大好きと大嫌いが、目の前に並んでいる。


宿題


 きっかけは、自分の不用意な一言。
「えー、俺いっつも赤点ばっかですよ?」
 それまでにぎやかだったその部屋は、瞬時に静まり返った。


 選抜合宿では、毎年恒例、夜は全員集まって宿題をする。ミーティングルームが学習室となり、それぞれ好きなところで宿題をこなしていた。カズは窓際に、城光は椅子一つ分離れて、その隣。当然昭栄は、カズの向かい側に座る。
 そうは言っても、中学生の集まりである。ノートや教科書を開いてはいるが、話し始めれば止まらない。城光も時々顔を上げて、話に加わっていた。もともとは、チームワークを養う目的もあって恒例となっているものなのである。
 話題がサッカーから期末テストに移ったとき、誰かが苦笑しながら言った。
「俺、今回悪かやった。平均いかん教科あって、やばかよな〜……」
「あー、今回は仕方なかよ。難しかもん、範囲。」
 同じ学校らしい少年が笑う。そういうときもあるよな、と少年たちが口々に言う中で、昭栄の言葉は浮いていた。
いっつも、赤点、ばっかり?
 宇宙人を見た武士のような顔の少年たちに、昭栄が慌てていると。それまで一度も問題集から顔を上げなかったカズが、ゆっくりと昭栄の方を向いた。
 シバラクオマチクダサイ。

 九州選抜とは、真面目な性格と強靭な体力が自慢の者の集まりである。その特徴は勉学にも生かされて、多少の個人差はあるものの、代々サッカーだけでなくそこそこの学業成績も誇っている。しかも合宿において学習を取り入れているので、長期合宿を計画しても、学校側に嫌な顔をされないのが特徴だった。
「その九州選抜に、いっつも、赤点!ばっか!!やと!?」
 未だ怒り冷めやらぬカズと、
「それでは困るとやぞ、タカ。笑っとー場合じゃなか。」
 微笑が恐ろしい城光。
「「この夏休みで、復習せろ!!」」
 そんなわけで、昭栄の前に宿題と教科書と問題集の山ができあがった。


 でも、悪いことばかりじゃなかった。
 なんとカズが、指導役を引き受けてくれたのだ!!
 しかも、気が散るからと二人で別室学習になったし。狭い部屋で一つの机に向かい合って座っている、この状況は。
 これはちょっと、いやかなり、おいしいかもしれない。
 そっと目を上げて、問題に没頭しているカズを見る。伏せられた長いまつげが、黒い瞳を半分隠している。頬杖をついて、ちょっと唇を尖らせたその表情は、どことなく幼い。いつ見ても、細い首に華奢な肩だ。コートではあんなに頼もしいのに……
    あー、カズさんかわいか〜。
「なん見とーや?」
    うわぁ、上目遣いたい。かわいか〜!
「……?できたと?」
    そ、そんな体ば乗り出したら、髪が顔に!!よか匂いが……
「一問も解けてなかくせに何デレデレしとーやアホんだろぉ!!」
「いたい……(泣)」


「あのー……聞きたかこつあるとですけど、よかですか?」
 次の日の夕方。食堂に集まっていたカズ以外の三年は、昭栄の言葉に振り向いた。ちなみにカズは部屋でお昼寝中である。いつものようにまとわりついていた昭栄は、起こしたら殺すとすごまれて、部屋から蹴り出された。
「なん?勉強ならカズが一番できるとやぞ〜?」
「やっぱりカズさん頭よかなんですか!!」
 素早く疑問を把握し、ポイントを押さえた問題を選び出し、ヒントを与えながら自力で解答に辿り着かせる。たった二時間教えられただけで、わかった。あれほど正確で的確な指導は、頭の回転が速くなければとてもできない。やはり全員が、何を当然なことを、といった顔でうなずいた。
「カズはうちん学校で五位以下に落ちたこつなかやぞ。」
 あまりにもあっさりとした城光の声音に一瞬聞き流しそうになった昭栄は、一拍遅れて目をむいた。
    あれだけサッカーに打ち込んでいて、五位!?
「ヨシだって同じやぞ。十位はキープしとーっちゃろ?」
 続く衝撃に、昭栄の心臓は止まりかけた。二人の通う学校は公立ながら文武両道の有名校である。昭栄の通う私立校とは、特に学業においては天と地ほど差があるのだ。二人が何をしてその成績を保っているのか、昭栄には全くわからない。
「まぁ順位はともかく、赤点はひどかな……。」
「せめて平均点はとっとかんと。」
「たまに調子悪かなんはあるとやけど、いっつもはなぁ。」
「つーか、赤点なんぞとったこつあるか?」
「「「あるわけなかやん!!」」」
    え、なにここ。秀才選抜?
 目の前の集団から発せられる知性の輝きに、一人場違いな昭栄はめまいを覚えた。自分のレベルが低すぎることには、気づいていないらしい。幸せな脳構造である。


