ここまで何もできないとは思わなかった。
けれど、不思議なことに、諦める気にはちっともならなかった。
雪解け
選考合宿の初日、説明のために集会室へ現れた尾崎豊監督・別名狸(非公認)が最初に見た光景は、というと。
そっぽを向いて肩を怒らせ、腕を組んで立つ、九州一のGK・功刀一。
その足元にノックダウンされた、期待の新人・高山昭栄。
もう俺は知らん、といった顔でカズの隣に立っている、名スイーパー・城光与志忠。
対応に困り果て固まっている、その他合宿メンバー。
あぁ、またやったんだ功刀。
不穏な空気の漂うその光景に、監督が思ったことはそれだけである。特にコメントなく壇上に上がり、ぽんぽんと手を叩いて注目を集める。
「こん合宿の説明ばすっと。まず今日は体力テストたい。明日は技能テスト、本格的な練習は三日目から。選抜ん発表は最終日にすっとやけん、気ぃぬかんとがんばれや〜。」
え、いいの?それでいいの?何にもないの!?と、今年初参加の選手たちはひどく戸惑ったが、話はよどみなく流れていく。尾崎豊監督はそういう人間であり、九州選抜とはそういうものなのである。合掌。
その日の夜、合宿メンバーは驚きに沸いていた。話題はといえば、高山昭栄の体力テストの結果である。城光よりも体力があり、カズよりも瞬発力が高かった。誰よりも高い跳躍。足も速い。背も高ければ顔もいい。最後の方は関係ないが、とにかくすごい。
あんなすごい奴が、一体今までどこに隠れていた!?
その疑問は、本人と、そして唯一の知り合いの城光がそろって監督に呼び出され不在のため、解決されないまま膨らんでいく。もはや話題に加わっていないのは、早々に割り当てられた部屋へ引っ込んでしまったカズだけである。
そのカズの部屋を、好奇心に負け、訪ねた勇者もいたのだが。
「なぁ功刀、ヨシと幼馴染とやろ?なんぞ知っとーか?」
「あ゛?何をじゃ」
「……え、いや、その……」
「はっきり言わんや、何ち聞いとーやろうが、あ゛?」
「……(目ぇすわっとー…)高山しょ」
「知るわけねかろうがアホんだろーーーーーーー!!」
蹴り出された上に鍵までかけられて、同室の者は、同じく同室の城光が戻ってくるまで廊下でシクシクと泣いていたという。
二日目の夜、やはり合宿メンバーは驚きに沸いていた。話題もやはり、高山昭栄の技能テストの結果である。
その結果は昨日とは逆で、とりあえず言えることは、選抜にあるまじきへたくそだということである。部活レベルならまぁそこそこかもしれないが、ここは選抜選考をする場である。このレベルの中では、初心者と言っても差し支えない。
今夜も同様に本人と城光の姿は見えず、カズもやっぱり部屋に引っ込んでいた。昨夜城光に叱られたので、部屋の鍵は閉めなかったけれど。
三日目。本格的な練習が始まり、ますます昭栄はついていけなくなった。トレーニングの間はいいのだが、ボールを使っての練習では、確実に輪を乱す。とうとう怒り出す者も現れて、城光がミーティングを開き、言った。
『うすうす気づいとーやろうけど、タカはまだサッカー初めて三ヶ月の、初心者たい。』
中には三ヶ月の初心者にしてはうまい、と上達の速さに驚く者もいたが、なぜそんな初心者に付き合わねばならない、と怒る者もいる。ここは学校のサッカー部ではない。高いレベルで練習できるのが選抜の醍醐味である。
『ただの初心者が、ここにいるわけがなか。ショーエイはすごか才能ば持っとーよ。』
キャプテンである城光のこの言葉で一応騒ぎは収まったものの、合宿内にはギクシャクとした空気が漂っていた。
