しとしとと降る雨。おかげで昼なのに薄暗いこんな日は、妙に物悲しい気持ちになる。
それは自分のような平凡な女中でも、三国に名高い武将でも、変わらないものなのですね。

    女中日誌 〜百三十項・雨の日〜

 呂蒙様にお仕えして、早三月が経ちました。ようやく肩の力も抜けてきた今日この頃、とても心和む出来事がございましたので、拙くも記しておきたいと思います。

 天候、朝から雨。とても静かで、庭先の景色もけぶるよう。昼間から明かりの点された机上で、呂蒙様は政務に励んでおられました。
 呂蒙様は噂に違わず、それは慈悲に溢れお心の広いお方。殿の覚えも深く、落ち着いた物腰と穏やかな眼差しで、文武・老若に橋を渡す役目を果たされる。こんなにも素晴らしい方にお仕えできることに胸が震える思いです。
 そのようなお立場から、日頃から悩みの尽きないご様子も多く見られる中で、本日は特に、何やら物憂げな色を浮かべておられました。
『……あぁ、すまんな。ありがとう』
 筆が止まる頃を見計らって温かいお茶を差し出すと、呂蒙様は決まってねぎらいの言葉をおかけくださいます。
『うむ、いい香りだ。自分でやってもなかなかこううまくは淹れられんのだが、何か要領でもあるのだろうか?』
 それはもちろんございますが、呂蒙様には秘密です。私共の仕事がなくなってしまいますから。
 そうお返しすると、なるほど違いないと笑われました。

 ゆっくりとお茶を飲みながら、窓の外をぼんやりと眺められる呂蒙様は、やはりどこか沈んだ面持ち。何かを思い出し、悼むかのように、遠い遠い場所を見ておられます。
 どうかなさったのですかとお声をおかけしてもいいものか、出過ぎた真似で邪魔をせぬよう控えておくべきか、悩んでいたときでした。
 廊下の彼方から、リンリンと軽やかな鈴の音。
『おっさ〜ん!よぅ、暇か?』
『興覇か……廊下はもっと静かに歩かんか。大体、おっさんと呼ぶなといつも言っておるだろう!』
『へへ、わりーわりー。別に悪口ってんじゃないんだからよ、あんま気にすんなって』
 呂蒙様とは友誼篤く信頼深き無二の友、甘将軍。度々顔を出されてはこうしてからかうようにやりとりをされるのがとても微笑ましく、室内の雰囲気も明るくなったように感じられます。
『あぁ、茶はいらねー。そん代わり、どうよ?』
『ばかもの、昼間から酒など。政務はどうした?』
 悪戯小僧のような笑みで徳利を掲げる甘将軍に、たしなめる呂蒙様のお声はため息ながらも温かいものでした。
 呂蒙様と過ごされる間の甘将軍は、とても自由でまっすぐ。当初その目の鋭さや纏う威圧感に恐怖を感じもしましたが、こうして屈託なく笑うお顔を拝見すると、それも些細に思えます。呂蒙様もそのような甘将軍の二心なき姿勢を好まれていらっしゃるのでしょう。
『こう雨降りじゃ、遠乗りもできなきゃ庭で昼寝もできねぇ。つまんねーからちょっと子明の顔でも見に行くかってな』
 どうやら本気でのお誘いではなかったようで、徳利はまた次の機会までとっておいてくれと机の上に置かれたまま、甘将軍はあっさりと引き下がり窓辺に跨って座られました。甘将軍の定位置ですね。

