選考合宿も無事終わり、日常に戻ってきた。夏休みの選抜召集までは、授業を受けて、部活をして、期末テストの勉強もしなければならない。ぼんやりしている暇などない、はずなのだが。
二人の少年は、別の学校の別の教室で別の日常に身を置きながら、同時にため息をついていた。
身が、入らないのだ。
偶然
にぎやかな放課後の教室で、昭栄はぼんやりと窓の外を見ていた。昨日からサッカー部は、テスト勉強を理由に自主停止期間に入っていた。夏の大会前にそんなことをしている気楽な者ばかりなので、皆勉強どころか、どこに遊びに行こうと盛り上がっている。いつもなら、誰よりも盛り上がっているのは昭栄のはずなのだが。
前を行く友人たちの後について歩いてはいるが、心ここにあらず。
今まで何を楽しく感じていたのか忘れてしまった。何をしていても、ちっとも楽しくない。原因は、明らか過ぎるほどにわかっていた。
カズがいない。そんな日常はつまらない。怒鳴り声とかすぐ殴るこぶしとか憎まれ口とか、ほんの一瞬の笑顔とか、照れた目元とか。何一つそばに感じられない日常は、なんて味気ないのだろう。
合宿が終わって、二週間ぐらいだろうか。もうずっとカズと会うどころか、声も聞いていない。なぜアドレス交換ぐらいしておかなかったのか、自分が信じられない。「カズさん中毒」は、すでに禁断症状を迎えていた。
……そういえば、よっさんの学校、知っとーやん俺。
駅の路線図を見て、重大なことを思い出した。言うまでもなく城光の学校は、カズの学校である。家は知らないけれど、学校の場所ならわかる。隣の隣の市だ。電車一本で行けるではないか!!なぜもっと早く気づかない!?
もう耐えられん、会いに行く!!
「悪か、俺抜ける!!」
驚く友人たちを置き去りにして、慣れない駅の構内を早足で歩き出す。いつも駅を利用していれば、もっと早く気づいて、会いに行けたかもしれないのに……
「……あれ、ショーエイか?」
耳に飛び込んできた鮮やかな色の声に、運命すら感じた、瞬間。
放課後の教室で、カズはあくびをかみ殺していた。今日からテスト前の全部活停止期間で、サッカーができないのは退屈だった。とは言っても三年なので、周りはかなり真剣である。サッカー推薦の可能性が高いとはいえ、この空気の中のんびりする気にもなれず真面目に勉強していたのだが、全然頭に入ってこない。
合宿が終わってから、ずっとこの調子なのだ。何かが、物足りないような気がする。
……仕方なか。気晴らしでもして、気分ば切り替えんといかん。
「ヨシ、俺帰る。グローブ見に行って来る。」
隣の席で数学を解いていた城光は、少し笑ってうなずいた。カズは調子が悪くなると、よく大きなスポーツショップで新品のキーパーグローブを物色する。買うわけではないが、それだけで楽しいらしい。城光にすれば、ちょっと電車代がもったいなくも思えるのだが。
まぁ、キャップ見に行く、よりはマシか。
キャップの場合は散々捜し歩いて一つも買わなかったり、逆に同じような物をいくつも買ったりするから、困る。まるで親のような気持ちで、城光はカズの背中を見送った。
電車の中で、カズは考えていた。物足りないのは、何かわかっている。
昭栄だ。昭栄が隣にいない。何度殴っても蹴り倒しても、笑って自分を慕う目とか、うざったいほどまとわりついてくるあの大型犬の存在が、たかが九日間でそばにいて当たり前になっていた。
今までにないことで、いまいちよくわからない。城光がそばにいないのとは、まるで感覚が違う。いつもどこかがつながっている城光とは、少し離れていても何とも思わない。そのつながりが消えそうなとき、足元が崩れるような不安に襲われるのだ。しかし、昭栄は違う。なんとなくモヤモヤ、気分が悪い。落ち着かない、というか……。
考えているうちに、カズはいらいらし始めた。もともと気が長くないし、すっぱりしていないことは苦手なのだ。
