「カズで、よか。」
たった一言で自分をこんなに幸せな気持ちにさせるこの人は、本当にすごいと思った。
芽吹き
三日目の午後、合宿メンバーはぽかんと口を開いたまま、ある光景を眺めていた。
「違う!!このへたくそ、さっきも言ったとやろ!?」
「すんません〜ばってん何が悪かなんかよぅわからんとですよ〜」
「あーもう、よか!こっち来い、あのな、……」
一体、何が起こっているのだろうか。ほんの数時間前までは、「高山」と言っただけで機嫌の悪かったカズが、その昭栄に直々に指導している。しかも結構丁寧に。
「なるほどぉ!!功刀先輩すごか〜!!」
「アホ、こんぐらいすごくもなんともなか!」
「そげんこつなかですよ。功刀先輩ちかっぱかっこよか〜!」
「なん……そ、そげんこつ言っとー暇あったら練習せろ!!」
「いでっ!」
一体、何が起こったというのだろうか。初対面でボコボコにされてから、カズを怖がって近寄らなかった昭栄が、どんなに殴られても怒鳴られても、カズの後ろをついて歩いている。しかもとても楽しそうに。口を開けば「功刀先輩すごか、かっこよか」である。
ここ数日、驚かされっぱなしだが、これにはもう本当に驚いた。あんまり驚くと、人間は言葉が出ないものなんだなぁ、と少し遠い目になる者もいる。唯一驚いていない城光はと言えば、楽しそうに笑っている。
「あいつら、犬と飼い主みたかやな。」
呑気ですね、キャプテン。
「カズ、タカは面白か奴やろ?」
まとわりつく昭栄を振り切って、昼寝に向かおうとしていたカズを、城光が呼び止めた。振り向けば微笑んだ視線とぶつかって、カズはつんと横を向く。
「別に……」
照れ隠しの憎まれ口が途中で止まった。見ると、視線の先には、昭栄。カズを探しているのか、きょろきょろしながら歩いている。声をかけようか、睨んでくるカズを見ながら思案していると、その城光より先に、数人の合宿メンバーが昭栄に声をかけた。誰だ?という表情のカズに、二年だ、と城光が教える。
「あれ、高山。なんぞ探しとーと?」
「あぁ、功刀先輩に練習見てもらおうち思って。見てなか?」
やっぱり、と頭を抱えたのはカズで、城光と二年生たちは苦笑した。
「見てなかやけど……なぁ高山、なしそげん功刀先輩になついとーや?」
「?なしって、……?」
「すごか人なんはわかると。ばってん、なんか、怖くなか?」
「昨日からずっと殴られとーに、お前にこにこしとーし……」
「言葉もキツかやし、なぁ。言っとーこつは正しかやけど、やっぱ怖かやん?」
なんだか気まずい流れになってきて、カズはどうしようか、と城光を見る。しかし城光は、感心したような顔で話に聞き入っていた。仕方なく、カズもそのままそこに残る。
聞きようによっては悪口とも取れるが、カズは別に気にしていなかった。二年生たちの口調は、悪意というよりは戸惑いが色濃かったし(だからこそ城光も黙って話を聞いているのだが)、もっとひどいことを言っている奴はたくさんいる。また、そう自覚している程度に、カズはあえてきつく振舞ってもいた。
選抜は部活とは違うもんたい。のんびりやりたか奴に付き合っとー暇はなか。
「功刀先輩は上を目指しとー人とやし、厳しかなんも当然じゃなか?」
そう、俺はNo.1GKになる男たい。よぅわかっとーやなか、か……
「それに、ぶっきらぼうなんは多分性格だと思うと。素直に言えんと、キツかこつしか言えん人って思う。ほんとは優しか、よか人たい。」
……?
