*政宗15・小十郎25くらい
その日の朝は、とても気持ちのよいものだった。
天気は快晴、爽やかな風が緑を揺らし、畑の野菜も順調な成長を見せている。採れたての野菜で浅漬けした漬物もいい塩梅で、主の綻んだ顔が目に浮かぶ。
その主はと言えば、今朝はなんと珍しく一人でご起床あそばされ。
伊達家嫡男・政宗が一の忠臣、片倉小十郎は、朝一番に機嫌よく笑って挨拶を返した政宗に、目頭を熱くした。
政宗がまだ梵天丸であった頃から今日まで続いた、寝起きの悪い主を寝床から引きずり出すための毎朝の格闘を思えば、それは無理もないことで。
近頃は偏食も治り、着替えもほとんど小十郎の手を借りず、そして今日、とうとう一人で起きることができるようになったのだ。
大きくなられた。兄のような父のような気持ちで喜びを噛み締めて、小十郎は自身の部屋へと向かって行った。
その数刻後。
読み終えた兵法書を放り出し、政宗は鏡面を前に座り込んでいた。何が気に入らないのか、難しい顔をしている。
政宗の身嗜みへのこだわりは強い。着物も足袋も、その日の天気や気分に合わせて全て自分で選んでいるし、髪も自ら梳り整える。髭なんか無造作に生やしているなど、自分が家督を継いだら一兵卒まで指導して剃り落としてやるつもりだ。
そういった姿勢は、自身の傅役である小十郎に大きく影響されたものである。
もう十年近くすぐそばで共に過ごしているが、政宗は小十郎の乱れた姿を見たことがない。大きな背中を眺めながら、あんな大人になりたいものだといつも思っていた。
伊達の嫡男として、小十郎の主として、胸を張れる自分でありたい。そのためにはどんな小さなことも妥協せず、より一層男に磨きをかけなければ。
政宗は一つうなずいて、鏡面にぐっと顔を寄せた。
「Heyお前ら、稽古はしっかりやってるか!?」
「「「Yeah―――!!!」」」
勢いよく稽古場に乗り込んだ政宗を、兵たちは腕を挙げて歓迎した。本来なら政宗の顔を拝むことも稀なはずの兵卒たちは、小十郎が目をかけて育て、政宗が頻繁に出入りするため、勇猛であることはもちろん、今では異国語まで刷り込まれる忠臣ぶりだ。
熱気のこもった返事に満足そうな政宗のもとに、小十郎の配下の幾人かが寄ってきた。政宗と歳が近く、特に仲のいい者たちだ。
「若、若!それどうしたんスか!?」
小十郎がいれば青筋を浮かべただろう、主家に対するには砕けすぎた口調を咎めもせず、政宗はにぃっと笑う。
「Ah-han、なかなか鋭いじゃねーか。」
そう言って前髪を掻き揚げると、政宗の額とまぶたの間、鋭角に細く吊り上った眉が現れた。兵たちがわぁっと声を上げる。
「すげぇっス若!!」
「めちゃくちゃcoolっス!」
「キマってるっス!!」
口々の歓声に気をよくした政宗は、腕を組んで少し顎を上げ、城内を一瞥して言った。
「お前たちも伊達に仕える男なら、眉くらい整えるのが粋ってもんだぜ。You see?」
ちょうどその頃稽古場へ向かっていた小十郎は、前方から響いたうぉおおーーー!!!と柱まで揺らすような雄叫びに一瞬ぎょっと足を止めた。変事でもあったかとすぐに駆け出した一方で、まるで勝ち鬨の如き興奮を含んだその気配に、嫌な予感を覚える。
こういうときは大抵、政宗が何やら絡んでいるのだ。無茶な賭け、子どものような企み事、過去を挙げればきりがない。兵と結束篤いのは喜ばしいことだが、悪ノリしやすいのが困ったところで。
いやしかし、政宗様も大人になられている。
『俺はこれからもっとデカい男になってくんだぜ?こんなことで泣かれたんじゃ、この先お前の涙腺は感動でぶっ壊れちまうな』
そう言って笑った今朝の政宗は、余計に涙が溢れてきたほどに凛々しかった。子どものような悪戯など、もう卒業されたに決まっている。
信じたい。信じるのだ。信じさせてくれ!
