また一つ、倒れた体に杭を打ち込む。
肉を穿つ確かな手ごたえは一瞬で、先端が埋まってしまえば、あとはまるで砂の山を相手にするかのようにあっさりと通り抜けた。
いや、確かにこれは、砂の傀儡なのだ。
その証拠に、心の臓を貫かれて、血の一滴も流さない。断末魔に崩れた顔を晒して、ただ横たわっているだけの、青白い人形。
聖水をふりかけた目の辺りから、徐々に黒く腐食し炭と化していくのを見て、少年はゆらりと立ち上がった。
「よくやった、片倉よ。これでこの館に潜むモノ共は全て滅した。」
「……おやかたさま」
まだ十代も半ばだろう、背だけは高くひょろりとした彼は、平静そのままの表情を男に向けた。
誰しも、例えそれの真実の姿を知っていたとしても、杭を打ち込む瞬間には、言い知れぬ感情が湧き上がるものだ。
しかも、彼は今夜が初陣。
だというのに、少年はまるで狼のように軽やかに冷徹に、傀儡の骸を積み上げてみせた。
奇襲となる視界を奪い痛みを与えるための聖水、一瞬で膝の裏の腱を切り裂く銀の刃、止めに杭をためらいなく一撃で貫通させる。
全てに無駄がなく、いっそ美しくすら思えるほどの、流れるような動きだった。
まだあどけない、庇護すべき子どもの一人と思っていた。頑なに参戦を志願するのに根負けして連れてきたが、まさかここまでの働きを見せるとは。
「片倉小十郎。お前を、一族の使命を継ぐ一員として認めよう。」
この年で、ヒトガタのものの心臓へ杭を打つ、それに恐怖も嫌悪もなく淡々とこなしてしまうこと。
それは悲しくもあり、しかし同時に男の胸に確かな希望を実らせる。
「梵天丸を守れ。お前になら任せられる」
「……この命、もとより梵天丸様のもの。この身を捧げても、お守りすると誓います。」
膝をついて垂れた頭に、そっと男の手が伸びて、十字架を掛けた。退魔を司る者の証。
異形の骸に囲まれた、静謐な夜だった。
梵天丸は、神の魂を宿す、無垢なる存在だ。
生まれながらにして凄絶な霊力を受け継いだ、一族の至上の宝。
それ故に悪しきものに付け狙われる。その力を奪うために。
「だから……梵のせい。」
梵天丸を守るために、多くの者が傷ついてきた。
その筆頭が、小十郎だ。
「梵が、あの日、小十郎の手をとったから。小十郎と一緒にいたいと、願ってしまったから……」
小十郎が梵天丸のために戦うことを選んだその瞬間、彼の気丈な姉が一瞬だけ浮かべた表情を、今もはっきりと覚えている。
戦うということは、死ぬということだ。
かのモノたちの糧になり、体を奪われることのないように、いざというときは即座に確実に死ぬことを義務付けられる。
ただ、嬉しかっただけなのに。
小十郎が向けてくれる笑顔とか、軽々と抱き上げてくれる腕とか、梵天丸の手をすっぽりと包んでしまう大きな手とか。
至上の宝だと崇められ、危険だからと厳重に封じられた奥座敷に閉じ込められて、息をする人形だった梵天丸に、初めてひとの温もりを与えてくれた人だったから。
一緒にいたかった。傍にいてほしかった。
「梵みたいな普通じゃない子が、そんなこと望んじゃダメだったんだ。」
それがどんなに罪深い願いなのか、あのときの自分へ教えたい。
例えそれが、人間の血を糧にし、体を奪い生き永らえる、悪しき鬼が相手であったとしても。小十郎に、あの優しい小十郎に、誰かを殺す役目など与えたくなかった。
あの手は、慈しみと優しさを与え、命を育むためにあるものだったのに。
「全部、梵のせい。梵がいたから、悪いんだ……」
梵天丸の赤い唇が戦慄く。零そうなほど大きな瞳から、ぽつりと涙が落ちて、頬を伝った。
今夜はとても寒い。真っ白な満月が、心細いくらいに大きくて。
思わず呼んでしまいそうな名前を必死で飲み込んで、痩せた細い腕でぎゅっと膝を抱える。
そのときだった。
