頭がぼんやりとする。
鍵を開けて玄関に辿り着いて、カズの意識はそこで途切れた。


風邪


 ふと目を開けると、見慣れた天井。名古屋のマンション、自分の部屋だ。混乱した頭で記憶を辿る。
 今日はコーチの都合で、午後の練習は自主練となった。昼食をとろうと歩いていると、ふらつく足にドクターが気づいて、医務室に連れて行かれた。
 診断は、風邪。明日、明後日も休みだし、早く帰って治せとの言葉に従って、そのままタクシーに乗った。いつもは使わないエレベーターに乗って。
    そうや、そこでちかっぱやばかって思ったとよ。
 ぐらつく視界に、精一杯の速さで部屋に辿り着き、何とか鍵を開けた。玄関に入って、靴を脱ごうと屈んだとき、急激なめまいに襲われて。
 そこまでは、覚えている。
    なし、俺ベッドにおると……?着替えもしとる……。
 部屋まで自分で歩けたのだろうか。しかし、無意識に窮屈なスーツを脱いで、パジャマにしているトレーナーに着替えたというのは、いくらなんでも。
 そこまで考えて、キッチンからする水音がやっと耳に入った。足音が近づいてくる。
    あの、アホ……。
「……あれ、カズさん起きたと?」
 そっと開けられたドアから、氷枕やタオルを抱え、昭栄がひょこっと顔を出した。


「もー、俺ちかっぱびっくりしたとですよ?」
 カズの額に冷えたタオルを当てながら、昭栄は優しく微笑んだ。熱に潤んだカズの目が、けだるげに昭栄を見上げている。
 久々に二日連続のオフが、珍しくぴったりカズのものと重なった。プロになって以来なかなか二人でゆっくりする時間もとれなかったから、昭栄は本気で小躍りするほど喜んだ。
 しかも今日は自主練。不謹慎にもラッキーだとほくそ笑んで、午後も早いうちにカズの住むマンションに着いた。
    今日はカズさん練習やけん、先入って待っとこ〜。
 近くの店でお土産を買って、弾む足取りでカズの部屋に向かう。合鍵を取り出したところで、ドアの鍵が開いていることに気づいた。
    ……?
 カズはいつも、昭栄が驚くほど危機管理を徹底している。ガスの元栓、火元、窓の鍵。出かけるたびにそれらをきっちりチェックする。ドアの鍵なんて、在室中でも閉められているのに。
 おかしい。泥棒かもしれないと不審に思って、昭栄は眉根を寄せたまま、そっとドアを開いた。
「!?」
 途端目に飛び込んできた光景に、昭栄の頭は真っ白になった。
「カズさんっ!?」
 コートも靴もそのままのカズが倒れていたのだから、狼狽するのも無理はない。パニックに陥って、持っていた袋を放り出してカズを胸に抱き寄せた。体が冷たい。
    まさか、強盗に、死んで……!?
「い、やや!!カズさん!!」
 悲鳴のような昭栄の声に、カズの指がぴくっと動く。昭栄はその小さな動きに敏感に反応して、慌ててカズの顔を覗き込んだ。
 頬は赤く上気して、額には少し汗をかいている。眉根は苦しげに寄せられてはいるが、荒く、しかししっかりと呼吸をしていた。どう見ても、生きている。
    あ、あれ……?
 見ると、カズのスポーツバッグには、薬の袋のようなものが挟まっていた。袋には青い文字で、『風邪薬、一回一錠ずつ』。
    あ、風邪……。
「よ、よかったぁ〜……」
 安堵に泣きそうになりながらぎゅっとカズを抱きしめて、その体の冷たさに慌てる。こうしている場合じゃないと、抱き上げて寝室へ向かった。


「今日はよ来てよかったと。あげんとこで夕方まで倒れとったら肺炎でも起こしとったかもしれんけん。やっぱ俺たち運命で結ばれとるっちゃね〜?」
 カズの熱を測りながら喋る昭栄を、カズは弱弱しく見つめる。ほんの少し指を動かすと、昭栄がその手を握ってくれた。その温かさに、やっと頭が働きだす。
「ショーエ……」
 かすれた声に、昭栄が少し顔を寄せた。
「うつるけん、帰れ……」
 こんなときでも、カズは「サッカー選手」だ。苦笑して、昭栄は握る手に力を込めた。
「嫌です。こげん状態のカズさん、放って帰るげな、できんよ。」
 もう片方の手でカズの頬を撫でる。カズはまだ何か言いたそうに、唇を何度か動かした。声にはならなくても、何が言いたいかくらいわかる。
    こげんときくらい、甘えてもよかのになぁ。
 そんなところも愛しかったりするのだが。重そうなまぶたに口付けて、昭栄は微笑んだ。
「俺がおるけん。ゆっくり休んどってよかよ。」
 優しい昭栄の声に、カズも素直に目を閉じた。


 安心したのだろう、すうすうと安らかに眠るカズの頭をなでながら、昭栄はほっと息をついた。
 正直に言えば、やっぱり、せっかくのオフなのになぁなんて気持ちは当然ある。色々と期待していたし。けれどそんな気持ちは、倒れているカズを見つけた、あの衝撃に勝てるはずもない。
 風邪だって心配だけど、何より生きていてくれてよかった。熱はあるけれど汗もかいているし、処方薬もある。そうひどくはならないだろう。
    そうや、何かあったかかもん作っておかんと……。
 寮生活とはいえ、もういい大人だ。雑炊くらいは自分にも作れる。何か野菜と、肉とか芋とか卵とか、おいしそうなものを入れてあげよう。
    カズさん前さつまいも好きって言っとったな。買ってこようかな……。
 考えながら、昭栄は楽しそうに笑った。自分よりもカズの方が、確実にしっかりと生活している。だからこんな風に、自分がカズの世話を焼けることは珍しい。
 早速準備してこようと昭栄が手を離すと、眠るカズの手が昭栄の指をきゅっと握った。まるで子供みたいな可愛い仕種に、それ以上動けなくなってしまう。
    ……まぁ、後でもよかか……。
 しばらく逡巡して、昭栄はもう一度カズの手を握った。病気に一番よくないのは、不安にさせることだ。こんなに弱っているカズを、置いて行くのは忍びない。
 結局カズに甘い昭栄は、優しく頭をなでながら、やわらかい頬にそっと唇を寄せた。
「早く元気になってね?」
 オフはまだ二日もあるから、今はこうして、ただ一緒にいるだけでもいいか。触れたい気持ちにそう言い聞かせて、カズの頭をなで続けた。


プロに入って2,3年な二人ってとこでしょうか。最近バカ甘い昭栄ばっかり書いている気がする…;
こんなものでよろしければ、佐倉様へ、風邪のお見舞いに。早く元気になってくださいね!