生まれたときから一緒にいるから、お互いのいない世界なんて知らない。
水魚
「カズ、そげん言い方じゃ誤解されるだけって言っとーやろ?仕方なかね……」
「ヨシがキャプテンの癖に甘かこつ言っとーけんいかんっちゃろ!俺がこげん怒鳴らんといかんのは誰んせいとや?」
普段の城光とカズは、まさに飴とムチの役割をこなしチームを引っ張る二人である。城光は別に飴というほど甘くはないが、キツいカズとうまくバランスをとっている。
お互いに対しても、信頼するからこそ、城光はカズに甘く、カズは城光に厳しい。そうしてうまくやっていたのだが。
九州選抜選考合宿、始まって以来の大事件が起きている。狭い合宿所に漂う空気は氷点下、吹雪が吹き荒れ、二つの台風が大暴れしている。夏と冬の辛いところが同時に展開しているほどに、とにかく大変な事態なのである。
城光とカズが、喧嘩した。
きっかけはひどく些細なこと。カズが昭栄を殴っていた。いや些細ではないのかもしれないが、とにかくそれが合宿内では見慣れた光景になっていたことは確かで。
いつもならば城光も苦笑して見ているのだが、なぜかこの日は違った。
「こらカズ、やりすぎたい!タカに謝らんね!」
一体何を言い出すのか、と昭栄でさえぽかんとした。ちょっと殴ったぐらいで、いや確実にちょっとではなかったのだが、とにかくカズが謝るとはとても思えなかった。
「ヨシ……?」
当のカズは睨み返すでもなく、きょとんとしながらも、城光が思わぬことで怒っているので不安そうな表情で。
「よっさん、そげん怒ったらカズさんがかわいそうたい!別によかですけん!」
昭栄はといえば、そんなカズを見て慌ててしまい、なぜか殴っていたカズをかばう。しかしその行為は火に油で、城光はますます怒ってしまった。
「タカ、お前はカズに甘すぎたい!カズ、せめて一回ぐらいきちんと謝ったれや!」
正直城光に言われたくない、というつっこみはカズと城光には届かなかったようで、ここから雲行きが怪しくなり始めたのである。
「……なし、ヨシが怒ると?ショーエイはよかって言っとーもん、嫌。」
「悪かこつしたら謝るんは当たり前っちゃろ。そげんこつもできんと?」
「ヨシには関係なか!!嫌って言っとーやろ!!」
「謝れ!!」
「嫌!!」
幼馴染同士の、まるで駄々っ子と母親のような言い合いは誰も口が挟めないまま、城光が最終通告を下して冷戦へと突入した。
「カズがきちっと謝るまで、俺は口きかん!!練習も入るな、隅で見とれ!!」
……くだらない。それ以外に言葉が見つからない。正直あきれてしまうが、巻き込まれる合宿メンバーにとっては、それではすまない問題なのである。
サッカーがしたくて半泣きになりながら、それでも意地になって謝らないカズ。
宣言以後、練習が半分終わりに近づいても、カズに視線すら向けない城光。
カズを心配しながらも、城光にカズのためだと言われ、どうにも動けない昭栄。
とにかく、もう居心地が悪くてしょうがない。そんな雰囲気で練習に身が入るわけがなく、カズと城光は珍しく罰走を言いつけられた。
カズは走りながら、自分より一回り大きい城光の背中を眺めていた。いつの間にこんなに体格に差がついてしまったのだろう。個人差がある上に、ポジションの違いからどうしても変わるものはあるけれど、距離が遠くなってしまったようだ。自分には見えない世界が見えているのなら、このままいつかは離れてしまうのだろうか。
いかん、なん弱気になっとーや!!