まず見たのは、城光。しかし城光は自分の隣で、自分と同じ驚いた顔をしている。
「俺は功刀先輩んこつちかっぱ尊敬しとーよ。あの人に認められるんが、俺ん目標たい!」
まっすぐな目で、力強く笑って。臆面もなく言い放っているのは、ほんの三日前に知り合ったばかりの、しかも昨日見直したばかりの、一人の後輩。
「……〜〜〜っ!!」
いたたまれなくて逃げ出したカズの背を見送って、城光は満足そうに微笑んだ。カズを理解してくれる人間が増えるのは、嬉しい。いつまでも自分だけがそばにいるのでは、カズのためにならないから。
「あれ、よっさん!にこにこして、どげんしたとですか??」
「おぅ、タカか。別に何でもなかよ。」
二年生たちと別れて、こちらに気づいた昭栄が寄ってくる。緩む口元を隠して答える城光に首をかしげたが、すぐに昭栄がそわそわとしだした。
「よっさん、功刀先輩どこか知っとーとですか?」
「さぁ……どっかで昼寝でもしとーんじゃなかか?」
「昼寝、ちこつは……!」
思い当たったのか全速力で駆けていく昭栄が本当に犬に見えて、城光は久々に腹を抱えて笑った。一人で爆笑するキャプテンを見てしまった通りがかりのチームメイトは、
……俺、こげん選抜でやっていけるとや……?
正直、選ばれたくないとまで思ってしまった。かわいそうな少年である。
気持ちのいい木陰に横たわったカズは、目を閉じて眠りの訪れを待っていた。こういうときに限って眠れないもので、仕方なく目を開ける。
らしくない。らしくないのは、きっとひどく驚いたからだ。こんな短期間で、内面まで見透かされるみたいな、そんなことは今までなかったから。しかも、あんなアホに……
寝返りを打って、もう一度目を閉じる。これ以上考えていると、なんだかおかしくなりそうだった。どんどん自分らしくなくなっていく。寝てしまおう、と、思ったのに。
やっぱりこういうときに限って、邪魔が入るのである。
「功刀せんぱ〜い!!」
あぁ、やっぱり来たよ……。
「ちかっぱ探したとですよ!先輩?寝とーとですか?起きて〜!!」
「……っこのっ……せからしか!!」
反射的に繰り出した裏拳が顔にめり込んだが、
「いだぁっ!ひどか〜!!」
それだけかよ、とさすがのカズも、昭栄の不死身っぷりに力が抜けた。底なしのHP。ゲームのラスボスだったなら、訴えられるのに。カズは思わず思考をそらしてため息をつくが、むしろ自分が訴えられても仕方がないのでは……。
「で?何の用なん?」
「ハイ!今日も練習見てください!!」
「……ほぅ、よか心がけたい。」
にっこり。カズに微笑みかけられて、昭栄が感動で顔を輝かせる。しかし次の瞬間、カズの拳が昭栄の頭に炸裂した。
「アホんだろ!!ボールなしでどげんして練習すっとね!?」
「え、あ、あれ!?俺のボールどこ行ったとー!?」
「俺が知るわけねかろうが!!」
あぅ、と沈み込んだ昭栄に、仕方ないので一緒に探してやろうと思ったら。
「じゃぁ、俺も功刀先輩と休憩すっと!」
カズの隣にぴったりくっついて座り込んだ昭栄は、一転して、何がそんなに嬉しいのか不思議なほど嬉しそうな笑顔。
「なん、あっち行け!暑か!!」
「えへへ、やですよ〜。」
「……お前なぁ……ボールはどげんすっと?」
突然真顔になった昭栄が、すぐそばでカズをじっと見つめる。あまりにもころころと表情が変わるのについていけなくて、カズは今度はなんだ、と身構えた。
「功刀先輩……」
「な、なんね……?」
真剣な空気に、カズがごくりとつばを飲み込む。
「ショーエイ、って呼んでほしか。よかですか?」
はぁ?
「お前、なんて、なんか寂しか〜!俺功刀先輩んこつちかっぱ尊敬しとーのに!だけん、ショーエイって呼んで?」
ね?とカズの目を覗き込んでねだる昭栄に、カズは呆れを通り越してめんどくさくなった。アホすぎて、もう、ついていけん……。
「あー、よか。もう好きにしたらよか。勝手にせろ。」
「じゃあ呼んでください!」
「あ!?今ここでか?」
「モチロンですたい!!」
別に呼び名を変えるだけで、何の他意もない、はずなのに。期待に目を輝かせる昭栄に、こっちが恥ずかしくなってくる。しかし、やっぱやだ、は許されそうにない空気である。
「えぇと……あー……」
あぁもうめんどくさかな。大体呼び名一つでなしこげんうるさくされとーや?つーかなしこれしきで照れとーや自分。顔近か暑苦しかじっと見んな!あぁもうなんでもよかやけん解放されたかとりあえず呼べばよかとやろ!!