「カズさぁん……ここわからんとです〜。」
「あ゛?どれや?」
 指差された問題を見るなり、カズの鉄拳が炸裂した。
「アホ!!こげん問題ができんか!?基礎中の基礎やぞ!!授業きっちり聞いとったんか!?」
「聞いてもわからんですもん〜!!」
 情けない昭栄に、カズは頭を抱えてため息をついた。アホだアホだと言ってはいたが、まさかこれほどだとは思わなかった。本気で心配になってくる。
「お前……サッカーやっとー余裕あるんか?これで進学できると?」
「ひ、ひどかですカズさん……。」
 しょぼんと肩を落とした昭栄の姿があまりにも落ち込んで見えて、カズは仕方なく覚悟を決めた。一度引き受けたのだから、せめて人並みに宿題がこなせるまででも、面倒見てやるしかない。
「ショーエイ、お前やる気はあると?」
「……は、はい!!バリやる気あるとです!!」
 こくこくとうなずく昭栄に、カズはにやりと笑んだ。
「なら、俺が本気で教えちゃる。ばってん……俺の言いたかこつ、わかっとーよなぁ?」
遅れをとれば、死ぬものと思え。

「最近タカ、やつれとーよなぁ……。」
 休憩中にぽつんとつぶやかれた言葉で、全員の視線がグラウンドに向けられた。そこには個人練習をする昭栄とそれを指導しているカズの姿。
 最近の昭栄は、早朝から夕方まで厳しい選抜の練習をこなし、休憩返上でレベルアップに励み、夜には宿題の山と格闘していた。しかもその全てに、
「ゴラァ!!誰がそげんこつせろって言ったとや!?このアホがぁ!!」
 カズのありがたーいお説教と、少々激しい指導が入る。間髪置かずに繰り出されるこぶしや蹴りは、何よりも容赦なく昭栄の体力を奪っていた。
「そりゃ、やつれもすっとよ……。」
 めげずにカズの後をついてまわる健気な昭栄に同情しながらも、誰一人としてそれ以上は口を出そうとしない。
 昭栄のことはカズに任せれば大丈夫だ。昭栄はカズにべったり懐いているし、カズも何だかんだ言いつつ、昭栄に期待している。実は責任感も強いし、絶対に悪いようにはしない。
 そう結論付けて、少年たちは目の前の過剰な「教育」から意識をそらした。
    だって、下手に口出しして面倒に巻き込まれたくないし。
 さーて、練習練習。


