だってまさかあのカズさんが、妬いてくれるなんて思わないでしょ?
こいつがあんまりアホだから。
秋になった。涼しくなった。金木犀の香りが空気に満ちている。
カズはこの、ともすれば鼻が詰まりそうな甘い香りが結構好きだったりする。庭にひっそりと生えた金木犀が香りだすと、何とも言えない風雅な気持ちになるから。自分も日本人なのだと痛感する一瞬だ。
だから、咲き始めた金木犀を指差して「あ、5番ん家のトイレの匂いったい!」などとほざいたアホを実際目にした瞬間は、目玉が転がり落ちるかと思った。本気で。
ちなみに、今朝はその世紀末的アホはいない。今こんなことをのんびり思い出していられるのも、じっくり季節を味わっていられるのも、そのおかげだ。
こうして一人で通学路を歩くなんて、すごく、とても、久しぶりだ。
高校生で秋とくれば、学園祭シーズンだ。カズたちの学校も例外でなく、この時期は朝も昼も放課後も、練習に準備に忙しい。
一年は合唱、二年はクラス展示や模擬店、三年は部活での企画や最終日の体育祭準備がメイン。
カズのクラスには部活で忙しい者が多く、できるだけ準備も負担も少ない方がいいという意見で一致し、「クラスアート」展示に落ち着いた。要は絵だとか粘土細工だとかを教室に並べておくだけ。
多くの要領のいい、悪く言えばやる気のないクラスメートと同様に、カズも美術教師の担任を言いくるめ準備に充てた授業時間内を利用して作品を作り上げた。どんな抽象画だと口々に言われたが、自分でも絵心のなさは確信している。余計なお世話だ。
ともあれ、クラス準備は直前の設営だけ。部活の方は何をするんだか、「とにかくお前は当日来ればいい」と言われた。
そういうわけで、カズはのんびりしているが、他の生徒は多くが慌しく過ごしているようだ。
昭栄も同様で、今朝『今週は一緒に登校できそうにない』とメールが来ていた。言葉通り、昭栄は朝も迎えに来なかったし、昼食も誘いに来なかった。移動教室の途中だと顔を出すこともなかった。
だから、この日初めて昭栄の顔を見たのは、放課後になってからだった。
「カ・ズ・さん!部活行きましょう〜v」
教室の窓からぴょこんと顔を出して手を振る昭栄は、ものすごく笑顔だった。
「……お前、部活出てよかなんか?クラスで練習あるやろ」
学園祭を目前に控えた今週は、部活もほぼ自主練レベルだ。カズとしてはそれでもサッカーを優先して然るべきだと思ってはいるが、一応聞いておく。
「あ、はい。明日からは抜けられんけん、今日は免除してもらったとです」
えへへ、とはにかんだ昭栄に、カズが口をつぐむ。しばらく昭栄をじろじろと見上げて、バッグを肩に教室を出た。昭栄がウキウキと楽しそうについてくる。
「何か、ちかっぱ久しぶりにカズさん見たって気がすっとです!」
それはそうだろう。いつもあれだけべったり一緒にいるのに、今日は全く顔を合わせていなかったのだから。
「カズさんカズさん、俺らんクラスねー、合唱バリうまかですよ!絶対優勝!女子に合唱やっとった子とかたくさんおって。楽しみにしとってね!」
楽しみにと言われても、世界三大テノールとジャイアンくらいならともかく、芸術に明るくないカズには歌の良し悪しはよくわからない。
大体、座って歌なんぞ聴いとるより、サッカーの方がずっと楽しか。
横目で見上げた昭栄は、そりゃもう楽しそうに笑っている。
「……なら、お前やっぱりクラスに戻ってよかぞ」
「えっ?」
目を丸くする昭栄を尻目に、カズはすいと足を速めた。昭栄が慌てて追いかける。
「カズさん?」
「……」
横に並んで覗き込んでくるのがうっとうしくて、カズは無言のまま眉をしかめて更に足を速めた。
「ちょ、待って」
タカタカタカ
「カズさん?どげんしたとですか?」
タタタタタ
「あの、何で」
ダダダダダ!