「泣いているの?」
突如、肌が粟立つほどの空気のざわめきが起きて、開け放した窓の外に、彼女は立っていた。
蝋のように真っ白な肌の女だ。黒く長い髪が滑るように月の光を映している。虚ろな瞳は生気がなく、ただぼんやりとこちらに向けられていた。
作り物めいた、恐ろしいほどの美しさ。何重にも結界を施されたこの囲いの中へ、するりと入り込んだその力。
間違いない。悪しき鬼の、それもおそらく、始祖の一族だ。
「悲しいの……市と同じね。」
虚の表情が、ほんのりと微笑を浮かべる。それがとてもきれいで、なのに呼吸すらできないほど禍々しく、梵天丸の動きを奪った。
「市ね、にいさまを探しているの。にいさま、にいさま、にいさま…………市のにいさまを知らない?」
にいさま、と何度もつぶやきながら、ゆらゆらと揺れる女の体は、おそらくもう生体として使い続けるには限界がきているのだろう。足元を縺れさせながら、じわじわと窓へ近付いてくる。
梵天丸の体を縛っているのは、鬼の使う魅了の術だ。梵天丸の霊力をもってすれば、普通なら容易に跳ね返すことができる。
しかし、解けない。体が動かない、声も出ない。
心の隙をつかれた。嘆きの鬼は、もう窓のすぐ傍まで歩み寄っている。
「あなたはとてもかわいいのね。市、好きよ。」
ぞろりと伸ばされた両腕を、部屋を守る最後の結界が阻む。バチバチと火花に焼かれて、それでも女は表情一つ変えず、虚の瞳をひたと梵天丸へ向けた。
「ねぇ、お願い。市のおともだちになって?」
硬質なガラスが割れるような音がした。
結界が破れ、女の手が影のように黒くうねり梵天丸へ迫る。
術はまだ解けない。もう、逃れられない。ひとであれる最後の瞬間。梵天丸が浮かべた名は、ただ一つ。
いつでも、声に出さなくとも、梵天丸が呼べば必ず来てくれるひと。どうしたって、結局、この名前しか浮かばない、頼れない。
こじゅうろう
「鳴神!!!」
あぁ、やっぱり、信じていた……
鋭い声が聞こえて、女の影を神の閃光が焼き尽くした。
女の気配が消えて、辺りは清浄な空気を取り戻していた。
術が解けて崩折れる梵天丸を抱きとめて、小十郎はその場に膝をついた。
小さな体は、ひどい汗をかいて震えているものの、しっかりと生きているひとの温度を宿し、呼吸をしていた。
間に合った。まだこの方は、生きてここにいる。
「ぼん、てんまるさま…………っ」
潰してしまいそうなほど強く抱きこむ。もう誰にも、どんな脅威にも、絶対に奪われないように。
「こじゅ……こじゅうろ、大丈夫だ。梵は生きてる。小十郎が、助けてくれた」
梵天丸よりも更に蒼白で、がたがたと震えている小十郎を抱き返して、梵天丸は何度も言った。
生きている。大丈夫。ここにいる。小十郎が助けてくれたから、梵は生きている。
少しずつ言葉が届いて、小十郎が顔を上げた。そっと梵天丸の頬に触れる。柔らかく、温かい。大きな瞳が、しっかりと小十郎を映して瞬いている。
あぁ、本当に、間に合ったのだ。
「梵天丸様……ご無事で、何より」
はらはらと涙を零した小十郎の、あまりに危うく脆い姿に、梵天丸の胸は再び後悔でいっぱいになる。
梵天丸が、もう小十郎を失えないのと同じく。小十郎も梵天丸を全てにしてしまったのだ。失ってしまえばもう二度と歩けない。二人は二人でなければいけない。
あのときの梵天丸の願いは、成就していた。こんなにも完璧に、悲しい形で。
「よく間に合ってくれた。梵は、小十郎だけを信じていたぞ」
この運命に引きずり込んだのは、自分だ。ならば、自分が小十郎を守らなければ。
「小十郎。梵は、もっと強くなりたい。」
もう、可哀相な子どもはやめだ。誰よりも、小十郎のために。
微笑んで頷いてくれた彼をぎゅっと抱きしめて、梵天丸は決意した。
ヴァンパイアハンターと神の子。