そんな中、終始変わらず、他人事のような顔で過ごしているのはカズである。全員が昭栄の下手さ加減に頭を抱える中で、カズは冷たいくらいの無関心で練習を続けていた。
「カズ、驚いてなかやな。知っとったんか?」
尋ねる城光に、カズはうなずく。
「あいつがバスケしとーの、見たこつばある。一昨日まで忘れとったとやけど」
昭栄の走る姿や、高いジャンプを見て思い出した。サッカー以外に興味の薄いカズがその試合を見たのは本当に偶然だったけれど、目立つ奴だと思ったのと、5番をつけながら退場になっていたのを覚えている。
「あいつ、気に入らん。」
つぶやいた言葉に、城光が首をかしげる。
「なん、怒っとーと?小さか〜って言われたこつか?」
その可能性は低いだろうとは思いつつ、城光はカズを見る。やはり首を振ったカズは、手の中のボールをじっと見たままである。
「それはもう、殴ったし、よか。……気に入らんのは、あいつにやる気があるかたい。」
「?やる気はあるとやろ。なかやったら、たかが三ヶ月でここまで上達せん。」
城光の言葉に、カズは目を眇める。信用ならない、という表情だ。
バスケをする昭栄を見たとき、確かな運動に対する才能を感じた。昭栄はどんなスポーツもうまくこなせるだろう才能に恵まれている。しかし同様に、荒削りなプレーから、バスケの経験がそう長くないこともわかった。人間関係が円滑にいっていないことも、本人がバスケを心から楽しんでいないことも。
きっと昭栄はサッカーもある程度はうまくなるだろう。しかし、成長には、才能以外にも必要なものは多い。チームメイトとの信頼関係、壁にぶつかっても努力すること、そして何より、サッカーが好きだという気持ち。
短い試合を見ただけですべて見抜いたカズには、昭栄がその気持ちを持ってサッカーを選んだとは到底思えなかった。今はまだ、才能で伸びていけるからいい。それなりにうまくなった時、バスケと同じようにサッカーを捨てるとしたら。
それはカズにとって、許しがたいことだ。サッカーを心底好きな自分たちに、そんな人間が混じっているなんて、絶対に嫌だ。
「カズ……タカはがんばっとーよ。そんだけは認めてやらんや?」
「……ヨシはあいつ、気に入っとーとやな。お前らしか。」
否定も肯定もせず練習に戻って行ったカズに、城光はため息をついた。
昼ごはんを食べた後、結構長い休憩時間に昭栄は驚いた。自分はまだまだ元気だが、暑い中長時間の練習である。体力自慢の多い中でも、やはり体調は不安である。
これなら昼寝しとっても平気たい。
実際多くの者は体を横たえて休息しているようだった。そんなことを思いながら、昭栄はボールを手に、外へと歩き出す。グラウンドの反対方向、合宿所の裏手に回ると、小高い丘と草に囲まれた小さな野原がある。あらかじめ探しておいたそこで、昭栄は自主練を始めた。
正直、これほど実力の差があるとは思っていなかった。一応ショックも受けたし、少しは落ち込みもした。初心者のくせに、という目はやっぱりうざったくて……
でも、どうしてだろうか。バスケのように、うんざりだとか、もういいや、という気持ちは少しも湧いてこない。むしろもっともっと、うまくなりたい。サッカーを続けたい。そう思っている。
サッカーは、他のスポーツと何が違うのだろうか。自分でも不思議なほどに、サッカーに固執している。好きなチームや選手といった思い入れがあるわけでもない。
どうしてサッカーなのか?何が自分を駆り立てているのか?
