好きって気持ちは日に日に大きくなって、心を全部満たしてしまう。
こうして触れているだけで、叫びだしたいほど心が騒ぐ。
こんな自分は、おかしいのかもしれないけれど。


虹1


 誰かの大きな手のひらが、頭を優しくなでてくれる。懐かしい感覚に、カズの意識はゆっくりと覚醒した。こんなことをするのは城光くらいだ。照れくさいのと甘えた気持ちが混ざり合って、カズはゆるく頭を振った。
「あ……カズさん、起きたとですか?」
 城光だと思った手のひらは、そうではなくて昭栄のものだった。後輩に子供扱いされたことにかっとして、思わず振り上げようとしたこぶしは、握られただけで止まる。
 昭栄の様子が、おかしい。
「ショーエイ、なんぞあったと?」
 首を傾げて聞くカズに、昭栄は弱弱しく笑った。
「なんもなかですよ。……そろそろ、グラウンド行きましょうか。」
 いつもはうるさいぐらいに元気な昭栄が、ごまかすように顔を背けて立ち上がる。目には活力が感じられず、どう見たって何もないようには見えなかった。
 昭栄が落ち込んでいる。そのぐらいはカズにだってわかった。問い詰めてもよかったけれど、カズは結局それ以上は何も聞かずに歩き出す。言いたくないなら言わなければいいし、こういうことはいつも城光の役目で、正直どうしたらいいのかもよくわからなかった。
 隣を歩く昭栄はとぼとぼとした足取りで、やっぱり何も言わない。ぼんやりと考え事でもしているようだ。
 その様子が、カズはなんだか気に食わない。何かあったなら言えばいいのに。誰かに何かすごくひどいことを言われたのかもしれない。言ってくれれば自分が話をつけてやってもいいのに。まるで頼りにならない先輩だと思われているみたいで、嫌だ。
 二人押し黙ったまま向かうグラウンドへの道は、いつもの三倍は長く感じた。


「今日が最後の紅白戦たい。明日の選考試合に備えて、今日を意味のあるもんにせろ。」
「「「うっす!!」」」
 昭栄はぼんやりとしていた。監督が何か言っていたけれど、正直それどころではない。
    あー……俺どげんしたらよか?
 何度心の中でつぶやいてみても、誰も何も教えてはくれない。かと言って、口に出す気にはどうしてもなれなかった。
 カズのことを好きだということは、変かもしれないけれど、とても普通に受け入れられた。それ以外ないって、むしろ何ですぐ気づかなかったんだろう?なんて思う。
 昭栄は別に男が好きというわけではない。どんなにかわいくても、尊敬するほどすごい人でも、同性にきゅんとしたことはなかった。カズは同性で、先輩で、かわいくてかっこいい、尊敬する人だ。でもその前に、カズは「カズ」だ。他の誰でもない。だから好きなのだ。
 どんな女の子より、いや、どんな人より、カズがいい。カズじゃなきゃダメだ。そう思うことは、自然なことだと思う。
 不安なのは、カズが自分の心を受け入れてくれるか、ということ。カズが自分と同じように想ってくれる可能性は、すごく低い気がする。昭栄は別にどうとも思わないが、やっぱり男同士なんて、一般的にはおかしなことだし。特にカズは意外と古風なところがあるから、好きだなんて言ったら嫌がるのではないだろうか。
 たとえ振り向いてくれなくても、この気持ちが変わるわけじゃないけれど。
 ずっとずっと、カズが世界で一番好きに決まっているけれど。
    だからこそ、不安になる。
「ショーエイ!!」
「はいぃっカズさんすんません!!」
 突然の大声に驚いた昭栄は、条件反射で頭を下げる。その勢いに、カズの方が驚いた。
「なっ……なん?俺に謝るようなこつでもあったんか?」
「え、いや、なんも……。」
 ハハハ、と引きつった笑いを浮かべる昭栄を、カズはしばらく不審そうに眺めていたが、ため息をついて目をそらす。
「呼ばれとーぞ。」
 見回すと、全員の視線が自分に向いている。手にはそれぞれビブス。いつの間にかチーム分けが発表されていたらしい。この様子だと、自分が最後だ。
「高山、お前は白たい。よかな?」
 監督の言葉にうなずこうとしたとき、ふと目に入ったのは。
「え、カズさん、そのビブス……」
 昭栄を見上げたカズは、不敵に笑う。紅いビブスを着て。
「今日は容赦してやらんぞ?」



 風呂あがり、バスタオルで頭を拭いていたカズに、昨年もチームメイトだった少年が声をかけた。
「結局功刀のチームは二勝一敗か。まぁお前は失点しとらんし、今年も頼もしかな〜。」
「悪かったな、俺は一勝二敗の頼りなかキャプテンで。」
「お、なら俺が一番頼もしか。三勝しとーもんね〜!」
 カズの隣に立っていた城光と少年が笑い合う中、誉められたカズが、バスタオルから顔を出した。
「……つまらん……」
 おどろおどろしい声に、見るとカズの目が据わっている。
「え……なし怒っとーや功刀……?」
 負けたから?続く少年の言葉は、カズの悪魔のような眼光の鋭さに掻き消える。怖い。目を合わせたら死んでしまいそうだ。
「なん?あいつの、あの、ふぬけた動きは……!!」
 震える語尾が、怒りの深さを物語っている。
「何のために今まで俺が教えてやったと思っとーやあのアホがぁーーーー!!」
「それは俺らに言っても仕方なかやろ、カズ。」
 呆れ顔の城光が、引き絞られた可哀想なタオルをカズの手から救出した。