 今日も夜がやってきた。宿題の山はこの数日でそれなりに減っていたけれど、今日はひどく疲れがたまって頭が全く働かなかった。さすがの体力魔人でも、ここ数日のカズのスパルタはきつかったらしい。
 それでもカズに嫌われたくなくて、必死で問題を頭に入れようとする。疲れたからといってサボっては、わざわざ教えてくれているカズに失礼だ。
 しかし意志とは裏腹に、集中力はどんどん散漫になってきて、問題どころか座っているのすら苦痛になってくる。しっかりしろと頭を振った昭栄に、カズが顔を上げた。
「……ショーエイ?」
 宿題の手を止めたカズに、昭栄も顔を上げる。目の下に浮いたクマに、カズが少し考えるそぶりを見せた。
 少し、無理をさせすぎたかもしれない。昭栄だって人間なのだから、厳しくされてばかりでは疲れる一方だろう。それでは能率も悪くなる。何より大切な練習に支障が出てしまうと、今成長に大切な時期を逃してしまうことになる。それでは、自分が指導している意味がなくなってしまうではないか。
「ショーエイ、今日は休憩しよか?」
 昭栄は慌てて首を振り、必死な表情で問題を読み始めた。疲れきっているくせに、それでも自分の言いつけを守ろうとする昭栄に、カズは苦笑した。
「アホっちゃね、ほんとに……。」
 忠犬の頭をなでてやると、きょとんとした目がカズを映す。子供みたいなその目に、カズも気持ちを和らげた。
    こげん疲れとーもん、仕方なかね。
「ショーエイ、今日はこの問題が解けたら終わりたい。」
「え、で、でもカズさん……。」
 おろおろとする昭栄を、カズは半眼でねめつけた。
「あ゛?俺の言うこつが聞けんとや?」
 乱暴な言葉の中に確かな優しさを感じて、昭栄はへにゃっと笑った。
「……はい、がんばります!!」
 厳しい指導に嫌だと思ったことはないけれど、やはりカズが自分を気遣ってくれたことが嬉しい。疲れはまだ頭に重くのしかかっていたが、この一問だけは確実に解こうと、昭栄は集中力をかき集めて問題に向かった。


「でき、た……。」
 昭栄がそう言ってカズに添削を頼んだのは、20分後。標準レベルの問題としては時間がかかりすぎてはいたが、昭栄は一度もカズにヒントを求めなかった。すぐに投げ出しがちだった昭栄が自力で解いたのだから、これは大きな成長だ。これで答えも合っていれば、何も言うことはない。
 解答を追っていたカズの目が、ゆっくりと昭栄に向けられる。問題集を机に置いて、ため息。
 間違っていたのか、と昭栄は肩を落とした。結構手応えがあったのだが……

「合っとーよ。」

 その言葉に顔を上げると、目の前にカズの顔があって、思わず息を止めた。カズは身を乗り出して昭栄の頭をなでて、嬉しそうに笑っている。
「がんばってやればできるとよ。ちかっぱ疲れとーに、偉かね。」
 満足そうにうなずきながら言うカズは、めったに見られない自然な笑顔を浮かべていて。
「……カズさんのおかげですと。ありがとう、カズさん」
 もうそれだけで、疲れなんて吹き飛んでしまった。

「あ、あのぅカズさん、その、もうよかですけん……!!」
 しばらく嬉しそうに頭をなでられていた昭栄が真っ赤な顔で身を引いたのに、カズは首をかしげた。
 何をうろたえているのだろうか、こいつは。いつも叱ってばかりだから、褒められ慣れていないせいか?
「なん?どげんしたと?」
「ななな何でも、なか、です!!」
 真っ赤な顔を伏せて筆記用具を片付けだした昭栄に、カズはいぶかしげに眉根を寄せる。なんとなく気になるのだが……
    まぁ、別によかか……。
 うろたえぶりは妙だったが、特に不快な気にはならなかったので、それでよしとする。何も言わずに自分も片づけをすませ、立ち上がった。後ろからついてくる、まだ少し顔の赤い昭栄を見上げて、カズは気分よく笑った。
「ショーエイ、今日はしっかり寝とけよ。明日からまた厳しかやぞ!」
 なぜか再び耳まで赤くなった昭栄に苦笑して、カズは大きく伸びをする。遠慮なくあくびを一つして、目尻に浮いた涙をぬぐった。
 今日はゆっくり眠れそうだ。幸せな気持ちで、カズは部屋へと歩きだした。


カズさんは1番が大好きですから、勉強も「部活生の中で1番」目指してがんばってるかな、と。でも正直、5位はないと思います…(笑)
2006.11.17 笛文庫のおまけマンガで学年10位と発覚!!公式で頭脳明晰だなんて嬉しすぎる…!!