ふと、この合宿に来るときに感じていたものを思い出した。いつも胸のどこかにひっかかっている、その何かがわかれば、それがこの答えとなるのかもしれない。掴みかけているような、少しは近づいたような、そんな気がするのだけど。
そこまで考えたとき、急に脳裏に、迷彩の帽子からのぞく冷たい視線が浮かんだ。なぜか胸がズキッと痛んで、足元が狂う。リフティングをしていたボールは、素直に遥か彼方へ飛んでいった。慌てて目で追った、その先に。
「なん、リフティングかと思ったら、パスの練習か?」
カズは、趣味の欄に堂々と書き込むほど、昼寝が好きである。特に運動の後の昼寝は気持ちいい。せっかく時間もあることだし、と周囲を歩いて昼寝スポットを探していると、なんとも心地よさそうな小高い丘の木陰を発見した。
もうこれは寝るしかない。むしろ寝ろ、と言っている。勝手に納得して、横になるとすぐ、カズは眠りに落ちた。ノビタもびっくりの寝つきのよさである。
しばらくして、ボールを蹴る音にカズは目を覚ました。たいてい起こされると不機嫌になるのだが、そこはサッカーバカ、熱心に練習する音に気をよくする。誰だろう、と音のするほうを見たカズの目が、大きく見開かれた。
癖のある長めの黒髪、眼鏡、中二にあるまじき身長。汗をかいて、じっとボールを見つめリフティングをしているその人は、どこからどう見ても、高山昭栄。
自主練、しとるんか……。
こちらにまったく気づいていない昭栄の様子を、寝そべったまま観察していたカズは、練習中の城光の言葉を思い出した。
確かに、努力していないとは、言わない。正直、昭栄は三ヶ月の初心者とはとても思えない。その上達は才能だけでなく、こうして努力した上でもぎ取ったものなのだろう。
一人、誰も来ないような裏手で、黙々とボールを蹴るその姿は。何の迷いもなくボールを見つめるその目は。
「うまくなりたかって、思っとー目たい……」
自分や、城光、チームメイトたちと同じ気持ち。サッカーが好き、もっとうまくなりたい。そんな気持ちを、昭栄も持っている。
気づいたカズは、とても嬉しくなって、立ち上がり昭栄のほうへ歩いていく。丘を降りても自分に気づかない昭栄に、なんと声をかけようか首をひねったとき。
突然昭栄の視線が揺れて、顔色が青ざめる。足元が狂ったのか、ボールは高く上がり、カズの方へ飛んできた。慌てた視線がボールを追い、カズに気づいて、驚いたのだろう、目が丸くなる。
伸ばした手に吸い付くように収まったボールに、苦笑してカズは言った。
「なん、リフティングかと思ったら、パスの練習か?」
「すっ、すんません……」
ちょっとした冗談のつもりだったのだが、昭栄は気まずそうにかしこまってしまった。今までのカズの態度からすれば当然である。
「あ、あの……功刀先輩、どこにおったとですか?」
「ん?そこん木陰におった。」
「……?そげんとこで何しとったとですか……?」
「……お前、ウサギと亀って昔話、知っとーか?」
知ってはいるようだが、話の関連性が見えないのだろう、昭栄が戸惑って首をかしげる。
「お前はその亀になれるよう、努力せろ。まぁ、俺はそう簡単には抜かせんとやけん、難しか話やけどな。」
昼寝をしていた自分をウサギにかけて、カズなりに昭栄を褒めたつもりだったのだが。
「……???亀??俺足は速かですけど……???」
通じていなかった。
「……もうよか、さっさと練習せろ!リフティングは全部の基本になるとやけん、よか練習たい。お前の課題はな、まず……」
亀の説明をしてほしかったが、カズが熱心に自分の改善すべき点を教えてくれているので、昭栄も真剣に聞く。結局技能面はほぼ全部ダメ出しを食らったが、不思議とショックは受けなかった。なぜだろう、と考えて、気づく。
お前のような奴は認めない、と言葉よりも雄弁に物語っていたカズの目が、今はもう冷たくないのだ。昭栄を、同じサッカーで高みを目指す仲間として見てくれている。
「功刀先輩は、俺んこつ、嫌じゃなかですか?」
勇気を振り絞って聞いた昭栄に、カズはうつむいて、帽子を深くかぶった。
「……努力しとー奴には、別に何の文句もなかやろ。」
戸惑いや不安は、一気に嬉しさで消えた。カズが認めてくれた、ただそれだけで、昭栄は破顔して喜んだ。逆にカズが驚くほどの幸せそうな顔である。
「じゃあ!これからも、うまくなれるように、教えてくれますか……?」
じっと見つめて返事を待つその様子が犬のようで、カズも思わずほだされてしまった。
「……俺は厳しかやぞ?」
ぱぁっと顔が明るくなって、何度も力いっぱい、昭栄がうなずく。その嬉しそうな様子に満足して、カズは不敵に笑った。
「なら、俺がお前を選抜に残らせちゃる!」
その力強い笑みに、昭栄は感動で震える。こんなかっこいい人、初めて見た。