エレリの場合 プロポーズ


 順調に行けば半年で戻れるだろうと言われていた、兵団発足後最長距離を目指す計画に、エレンがミカサやアルミンたち仲間と共に志願して旅立って行ってから、もう一年が経つ。

―――兵長……いえ、リヴァイさん。帰ってきたら、プロポーズの返事をください。

 そう笑った顔を思い出す度に、リヴァイの胸は痛んで、それは日に日に大きくなっていった。
 どうして戻ってこない。
 何かあったのか。
 長期遠征となるため、ある程度の定置キャンプの展開を見越して、いくつかの世話の簡単な食料種の準備もされてはいる。とはいえ、地質も不明な環境の中で、半年を越えて部隊を維持する潤沢な資源など得られたとは思えない。
 狩りで食いつなぐにも、物資は必要だ。銃には弾がいるし弓には矢が、ブレードには壁内でしか精製されない刃がいるのだ。飲料水の確保も壁外でどこまで安定して行えているものか。怪我や病を得たら。医療班が同行しているとはいえ、持参の薬などもうとっくに底をついているだろう。都合よく薬草などそうそう見つかるものだろうか。
 この頃には壁内では、遠征隊は巨人の生き残りか大型の獣に襲われて全滅したんじゃないか、などという噂がまことしやかに囁かれ始めていた。
 兵団内にも重苦しい空気が流れて、エルヴィンすら難しい顔で考え込む様子に、リヴァイは何も言えず慄いた。
 そんな、まさか。信じられない。信じたくない。そんなはずは、ない。だって。
 あの過酷な巨人戦を耐えて生き抜いたエレンたちが、今更死ぬなんて、そんなこと。許されていいはずがない。絶対に赦さない。そんなのは酷すぎる。
 エレン。生きているよな?何でもするから。どんなお願いでも聞いてやるから。生きて、帰ってきてくれるだろう?


 必死で言い聞かせて、空に星に祈って、待ち続けた、それから二ヵ月後。
 本来の予定より半年以上も遅れて、遠征隊が帰還した。


 現在は開け放たれたままの壁外への門前には、多くの民衆が詰めかけていた。
 生存を絶望視されていた遠征隊が、ボロボロではあるが戻ってきたのだ。しかも、無事とは言い難いまでも、部隊全員の生還だ。街中が湧き立ってこの奇跡に感謝した。
「弱っている者を先に通せ!馬と荷はこちらで預かる。道を開けてください!」
 乗馬が困難な隊員を乗せた荷馬車を指揮して、馬上から声を張る青年の姿を見とめるや否や、
「エレン!!」
 リヴァイは無我夢中で人垣を掻き分けて、波に抗いきれず弾き飛ばされるように民衆の前へ出た。たたらを踏んだ足から力が抜けてしまって、躓いた勢いのまま地面へ投げ出される。
 悲痛な呼び声に振り向いた青年、エレンは、小さな彼女の背中を見た途端、慌てて馬から飛び降りた。
「リヴァイさん!大丈夫ですか、お怪我は!?」
 全速力で駆け寄ったエレンに抱き起こされたリヴァイは、エレンを食い入るように見つめた。縋るように両手を伸ばして、彼の頬に触れる。
「エレン」
「はい、リヴァイさん」
「エレン……生きてる。生きてるよな?」
 土埃に塗れた頬を包む手が震えているのに気付いて、エレンがきゅうと瞳を細める。
「はい。遅くなりましたが、ただいま戻りました」
 エレンの、荒れてはいるが体温と実感を宿す手触りと、しっかりした言葉。

 確かに彼は生きて、ここにいる。

 リヴァイの擦りむいた頬に涙が散った。
「エレン、エレン、よかった。無事だな?どこも痛くないか?エレン、本当に、よかった!」
「リヴァイさん……!!」
 それ以外言葉を忘れてしまったように、エレン、エレン、と何度も呼ぶリヴァイをきつく抱きしめて、エレンの金色の瞳からも涙が落ちる。
 腕の中の体は、随分小さくなっていた。
「リヴァイさん、どうしたの。こんなに痩せて……」
「ばか!お前が、お前たちが帰ってこないから!」
「あぁ……心配していてくれたんですね。ごめんなさい。帰路の途中で嵐に遭って、道を塞がれちゃって」
 急遽の事態に、地図化されていない土地を迂回路として探りながら、こうなりゃヤケだと作図と物資調査までしながら戻ってきたのだ。
 重要で危険性の高い任務であるから、隊員は野戦経験のある者に限り、部隊規模も絞り上げて編成していたのが幸いだった。通常の調査のように新兵などを連れていたら、とても帰還まで統率がとりきれなかっただろう。
 とはいえ、久々に肌がひりつくような生死の分け目を何度も見た。武力のミカサに総指揮をとれるアルミンは勿論、狩りのプロであるサシャ、目端の利くコニーがいてくれて助かった。
「あいつらのおかげで、何とか皆生きて戻れました。俺もほら、この通り。ね?」
 先に治療へ行かせた隊員たちの中には、傷の治療が満足にしきれず、辛くも破傷風だけは抑えてきたという状態の者もいる。エレン自身も、幸い大きな怪我はないが、心身ともに疲弊しきりだ。
 けれど、エレンは微笑んでいた。
 だってそうだろう。この腕の中で、泣いて、帰還を喜んでくれる、愛しい人がいるのだから。
 がさがさの唇がリヴァイの涙を吸って潤う。埃っぽい手のひらでも構わず頬ずりしてくれるのに甘えて、しっかりと頬を包み込んで、額を合わせた。
「ただいま、リヴァイさん。俺、あなたの元に戻ってきました。約束通り、返事を聞かせてくれますか?」
 鼻先をくっつけたら、お互いの吐息が唇にかかる。
 あぁ、キスしたいな。好きだな、愛おしいな。本当に帰ってこられたんだな。
 込み上げる想いで視界が滲んだ。
「リヴァイさん。俺のお嫁さんになってください」
 エレン、とまた微かな声で呼んだ唇が、初めて、彼女から彼に、


 触れた、と思ったら、わっと空気が揺れるほどの歓声が湧いた。
 真っ先にミカサが二人ごと抱き潰すように飛びついてきて、次にアルミンたち遠征部隊が、更に迎えに駆けつけた調査兵団の仲間たちも怒涛の如く詰め掛けて、もみくちゃにされる。
「ちょ、やめろよ!!今いいところだろ!!邪魔すんなよ!!!」
 祝いというには荒っぽい手のひらやら拳やらちくしょーこのやろう!という叫びやらを受けながらも、リヴァイを抱きしめたまま身を縮めるエレンは、本当に本当に心から晴れやかに笑った。
 生きて、生き抜いて、ここまで来て、よかった。そう思える僥倖に、胸を震わせて。