 呂蒙様は書簡に目を通し、甘将軍は窓の外を眺めながら、他愛のない会話をぽつりぽつりと交わされてしばらく、新たなお客人がいらっしゃいました。
『呂蒙殿、失礼致します。此度の治水の件なのですが……』
 いつもながら丁寧な物腰で手元の書簡を差し出そうとなさっていた陸軍師は、その場に甘将軍を見つけてきょとんと目をまるくされました。
『よ、りくそん♪』
『甘寧殿?こんなところで何をなさってるんです!』
『はは!こんなとこたぁよく言ったな?』
『え、あ、いえ違います!すみません呂蒙殿……あぁもう、揚げ足をとらないでくださいよ!先日の山賊討伐戦の報告書、まだ目にしていないのですが』
『うんそうだろな、だってまだ書いてねーもん。』
『甘・将・軍?』
『何だよ怒るなよ。んなわざわざ俺が書かなくても、お前だって大体知ってんだろ?』
『えぇ知ってますよ。副官でしたから、大体と言わず最初から最後まで知ってます。でも討伐隊の隊長は甘寧殿でしょう。軍議での報告は代わってさしあげたんですから、報告書くらいちゃんと書いてくださいよ!』
『えー、お前が書いた方が上手だし早いぜ。署名と判ならその場でさくっと添えてやるからさ』
『甘・将・軍!?』
『ちょっとー?廊下まで声筒抜けよ陸遜。』
 お二人の元気なお声に誘われて、なんと凌将軍まで!あまりに眩しく賑々しい光景に、私はともかくもおもてなしの用意を恙無くと手を動かしながらも、眩暈のする思いでありました。
『甘寧、アンタまた陸遜に迷惑かけてんの?いい大人が情けなくて見てらんないっつの』
『あぁ?凌統には関係ねーだろ。わざわざ口挟むなよ』
『関係はあるよ、俺も呉の将だ。ただでさえ多忙な軍師に負担かけないでもらえる?陸遜とアンタじゃ天秤にもかかんないんだからさ』
『お前の無駄なちょっかいでかかる時間は陸遜の負担にならねーのか?』
『はぁ!?元はといえばアンタが悪いんだっつの!』
『何で?』
『ちょ……馬鹿にも限度ってもんがあんだろ!あったまきた、表出ろ!!』
『めんどくせーなぁ…まぁいいけどな、暇だし。ちょっとだけ遊んでやるか?」
 甘将軍と凌将軍がいつものように睨み合っていらっしゃる間、陸軍師は涼しい表情で呂将軍に書簡を指し示し何やらお話していらっしゃいます。徹底した聞こえないふりはさすがの一言です。
 しかしこのままでは室内に被害が及ぶのではとハラハラしておりましたところ、こちらもさすが、呂蒙様の大きなため息で、得物を掴もうとされたお二人の動きがピタリと止まってしまわれました。
『あー、わかったわかった!興覇、将としての責任には、しかるべき報告を為すことも含まれるのだぞ。伯言を困らせるな。凌統も、忠告ならもう少し言葉を選ぶことを覚えねば。興覇のようなばかものにも通じるようにな』
『何だよそれ!ったくよー』
『なるほどその通りっスね。さっすが呂蒙殿、わかってる〜♪』
 にんまりとお笑いになった凌将軍ですが、
『そもそも、その意味のない喧嘩に私を巻き込まないでくださいよ。』
 続く陸軍師の冷えた一声に、しょぼんと肩を落としてしまわれました。

 喧騒とも言える賑やかな一幕が過ぎ、凌将軍はお茶を飲みながら呂蒙様所蔵の兵法書を、甘将軍は用事を終えられた陸軍師を手招いて掌に雨粒を溜める他愛ない遊びを楽しまれ、呂蒙様は常よりいささかのんびりと政務を。
 ゆったりと時間が流れ、夕刻前に陸軍師と凌将軍が執務へ戻られました。その後しばらく甘将軍はまた定位置から外を眺めていらっしゃいましたが、突然ぽつりと、
『子明、俺は振り返らねぇ。今このときは、お前に貰ったもんだからな。』
 それがどのような意味か、私にはわかりかねます。けれど、このように耳に残るほどの深い響き、そして何より、退室される甘将軍の背を見送る呂蒙様のお顔を見れば、とても大切な何かであるのは確かでしょう。
 元のように静寂漂う室内で雨を見遣る呂蒙様は、まるで雨上がりの虹を眺めるように目を細め微笑んでいらっしゃいました。

 これほどに心温まる日が、殺伐とした乱世の中にも確かにあること。
 うまくお伝えできているか不安ではありますが、皆様にもこの束の間の平安の慶びを感じていただけることを祈り。




『女中日誌(別名:きょうのりょもうさま)』
りょもさん付の女中さんたちの密かな楽しみ。機密を漏らす訳にはいかないので、内容は「今日も渋い呂蒙様の横顔」とか「甘将軍を叱る呂蒙様の眉間が素敵」とかそんなんばっか!
しかしこの新人女中さん、記憶力半端ないですね(笑)
普段と違う文調がなかなか難しく…喧しい後輩共にちょっと癒されちゃうりょもさんがうまく伝わるかどうか;
紅騎おねえさまへ、これからもよろしくですv