「ショーエイ、うざかあっち行け!!」
「はい〜やです〜!!えへへっ!!」
「アホぉ!!」
「いだーっ!」
そこでカズはもう一発殴ろうと振り上げた手を、止めた。うずくまって頭を抱える昭栄の向こう側、広がる草むらの一角に、何か白と黒の、丸い…
「ショーエイ、あの草んとこ、ボールあっとやぞ。」
とたんに飛び起きて、ボールの元へ走る。拾い上げて俺のボール!!と叫びながらまた戻ってきた。
「功刀先輩、あったとよ!!俺のボール!!ありがとうございまっす!!」
さっきまで忘れていたくせに、満面の笑みでボールを蹴って、座ったままのカズの周りをぐるぐる回る。
まんま犬やな……
笑いがこみ上げてきて、必死でかみ殺すが、わーいわーいと走り回る昭栄の声が笑いをどんどんあおる。肩が震えて、もうだめだ、と諦めた。
「…っは、アホ…っはは、苦し……くくっ」
笑うカズに、昭栄が驚いて動きを止める。しばらく笑い続けて、目元に浮かんだ涙をぬぐいながら昭栄を見ると、ぽかんと口を開け、じっと自分を見つめて立ち尽くしている。そのアホ面にまた笑いそうになりながら、カズも立ち上がる。
「おら、アホ犬。練習すっと。お前がうまくなれば、九州選抜はもっと強くなるとやぞ。」
「く、ぬぎ、先輩?」
歩き出すカズの背中を追いかけようと踏み出した昭栄に、背中越しにカズが言う。
「……なん、改まっとーと気持ち悪かやな。」
「き、気持ち悪かって……」
ちょっとへこんだ昭栄をちらっと見て、カズが笑った。
「ショーエイ、お前も、カズでよかよ。」
すたすたと歩いていってしまう背中を見て、カズの言葉を心の中で何度も繰り返す。今、何て言った?カズでよか、って、何が、どう、カズで……
つまり、「カズ」って呼んでいいってことですか!?
気づいたら、いてもたってもいられない。必死でカズの背中を追った。だって、カズって呼んでいる人は、自分の知る限りでは、城光だけなのである。カズでいいってことは、幼馴染で親友の城光と同じくらい、特別ってことなのではないか!?
「カ、カっ……カズさん!!」
大きな声で呼び止めると、カズが振り返る。いたって普通の顔色で、
「なん?そげんデカか声出さんでも聞こえとー。」
普通に応えてくれた。いいんだ!カズさんでいいんだ!!昭栄は飛び上がらんばかりに喜んで、カズのそばに駆け寄る。尻尾があったら、振りすぎて千切れただろう。
「カズさんっ!俺、がんばってうまくなります!選抜残って、そんで、将来は絶対No.1DFになるとですよ!!」
No.1の単語に、カズがにっと笑った。その目には、面白がる気持ちと、少しの期待。
「それは楽しみたい。そうなってくれれば、俺も鼻が高か。がんばれよ。」
「……っはい!!」
嬉しい。どうしよう、すごく嬉しい。この人が喜んでくれるなら、もっともっとサッカーがうまくなりたい。それで笑いかけてくれたなら、本当に嬉しい。
あれ?と昭栄は首をかしげた。なんだろう、この気持ち。まるで、こんなの……
「ショーエイ、どげんしたと?そろそろグラウンド行くぞ。」
カズのまっすぐな目が、自分を見ている。不思議そうなその表情に、熱くなる耳を無理矢理思考の外へ追いやって、
「は、はい!カズさん待って〜!」
前を行くカズの背を、いつものように追いかける。気づきかけている自分には、今はまだ目をつぶっていたいから。