自分の悪い癖だ。他には何一つ怖いものなどないけれど、城光の無言の背中だけは、不安になる。子供みたいで嫌なのに、これはどうしても変えられない。
ヨシは、俺の一部みたかもんやけん……
こんな風に喧嘩するのは初めてだった。振り向いてほしい。せめて一言、声をかけてほしい。けれどかたくなな背中は、一度も振り向いてはくれなくて。
もし自分から手を伸ばせば、受け入れてくれるのだろうか。
城光は走りながら、少し後ろを走るカズの足音を聞いていた。軽い音だ。呼吸のリズムとぴったり合って、周囲に響いている。小さく思えるその体は、つい過保護にしてしまうけれど、そんなに弱くない。こうして自分の後ろをしっかり走っている。
カズは、強か男たい。
その心も、今はまだ子供のまま、自分とサッカーしか見ていないけれど。もっと広い世界に出れば、カズはいくらでも前に進んでいくだろう。
タカの存在は、よかきっかけになる。
いつまで、こうして手を引いてやれるだろうか。できるなら今すぐ振り返って、笑いかけて、安心させてやりたい。でもそれは、カズをいつまでも自分の元へ縛り付けることにしかならないのだ。
本当は、寂しいから。それでもいいとか、思ってしまうけれど。
手を伸ばしてくれるまで、カズが自分から踏み出すまで、絶対に……
「……ヨシっ……!」
ユニフォームを掴む力は強くなかったけれど、思わず足を止めた。
足は止まったけれど、前を向いたまま、城光は何も言わない。こうして人を自ら求めたことなど、今までなかった。手を伸ばすだけで精一杯だ。情けないけれど、カズにはもう、どうしていいかわからなかった。
「……まだ、怒っとーんか……?」
絶対に昭栄や他のチームメイトには聞かれたくない、情けない、子供のままの声が届く。城光は、振り返らない。怖くて、掴む手が震えたとき。
ふっと城光の肩の力が抜けた。
「別に、俺は一度も怒っとらんぞ。」
いつもどおりの口調に、カズの肩からも力が抜ける。ほっとしてうつむいたカズの頭を、帽子の上から城光が優しくなでた。これだから過保護だと言われるのだが、まぁこのくらいはいいだろう、と城光は心の中で言い訳する。やっとカズが自分から歩み寄ることを知ったのだから。
「カズさぁん!!」
罰走から戻ってきたカズは真っ先に、待っていた昭栄に飛びつかれた。驚いて何も言えないでいるカズに、昭栄は鼻水をすすりながらしがみついている。
「俺やっぱカズさんおらんといかんとです〜!ずっと無視しとってすんません、よっさんにも俺が謝りますけん、一緒に練習してください〜!!」
微妙に的外れだが、昭栄なりにこの状況を打開する方法を考えたのだろう。その必死な様子に、カズも、城光も、他のメンバーも、口元を緩める。苦笑しながら、カズが昭栄の背をぽんぽんと叩いた。
「ショーエイ、あんな?」
注目が集まって、何度か口ごもり、少し頬を紅潮させながら、カズは言葉を捜す。その様子は、まさに『もじもじ』として、ひどく可愛らしかった。
がんばれ、がんばれ功刀(先輩)……!!
合宿メンバー全員が思わずキュンときて、心の中でエールを送ったほどである。
「さっきはやりすぎた、……悪か。」
たったこの一言で、沸きあがった感動と歓声と拍手。九州選抜は大変である。
ちなみに、きちんと謝ったカズに誰より嬉しそうだったのは城光で、誰より複雑そうだったのは昭栄である。
だって、これはサッカーと城光を懸けての謝罪だ。別にそもそも謝ってほしいなどとは思ってもいなかったけれど、何かが違う。そんな気がする。
カズがあんなにがんばって謝ってくれたことは、驚いたしやっぱり嬉しかった。それでも湧き上がる、この気持ち。
なん、この敗北感は……(泣)
閑話休題的に、「よっさんとカズさん」パート1。
水魚の交わり。お互いがお互いに水であり魚でもある。そんな二人が好き。