「カズさぁん!!」
昭栄が追いつけばカズが前に出る。この繰り返しで、お互い意地になりいつの間にか全力疾走で校内を一周していた。
制服のまま剣呑な空気をまとってグラウンドに突入してきた二人に、尾崎監督は楽しそうに含み笑いを向けると、時計を指差した。
ウォーミングアップも終えたチームメイト達は唖然として二人を眺めている。十五分の遅刻だった。
着替えを済ませて、ペナルティの外周ランニングに出る。その間も二人の間にはどうにも重い沈黙が立ち込めていた。
どうしてカズがこんなにそっけないのか、昭栄には理由がわからない。だからただ顔色を窺って首を捻るしかできなくて、しかもさっきは途中からつい競争に夢中になってしまった。何とも情けない。
やっぱ、ちゃんと聞かんとわからんし、謝れんし、いかんよな!
カズの背中を眺めるのも好きだけれど、こんな風に向けられるのは悲しい。こっちを向いてもらって、ちゃんと目を見て話したい。
「あの、カ」
「あ〜高山くん!なにー、罰走しとると?」
「えっ?あ、おう。」
「がんばれ〜!」
通りかかったテニスコートから数人の女子が昭栄に向かって手を振っていた。今にもカズに話しかけようとしていた昭栄は一瞬戸惑いつつ、持ち前の愛想のよさで、自然に浮かべた笑顔で手を振り返した。
外周コースは、裏門付近に位置するサッカーグラウンドから校内を半周し、正門から校外を一周回り、正門から校内をもう半周して帰ってくるというもので、罰走の中ではごく軽いペナルティである。
しかし、校内には学園祭準備のため普段よりたくさんの生徒が残っていて、その中を走る二人は注目を集めた。注がれる視線はカズのただでさえ不機嫌な神経に障ったし、その上に、これ。
「おー高山!しっかり走れよ〜」
「あははっ、ショーエイくんがんばれ〜」
どういう知り合いなのかはカズにはわからないが、通りすがる生徒がやたらと昭栄に声をかけ、昭栄はそれに楽しそうに返している。
昭栄は人気者だ。馬鹿みたいに明るいし、いっつもヘラヘラ笑ってるし、あきれる程単純で人を貶さない。だから皆が昭栄を好きになるし、昭栄も誰とでも楽しく付き合える。
誰かが昭栄に声をかける度に、昭栄がそれに笑顔を返す度に、思ってしまう。
お前、別に俺じゃなくてもよかやん。
「っあ、ま、待ってカズさん!」
突然速度を上げて正門を抜けて行ったカズに、昭栄が慌てる。コースが決まっているから見失うことはなくても、この状態で置いていかれるのはマズいと本能が告げていた。
「カズさんっ、あの……」
追いついて声をかけると、背中越しにもカズがむっと機嫌を悪くしたのがわかった。聞く気がないと示すように、カズがまた速度を上げる。
「ま、待ってくださいっあの」
「…………」
「俺、えっと、あの」
「…………」
「カズさ、」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
・
・
・
「………………も、は、ぁ、何………………」
全力中の全力で散々走って、根負けしたのはカズだった。
「はぁ、さすがに……こんペースでこんだけ、走ると、キツかですね!」
「…………つか、ここ、どこや…………」
息も絶え絶えに道路の端に膝をついたカズの隣で、汗を拭い息を整えながら辺りを見回す昭栄は爽やかに笑う。
「あは、ここ俺ん中学の近くですたい!夢中で走ってしまったとですねぇ」
カズは襲い来るめまいをこらえた。昭栄の中学は、高校の隣の市にある。しかも逆側の端に近い立地で、ほぼ二つの市を突っ切って走ったことになる。
こいつ、立ったまんまで、笑っとるぞ……。
体力魔人の名は伊達ではない。というか、ありえない。本気で。
手招きして、昭栄を隣に座らせる。嬉しそうに従った昭栄を、最後の力を振り絞って蹴飛ばした。反動で倒れかけるカズを昭栄が慌てて支える。
「わわ、カズさん〜?」
「………はぁ、なし………こげんとこまで、走っとると!?」
「えぇえ!だってカズさんが走ってくけん」
「知らん、お前が、…張り合ってくるけん、ちゃろ!」
「お、俺んせいですか!?」
そうだと殴りつける元気もなかったので、代わりにのっしりと昭栄に体重をかけてもたれてやった。目を閉じて息を整えることに専念する。