あぁ、今すぐに、あのアホを一発殴ってすっきりしたい。
そんなことを思いながら駅を歩いていると、視界の隅に、妙に見知った雰囲気の後ろ姿を見つけた。思わず上げた声に、その男は振り返って……
「カっ……カズさん!!本物!?ほんとにカズさんやーん!!」
昭栄の変わらない騒がしさと笑顔に安心した、その自分に驚いた、瞬間。
「……あれ、ショーエイか?」
「カっ……カズさん!!本物!?ほんとにカズさんやーん!!」
「なん言っとーやお前……。お前家この辺なんか?」
「ううん、逆方向です。」
「?ならこげんとこでなんしとーや?」
「えへへ、今からカズさんの学校に行こうと思って。カズさんに会いたかでした!!」
「…………あんな、この時間学校行って、会える可能性低かやぞ?」
と、いうわけで。
「ねーカズさん、あっちのグローブもかっこよかですよ〜!!」
「ん?どれや?」
ショップのサッカーコーナーをちょろちょろと歩き回ってはカズに報告をする昭栄に、カズがついていく。どちらもひどく楽しそうで、はしゃぐ姿は遠足に来た幼稚園児のようで微笑ましい。
「これです!!」
「あ〜、これ新作っちゃね!ふぅん……結構よかね。」
つぶやくように言った後は一言も口をきかず、グローブをそっと手にとっては観察し、時には嵌めてみたりしているカズは、ひどく幸せそうだ。目がうっとりしている。
なんか、意外な一面ば見てしまったとよ……。
かわいいから、いいけど。
「カズさんお腹空いてなかですか?近くにうまかラーメン屋があるとですよ!」
昭栄の言葉に、やっとカズが現実に戻ってきた。広い店内の中、キーパーグローブのみに、カズは二時間近く夢中になっていた。ものすごい集中力だ。幸いなのは、カズがその良さを語り合いたがるタイプではなかったことである。キーパーでもなければ物に執着もこだわりもない昭栄には、全くわからないに決まっている。
ラーメン。つぶやいたカズは少し迷うような顔をしたが、すぐにうなずく。
「たまにはよかやろ。」
昭栄は、カズの言葉に驚いた。彼は主食がラーメンの人間である。
「世の中には色んな人がいるとですね〜。」
「それは俺のセリフたい……。」
ラーメンを食べながら、昭栄はカズにたくさんの質問をした。カズは面倒くさがりながらもきちんと答えてくれる。
兄弟はいなくて、城光と双子みたいに育ったこと。好きな食べ物は、パスタとピザ。昼寝が好きなこと。キャップをたくさん持っていること。小二からサッカーを始めて、小四でキーパーに志願して転向したこと。更新中の記録の話。毎日している自主トレの話。
聞けば聞くほど、カズが近くなる。知れば知るほどどんどん惹かれて、同時に遠くもなってしまう。少し、切ない。こんなに近くで笑っているのに、求めるものが違うだけで、こんなにも心が遠い。
「ショーエイ?」
店を出て、駅まで少し遠回りをしようと、川沿いの道を歩く。急に黙った昭栄を、カズが振り返った。
「?なんですかカズさん。俺ぼーっとしとった?」
「……。アホ。」
ぺし、と頭をはたかれた。全然力が入っていない。心配してくれているのだ。
「カズさんは優しかですね〜、よしよし。」
「なん!?さわんなアホ!!」
「いだっ」
今度は力いっぱい殴られた。
カズのこんなところがすごく愛しい。不器用な優しさを見せてくれるのは、かわいがっている後輩だからなのはわかっているけれど。
今はそれでもいい。いつか、一緒にいる間に、カズの特別になれればいい。そうなるまで、ずっとずーっとカズを見つめて、しつこいぐらい追いかける自信はある。
一歩間違えたら、俺ストーカーやん……。
でも、だからって離れるつもりなんかない。そんなことしたら、生きていけない。
だから、早く気づいて、できれば一緒に歩いてほしかですよ、カズさん?