 頭まで布団をかぶって、昭栄は今日のことを考えていた。
 初めてカズとチームが分かれた紅白戦。結果は2−1で、白の勝ち。白の二点は、後半カズと交代で入った二年生GKからもぎとったもので、結局カズは無失点。しかし試合後、
『ふざけんな、いい加減にせろ!!』
 言い捨ててカズは不機嫌にグラウンドを後にしてしまった。GKの少年は慌てて謝りに行ったが、昭栄はカズが失点を怒っているのではないとわかっていた。やはりその通り、帰ってきた少年は、よく粘ったと逆に誉められたらしく首を傾げていた。
 カズが怒っているのは、自分に対してだ。自分があまりにもふがいないから。
 今日の自分は、不思議なくらいにだめだった、と昭栄も思う。昨日の自分はいったいどこに行ってしまったのか。失点が1ですんだのは、城光たちチームメイトの奮戦のおかげである。
 スポーツは、メンタルが大きくものをいう。昨日の自分は悩みなど持っていなかったから、そのせいもあるかもしれない。けれど、もっと大きな原因が、ある。
    俺、カズさんが指示してくれんと、何にもわからん……
 なんて情けない。カズの厚意に甘えきって、うまくなった気になっていたなんて。恥ずかしくて、ぎゅっと目を瞑り、布団の端を握り締める。
「情けなか……!!」

「ほんとに情けなかやなぁお前は。」

 声とともに、掛け布団の上にドスっと重みが加わった。反射的に重い、と言おうとして、やめる。あんまり重くない。この体重と、声。間違えようもない。
「カズさん……どげんしたとですか?」
 布団の下、カズの下敷きになったままの昭栄の声はかすれていた。泣いたのかな、と思って、カズはちょっと困った。
「べーつにー。よかソファー見つけたとやけん、座っとーだけたい。ばってんちょっと硬かやな。」
 昭栄は黙ったまま、じっとしている。カズも上に座ったまま、口を閉ざす。何を言うべきかわからないときは、何も言わない方がいい。ただそばにいるだけがいいときもある。そう城光に教えられたから。
「カズさん……ごめんなさい。せっかく……」
 やっと出た言葉は、そこで途切れてしまった。こんな小さい声では聞こえなかったかもしれない。黙ったままのカズに昭栄が不安になったとき。
 ぽふぽふと音がして、布団の上から頭をなでられていることに気づいた。
「ほんとにな。この俺があんだけ教えてやったこつ全部忘れやがって……俺がおらんと何もできんじゃ、選抜には残れんぞ!」
 怒った口調と優しい手が、昭栄の心を暖めてくれる。されるがままに目を閉じていると、カズの声音が、まるでなだめるように優しくなった。
「よか?お前には才能がある。努力もした。お前はちかっぱ成長しとーよ。」
「……でも、何も、できんかったとです。」

「それがお前の弱さたい。よかったな、今日のうちに見つかって。」

「え……?」
 予想外の言葉に戸惑う昭栄に、カズが続ける。
「明日も、今日と同じチームでやる。その意味がわかるか?監督はお前に期待しとーよ。お前が弱点ば克服してくるんを待っとー。お前の成長は、九州選抜の成長たい。」
 すごいことを言われている。カズが他人をこんなに手放しで誉めることはそうない。わかってはいるけれど、昭栄は気落ちした。克服と言われても、どうしていいかもわからないのに。ましてや選考は明日だ。どうしようもないではないか。
 心を読んだように、カズの真剣な声が響く。
「今まで自分がやってきたこつば信じてやれ。それだけの努力はしとー。俺が保証したる。ショーエイ、俺んこつも信じられんか?」
 その言葉に、昭栄がゆっくりと起き上がった。カズと向き合って、その瞳を見つめる。そこにあるのは、いつも通りに透明で力強い、自信。昭栄が世界中で一番信じているもの。
「……信じます。カズさんこつ信じとー。やけん、カズさんが信じるもんは、俺も信じる。」
 やっぱり自分はカズに甘えている。それでもカズが笑ったから、昭栄も笑った。
「本気のお前と対戦するんが、楽しみたい。明日はがっかりさせんなよ?」
 そう言って部屋を出て行ったカズの不敵な笑みは力強くて。昭栄になにがなんでもがんばる、そのための強さを与えてくれた。




 最終選考の朝。二色に分かれ、それぞれのコートへ少年たちが散っていく。前を行くカズが、振り返らずに行った。
「本気で来んや。」
 その声には、まぶしいほどに自信が溢れている。だから、昭栄も振り返らない。
「もちろんですたい。」
 カズが見ている前で、恥ずかしいことなんてできない。