「か、カズさん…vこげんとこで抱っこですかv」
もう勝手にしてくれ。
どこか住宅街の中の道のようだが、幸い人通りはなく、カズは昭栄に抱えられたまま休んでいた。誰かに見られても、これだけぐったりしていれば、心配こそされ妙な目で見られることはないだろうが。
「カズさん……今日機嫌悪かですよね。なし怒っとったと?」
「は?」
頭をなでながら昭栄が言うのに、カズが怪訝な声を上げる。
「別に何も怒っとらん」
「えー?だってちかっぱイライラしとったやん。」
カズが見上げると、昭栄がぶーと唇を尖らせた。
「今日は朝も昼も会えんかったけん、無理矢理練習抜けて迎えに行っても、カズさん全然嬉しそうにしてくれんし」
クラスメートの大ブーイングを受けたが、自分はようやくカズに会えてすごく嬉しかった。いつもよりずっと顔が緩んでしまうのを止められないくらいに。
「せっかくカズさんにステージで歌っとるとこ見てほしかって思ったんも、嫌そう〜な顔するしー」
カズの大きな目がぱちぱちとまばたきを繰り返す。それがあんまり可愛くて、もっと甘えて困らせたくなった。
「目も合わせてくれんし口もきいてくれんし、あっち行けみたかこつばっかり言うし」
「ち、違うやろ!だってそれは……」
しょぼんと尻尾をたれた昭栄に、慌てて起き上がったカズがもごもごと言い訳をする。昭栄が首を傾げるから、仕方なく口を開いた。
「だけんっ、お前が、合唱の練習楽しそうやけん、だったら行ってもよかって言っただけたい」
「なしですか?そりゃ合唱の練習は楽しかばってん、カズさんとおる方がずーっと楽しかですもん。」
「……っそげんこつわからん!お前別に俺じゃなくても、普通に楽しそうにしとるやん!!」
カズの言葉に昭栄がきょとんと目を丸くする。
「合唱だって楽しそうやし、お前は友達多かやし!さっきだって、いっつも、色んな奴に声かけられて囲まれて笑っとるし!!俺とおらんでも他でいくらでも、楽しかこつあるっちゃろ!!」
一気に吐き出して、また少し乱れた息を整えようとしているカズを、昭栄はぽかんとしたまま見ていた。
つまり、カズがイライラしていたのは、一日カズと会えなくても昭栄が十分楽しそうで、たくさんの友達に囲まれて笑っているから、ということだろうか。
まさか、あのいつも平然と「友達と遊べばいいのに」などと言ってのけるカズが。女子にボタンやらをもぎとられた卒業式の日でさえ、昭栄に同情して苦笑していたあのカズが。
「………………カズさん、それもしかして、やきもち?」
今度はカズがきょとんと固まった。しばらくお互い不思議そうな表情で見つめ合っていたが、昭栄がじわじわと喜色を浮かべると、カズが一気に耳まで赤くなる。
「ちっ……違う!!!そげん、そげんわけなか!!!」
「カ〜〜〜ズ〜〜〜さ〜〜〜ん!!もうっ可愛かぁあああ!!!」
「やめろ!!!放せあっち行け!!!お前なんか嫌いじゃ!!!」
「うぅうかーーーわーーーいーーーー!!!」
破顔した昭栄に抱き潰されるかと思うほどの強さで抱きしめられ、必死で暴れるも力では敵わない。結局酸欠寸前まで、昭栄の愛と喜びの抱擁を受け続け。
羞恥と叫びすぎと酸欠で、カズは完全に力尽きた。
「あのねカズさん。合唱の練習とか、友達と喋っとるんとかは、楽しかよ?フツーに、ね」
昭栄はそう言った後、カズと一緒にいる時間がどれほど特別に楽しいか、背中に負ぶったカズに語って聞かせた。高校に辿り着くまで、延々と。
聴くに堪えない恥ずかしい語りに半分以上意識を飛ばしながら、カズは今日一日、自分は一体何をしていたのだろうと考えた。
もう、わけわからん…………。
泣きそうな気持ちで思う。自分がこんなにヘトヘトなのも、こんな散々な一日になったのも、全部昭栄のせいだ。
こいつがあんまりアホだから。
グラウンドに帰りついたら、キャプテンの盛大な雷が炸裂したのは言うまでもない。
5番くんちはラベンダーな気もするんです(真っ先にそこか)
4200HIT・ありさ様のリクエストで『嫉妬するカズさん』。かなり捻くれた表現しかできない高2のカズさんでした(笑)
ありさ様のおかげで、これが一年後にはどうなってるのかとか色々またネタを作りました!
(もう超楽しかった…!)
ありさ様、とっても素敵なリクエストありがとうございましたv