*荒闇とは別の設定で、婚姻を題材に、凪の形を書けないか思案してみました。
 結ばれません。壮年な二人が出てきます。



「小十郎……」
 政宗は、忠実なる家臣そのままの風情で、畏まって頭を下げている腹心を見た。
 これが最後の問いかけだ。
「お前は、それでいいんだな?」
 声に、諦めが、悲しみが。思いの内が滲んでしまったのは、仕方のないことと許してほしい。
 ゆったりと顔を上げて、まっすぐにこちらへ向けられた目の、澄みきった色といったら。知っているだろうか、人はそんなに澄んだものの中では生きていけないというのに。
「御意に。」
  あぁ、もう、お前は覚悟を決めたのか。
 魂を、心を、本音を、願いを、人として生きるとき共にある全てを捨てて。本当にただただ右目として傍にあることを。
 緩く目を細めて微笑むその顔は穏やかで、泣きたくなるくらい優しい。
「わかった。全てよきに、計らうように」
 この男は、真なる愛情を確かに持ってくれていたのだ。だからこそ、政宗の求めるままの応えではなかったとしても、何よりも政宗のためになる答えを選んだ。
 政宗も、それがわかっていて、覚悟を決められない男ではなかった。

 かくして、伊達家当主、藤次郎政宗の婚儀はしめやかに執り行われたのである。



 母屋の庭先から、賑やかな空気が伝わってくる。若い男たちの熱気だ。
「小十郎、邪魔すんじゃねぇ!ちっとくらい息抜きしたっていいだろうが」
「ちょっとで済むなら私もここまで言いませんがね。何日分の政務が溜まっているとお思いか!」
「るせーなー…あんま口うるさいと備中に言いつけるぞ」
「言われて困るのは貴方様だと思いますけどね……ほら、行きますよ」
 筆頭、筆頭と男たちに取り巻かれている青年を、少し年上らしい男がたしなめる。青年のまだ少年の域に近いようなやんちゃな身振りに、困りきった表情でため息をついた。
 当代筆頭を継いだばかりの現当主と、その傅役であり近侍の、最近よく見る光景だ。
「Ah……おい、備中。お前の息子大丈夫か。胃痛で死にそうな顔してるぞ」
 ひょいと顔を出してその様子を見ていた先代が振り返って言うと、静かに書物へ目を通していた彼の片腕は、軽く眉を持ち上げた。
「愚息に御心を砕いてくださるのはありがたいですが、それを貴方様が仰いますか」
「何だよ、俺ってあんなだったか?」
「ご自覚がないとは仰いますまい。」
 涼しい表情で言ってのける備中に、カラカラと笑った先代は、手にした湯のみをゆっくり傾ける。
「うん……やっぱお前の茶が一番うまいなぁ」
 至極のんびりした先代の声音に、備中もその眉間を緩めて目を伏せる。
「生憎俺の天下にゃならなかったが、日ノ本は太平。こうして奥州でゆったり茶ぁ飲んだり詩歌に励んだりできる毎日っていうのも、悪くねぇもんだな」
「それもこれも、先代様のご英断あってのこと。この備中も、こうして心置きなく主に茶を淹れてさしあげることのできる日々は、殊のほか気に入っております」
 互いに野心をぎらつかせて刀を握っていたのは、そう遠くない頃だったのだが。特にこの備中などは、我が主を高みへと導くためならば鬼にもなろう男だったというのに。
 空になった湯のみを引き受けて、代わりに練りきりの皿を置いていく無骨な手の先を、ぼんやりと追いかける。
 手にも顔にも、皺が増えた。体つきも、以前と比べれば、やはり少し小さくなったような気もする。自分が幼い頃には、それはもう山か巌のように思っていたのだ。髪の色も白が混じって、艶が褪せたか。
 まぁ、自分も同じようなものではあるけれども。
「でもお前、ハゲねぇよなぁ」
 力の抜けきった声で、それは嫌味でもなく本当にただのつぶやきだった。備中もわかっている。わかっているが。
 備中のこめかみが引き攣ったのを見て、先代はくるりと身体の向きを内へ向けた。書き物をする横顔に語って聞かせる。
「いやよ、昔成実や孫たちと、お前いつかハゲんじゃねぇか、そうしたらどうするって話したことあったんだ。小十郎様はハゲねぇ!って言い張る奴と、ハゲてもイカす!って奴とで結構白熱したんだぜ?」
「……ご心配をおかけして申し訳ありません」
 余計なお世話だと言外にありあり含ませつつも、苦笑する顔は優しい。
 らしい反応だったことに満足して、先代はゆったりと笑う。備中は強面だが、愛情深い男なのだ。昔も今も。
 出会ってからずっと、まだ幼い、愛情を知らなかった自分に一心に注がれたそれが、自分を通して、今やこの奥州の地に染み渡っているのを感じる。それが先代にとって、何よりも誇らしく感じられる業績だ。
 天下はとれなかった。だが、民の一人ひとりが、支え合い慈しみ合い、愛おしむことができる地を守れた。
 そしてそれを、次代に託すことができた。
「父上!備中ー!夕餉はご一緒いたしましょう!」
 庭先からこちらへ手を振る当代と、その隣で恐縮して頭を下げる近侍。先代と備中がこの先の奥州へ残した、繋ぐものの筆頭だ。
 若く弾んだ声に誘われたのか、備中も傍へ来て二人の背中を見送る。二人は双方の父によく似ていると評判で、だが太平の世を行く新世代の大らかさを宿している。触れれば切れる鋭さはないが、それでいいのだ。
 もう、乱世ではない。
「……大きくなられた。吾子様にお目通りしたときのこと、まるで昨日のことのようにも思えるのですが」
「お前が爺のように甘やかすから、傅役は大層苦労したみたいだぞ」
「よいではないですか。貴方様に似た御子様に見えることが、この備中の夢だったのですから。」
「それを言うなら俺だって、お前そっくりの息子が年々更にお前に似て小言っぽくなるところなんか、可愛くてしょうがねぇよ」
 くつくつと笑い合って、ふと。
 あのときの選択が間違っていなかったと胸を張れる、幸せと。
 引き換えに捨ててきた、甘い痛みが。
 お互いに胸の内へ去来した、それを瞳の色で感じて、言葉をのせるのをやめた。
 後悔はしていないのだ。奥州筆頭として、その唯一無二の腹心として、共に誇り高くあることができたのだから。
 少しの苦味を伴うのは、仕方のないこと。
「次の生があるとしたら、鳥になりてぇなぁ」
 王としてやることは、やりきった。少なくとも、人間の一生でできる限りのことは。だから次はただただ自分であれる存在となって、自由を求めても許されるだろう。
 そうしたら、そのときこそは。
「お供いたしましょう。」
 どこまでも。その言葉に、先代が浮かべた微笑みは、どこまでも無垢でまっすぐだった。



ゲームの殿宗様なら、こんな選択もありだろうと思ってみたり。