ミカ♂リの場合 愛を告げる
日も暮れてから唐突にやってきたミカサを見上げて、リヴァイは言葉を失った。
左頬は赤黒く腫れ上がり、瞼と唇の端は切れて血が固まっている。
彼の、東洋人特有のしっとりした肌と、大げさに感情を乗せない整った顔立ちが……見る影もなくぼっこぼこ。
「は、早く入れ!」
初めて見るミカサの姿に動揺しきりのリヴァイは、慌てて彼の腕を引き椅子へ座らせると、救急箱やらタオルやらを探して家中をバタバタと走り回った。
派手に目立つ顔の傷だけではなく、手足には細かい擦り傷や打ち身、腹部にも殴打を受けた痣があった。
普通の人間なら満身創痍だ。
「一体どうしたんだ、お前がこんなにやられるなんて……まさかとは思うが、ただの暴漢にやられたってわけじゃないだろう?」
夜気で冷えた井戸水に浸したタオルを頬に当ててやりながら聞けば、ミカサは切れた口端を動かす痛みに少し顔をしかめつつも、あっさりと答えた。
「エレンと喧嘩しました」
「…………おぉ。あいつ、やるじゃねぇか……」
いや、その感想はおかしいだろう。
自分でもそう思いつつ、何というか、あのミカサが本当に見事にぼこぼこになっているので、それ以外何と言えばいいのか、さっぱり思い浮かばない。
エレンが立体起動などより対人格闘を得意とするのは当然リヴァイも知っている。だが、ミカサを相手にここまで張れるようになっているとは。リヴァイがまだ兵団にいた頃は、エレンの拳がミカサを捉える様など見たこともなかったし、予感すらなかったのだ。
「あなたが退役してもうどのくらい経つと思ってるんですか。エレンだって強くなっている」
「みたいだな」
「でも、まだまだ私の敵じゃない」
いつもの涼しげな表情のまま、ミカサは拳を握ってみせた。
「エレンはこの倍ぼろぼろ。多分今頃アルミンが医務室へ駆け込んでいると思う」
兵団員の私闘は禁じられている。しかもそれほど派手にやりあっては、懲罰房行きは免れない。ミカサに至ってはここへ逃亡までしている始末、下手しなくとも軍法会議ものだ。
元上官として事の重大さを苦言してやるべきなのだろうが。
「…………。そうだろう、な」
あまりにもミカサが飄々としているせいで、リヴァイはぐったりと頭を抱えることしかできなかった。
あらかた治療も済み、頬の腫れもマシになった。
ぐーぐー腹を鳴らすミカサに食事を与えつつ、一体どうしてそんな喧嘩になったんだと問うと、珍しくミカサが照れたように視線を逸らした。わざと大きくパンを頬張って、もごもごと咀嚼する。
その間もリヴァイは腕を組んだままじとっと彼を睨んでいて、ここに来たからには口を割れと言わんばかりの態勢だ。
結局諦めて、ミカサは渋々口を開いた。
「あなたを。やっぱり独り占めしたいと言ったら、エレンが怒ったから」
「はっ?」
三度の絶句。目も口もぱかりと開けて呆れるリヴァイに、ミカサが眉を寄せてふてくされた表情を見せる。
「あなたが言ったんでしょう。女を他の男と共有できる程度の気持ちなんて、本物じゃないって」
確かに言った。ミカサからの猛攻にじりじりと寝室へ押されかけている現状に戦慄し、このままでは重婚輪姦の危機(エレンにその気がないため、実現しない恐怖であることは理解しているけれども)と悟ったリヴァイは、ミカサの主張をずばりと斬り捨てたのだ。
本当に欲しいと思ういい女に出会ったら、ミカサも自ずとわかるはずだ。他のオスに手をつけられることが、オスの本能としてどれだけ屈辱であるのか。
彼はまだ若い。リヴァイに対するコンプレックスが、歪んだ独占欲として昇華されたとしても仕方のないことだろう。
「友人の欲しがる女」に興味をそそられるというのは思春期青年期の過ちとしてままあることだし、ましてミカサのエレンへの依存心を鑑みれば自ずと本意が透けるというものだ。
そう言って突き放したリヴァイに、ミカサが随分とショックを受けた顔をしたのをよく覚えている。
リヴァイも、さすがに目をかけた期待の部下、前途ある若者の心を傷つけたことに胸が痛んだ。しかしお互いのために流されるべきでない一線というものは確かにあり、ミカサの主張はそれに触れるものであった。
「あれから私は考えた。どうしてあなたを意識しているのか。チビだし胸もないし口も悪いし、私より強い女なんて、エレンの趣味はおかしいと思っていたのに」
「……まぁ、否定はしない」
「大体あなたを欲しいと言ってから、エレンは冷たいしアルミンにはため息をつかれるし、私にはいいことがない。冷静に考えて、私はあなたを選ぶべきじゃない。私はモテる。もっと女らしくて揉み甲斐のある乳をいくらでも選べる」
「お前その発言はあれだろ、アウトだろ色々と」
こんな奴だったっけ、と困惑気味のリヴァイに構わず、ミカサは顔を上げて、彼女の手をぎゅっと握った。
「あなたをエレンに譲って、私は違う女性を探す。エレンを通して私とあなたは家族になって、あなたとエレンの子どもを私は可愛がる。それもいいと、思う。思っていた。だからもうあなたのことは諦めるとエレンに言いに行ったはずだったのに」
ミカサの手は熱かった。リヴァイへひたと向けた漆黒の瞳も。
「気付いたら正反対のことを言っていて、エレンに殴りかかられても私は訂正しなかった。それどころか、私はエレンを殴った。エレンでなく私のために、初めて」
「ミカサ」
「エレンのためなら何でもできると思っていた。エレンに譲れないものも許せないこともなかった。なのに、あなたのせい。私に優しくした。あなたを認めようとしなかった私を許して、理解して、癒してくれた。私の大切な家族を、誰よりも守ってくれていた。私があなたを譲れないのは、全部あなたのせいです」
「ミ、」
「責任をとって」
覚悟を決めた男の顔で、ミカサは告げる。
「私を夢中にさせた責任をとって、あなたは私を好きになるべき」
エレンへの依存と無意識下での服従から自立したミカサは、とても堂々として、毅然として、まっすぐで正直で、揺るがない芯を得ていた。
疑うべくもなく強く放たれた愛に、リヴァイは逃げ場を失ったことを知り、しおしおと肩をすぼめる。
だめだ、勝てない。そんなことを、まさかこんなにも年下のひよっこに思わされるなんて。
「わ……わかった。考える。今度は、真剣、に」
「本当に?」
こくこく、言葉もないまま頷く。
「…………嬉しい!」
そう言って花がこぼれるような微笑みを浮かべたミカサに、ぷしゅーと音を立てて耳を赤くしたリヴァイが出せる答えなど、きっと決まっているのだろう。
完全に主導権を握られた。その悔しさに歯噛みする余裕すらないほど。