?なし日の出は一人で見とったと?」
 んー?と少し首をかしげて、昭栄はぼんやりと空を見つめたまま答えた。
「特別に理由はなかです……ただ、どーんっとデカか太陽が昇るやん。ちかっぱすごか、そんときに、ぎゃーぎゃー騒がれたくなかやったし。あの景色ば俺だけのもんにしたかやったっていうのもあるし。」
 意外な言葉にカズが目を丸くした。昭栄はいつも明るくて騒がしくて、人の輪の中心にいる。誰にでも好かれるし誰とでも友達になる。
    あぁ、ばってん、それだけじゃなかよな。
 秋ごろ昭栄の過去を知ったときに、そうわかったはずだった。あんなに人懐っこいくせに、あんなに友達がたくさんいるのに、昭栄は意外と他人に対して淡白だ。
 山中に一人で、じっと朝日を見つめている昭栄を思い浮かべたら、あのときと同じ、不思議な感覚が沸いてくる。胸がきゅっと締め付けられたような、鼻の奥がつんとするような。
 そしてそこに、今は自分が存在していることに気づいたら、何だろう。
「カズさん……?」
 突然指と指を絡めて、自分の肩にもたれたカズを、昭栄は少し驚いて見つめた。カズは何も言わず、日の出間近の空を見つめている。それなのに、昭栄にはなぜかカズの言いたいことがわかった。
    ここにいる。これからは、自分がずっとそばにいる。
 昭栄が本当は寂しさを感じていることになんて、誰も気づかなかった。気づいてほしいとも思わなかった。もしかしたら自分でも、気づいていなかったのかもしれないのに。
 どうしてこの人にはわかるんだろう。空へ視線を戻して、昭栄はゆっくりと息をついた。

 薄青色の空に黄色や赤が混ざりだし、ゆっくりと太陽がその姿を見せようとしている。去年と今年がぐちゃぐちゃに混ざって溶け合うような、この壮大で荘厳な瞬間を、今まで誰かと共有したいとは思わなかった。
「すごか色やな。きれいな……」
 それなのに、不思議だ。ここにカズがいることが、泣きたくなるほど嬉しい。同じ景色を見て、同じ気持ちになれるのが嬉しい。
 感動を伝えたいのに、言葉が見つからない。声が出てこない。
 だから、キスをした。

 ありがとう。この寂しさに気づいて、寄り添ってくれたこと。この想いに応えてくれたこと。今この瞬間に、そばにいてくれること。
 こんなにも自分は嬉しくて、幸せで。カズがいてくれれば、もう寂しくなんてない。思いが唇を通して伝わったのか、カズはゆっくりと目を閉じて、昭栄の背に腕を回した。

 抱きしめ合って何度もキスをして。
 気がついたら日は完全に昇りきってしまっていた。



「ったく、結局日の出見れんかったやん。もったいなかな〜……」
 帰りの電車の中でぼやくカズに、昭栄は照れくさそうに笑う。この車両に他の乗客はいないので、つないだ手に力を込めた。
「えへへ……俺ちゅー好き。」
「アホ。」
 あけすけな言葉に照れて、それを隠すためにしかめたカズの顔を、昭栄の満面の笑みが覗き込む。
「日の出は、来年。また一緒に見に行こう?」
 内緒話をするように耳元でこっそりとささやかれた言葉に、カズは苦笑した。
 昭栄がやたら未来の約束をしたがるのも、寂しがり屋だからかな。何となくそう思って、カズも昭栄の手を握り返した。


 家に帰ると昭栄から年賀状も来ていて、マメな奴だなぁと妙に感心してしまう。ベッドに寝転がって、葉書を裏返した瞬間に、カズはぶっと噴出した。
「なんこの字、きったなかな〜!」
 サインペンのような飾り気のない黒い文字でデカデカと、「カズさんあけましておめでとう!目指せ日本一!!高山昭栄」と書いてある。隅にはピースをした昭栄の顔が描いてあった。字も下手だが絵も下手だ。
 散々笑って、少し落ち着いたカズはふぅと息をつく。手も足もぽかぽかと暖かくなって、眠気がカズのまぶたを重くした。

 布団の中は暖かくて、でもそれ以上に、目の前の汚い字とまぶたの裏の優しい笑顔が温かい。
 新年の計が元旦にあるなら、今年はきっとずっとこんなふうに、昭栄と温かい気持ちで過ごせるのだろう。未だ残る唇の感触に、その思いを強くする。
 満たされた心は、すとんと眠りに落ちた。