切に望んではみたものの。
稽古場で皆を前に何やら講釈をしている政宗の姿を見て、やっぱりなと肩を落とした。人間、そう一気には変わらないものである。
「小十郎!」
「政宗様、先程何やらすごい声がしていましたが、何をしておいでで……」
駆け寄ってきた政宗を間近に捉えると、小十郎は言葉を失って棒立ちになった。
「遅かったじゃねーか小十郎!お前に一番に見せてやろうと思ってたのに、予定が狂っちまったぜ」
照れくさそうに笑って小十郎を見上げる。政宗の褒めてほしいときにする癖だ。少年らしいはにかみと稚さを残した仕種が、とても微笑ましい。
それはいい。そんなことはいい。それよりも。
「ま、政宗様……!?」
額に落ちかかる前髪から垣間見える、政宗の眉が。元服以来、若武者らしい勢いは残しつつも凛々しく均整にと、小十郎が信念もって整えてきた眉が。
「やっぱ気付いたか。どうだ、俺も器用なもんだろ?」
確かに綺麗に対称な左右の線は、初めて自分で手を加えたとは思えない器用さである。
しかし、細い。根元ですら普段より一回りは細く、吊り上った尾の先は尖った楊枝の先ほどに細い。しかも、さすがに角度は幾分緩やかではあるが、その形は。
それはもうものすごく、見覚えがあるのは気のせいか?
「あの。それは、もしやとは思いますが……」
「yes! お前の眉な、いっつもcoolだって思ってたんだ。」
政宗の眉の形は、誰あろう片倉小十郎の眉を模していたのである。否定してほしかった予想通りの答えに、小十郎は最早落とす肩もない。
こっちの方が強そうだ、それに涼しげで男前が上がっただろう、と上機嫌な政宗。それを取り巻き、そうかあのcoolな眉は小十郎様発信なのか!さすがだぜ!と妙な尊敬の目を向けてくる部下たち。
彼らは知らないのだ。毎日鏡面を覗き、その眉を眺め、小十郎が何を思っているか。
何も俺は、別に好きで眉を細くしてるわけじゃねぇ。
若気の至りであれこれしていた名残で、これ以上生えてこないだけなのである。
二十代も折り返し、壮年の威厳がほしい今。別にもさっとしている必要はないが、もう少しくらい幅広く、雄雄しく生えてもいいのに。そう思っているぐらいだ。
はぁー……と深いため息をついて、苦りきった顔を政宗に向けた。
「政宗様、お聞きください。その眉は、なりませぬ。」
きょとんと隻眼を丸くする政宗に、よろしいですか、と畳み掛ける。
「武将とは、雄雄しきが重畳。更に政宗様は伊達家の御嫡男、威厳は何よりも大事にされるべきです。そのように細く吊った眉ではお若き身を強調されるようなもの。凛々しき若武者とやんちゃな小僧は違うのですぞ。」
くどくどと続ける小十郎に、政宗はむっと眉根を寄せて噛みついた。
「じゃあ、小十郎はどうなんだ?お前だって嫡男の傅役だ、威厳は大事だろ」
「いかにも、政宗様の仰る通りです。斯様に情けない形は小十郎の不徳の致すところ。なればこそ、政宗様には恥ずかしい思いをしていただきたくないのです。小十郎のような未熟者はともかく、政宗様は衆目を集める尊い御身でございますれば」
叱り飛ばす場合はともかくとして、負けん気の強い政宗を言い包めるには、ちょっとした要領が必要である。この場合、あからさまに政宗を責めるよりも、彼の臣下を思う心をくすぐってやるのが効果的だ。
膝をつき頭を垂れ、敢えて自分を卑下し下手に出ると、案の定政宗は外れた方向へ熱くなり始める。
「No!! 何言ってんだ小十郎、お前は未熟者なんかじゃねぇ!その眉だってお前の魅力だ、俺が言うんだ、間違いねぇぞ!」
「勿体ないお言葉……政宗様の御心の広さ、この小十郎、感服至極にございます。」
やれやれ、全く、相変わらずわかりやすいお方だ。
こうなれば占めたもの、小十郎は神妙な顔で主を見上げた。
「しかし政宗様、小十郎のお願いでございます。眉にご不満があったのならば小十郎に申付けくださいませ。精進いたします。ですから何卒、お聞き届けくださいますよう」
政宗は『小十郎のお願い』という単語に弱かった。そこまで乞われては、譲歩しようかという気になってくる。
それに何より、そうして眉にかこつけて、小十郎に構ってもらえるならば。
「……all right. お前に任せるぜ、小十郎。」
何とか主を丸め込んで安心していた小十郎は、その数日後、部下たちの一様に細く尖った眉を見て眩暈を覚えることになるのだった。
小十郎のヤン眉がとてつもなくツボだと、それが言いたかっただけの話(なんと)
丸め込んだはずが結局政宗様の望む通りになってたりする主従だといいなと思う。
しかし予想外に政宗様がおばかさん…ごめんね!