毎朝の通学、満員電車に揺られる20分間が、苦痛でなくなったのはつい2週間ほど前から。
 決まった時間の決まった車両、決まってドアの左端に、君は立っている。携帯電話を両手で握り締めて、ぷくっと頬を膨らませながら。


シュガー・ベイビー・ラブ!


「よぉ、政宗。今朝も順調にニヤけてんな」
「おっはよー!どうどう、今日の進展具合は?」
 正門近くで両側から衝撃。がっしと肩に組み付いてくる友人たち、元親と佐助は、ニヤニヤと意地の悪い顔でこちらを窺ってくる。
「……別に、何も進展してねーよ。悪かったな!」
 やけくそで叫んだ政宗に、二人はゲラゲラと涙まで浮かべて笑った。

 想い人のことを、耐え切れず打ち明けたときも、この二人はそうだった。
 それはそうだ、女の子なんて遊び相手、恋愛なんてだるっちぃゲームみたいなものとしか思っていなかった政宗が、顔を真っ赤にして一目惚れだなんて。
    自分でも、何かの冗談かと思うくらいだし!
「でー?今日の彼女はどうだったの、可愛かったの?」
 ひぃひぃ言いながらも何とか笑いを収めた佐助に聞かれて、政宗の脳裏が薔薇色に染まる。
 そりゃあもう、もう、可愛かった。今日も。
 彼女は小さい。170センチ台の政宗の胸元辺りまでしかないから、多分150センチもないくらいだろう。後ろ髪がくるんと跳ねた栗色の髪(染めたんじゃない、あれは絶対天然だ!だって眉も瞳も甘い茶色だから!)で、前髪は後ろに流してリボン形のピンで留めている。つるんとした白いおでこがまた可愛い。
 制服は紺のブレザーに深紅のリボン。政宗の降りる駅の二つ先が最寄りの、聖ウエスト学園のものだ。グレーのカーディガンからちょこんと覗く指先は、飾り気はないけれどきれいに整えられた薄桃色。清楚ですごく可愛らしい。
「そして更に、細い腰にちったい胸がロリロリで〜」
「そのくせ短いスカートから伸びる太ももはむちぷにで〜?」
「くりんくりんのおっきな目で、いっつもケータイ睨んでる?」
「その怒った唇もぷりぷりで可愛い!」
 ぎゃははー!と再び笑い転げる二人に、政宗の鉄拳制裁。毎朝同じことを繰り返していたら、そりゃあ常套句も覚えるだろうが、それにしたって笑いすぎだ。人の気も知らないで!
 そう、今までは肉欲に先走った関係ばかりだったけれど、彼女は違う。
 小さくて、可愛くて、むちぷにでロリロリな彼女を、守ってあげたい!
 その一心でこの2週間、人波から彼女を守るようにさりげなく斜め後ろに陣取りながら、一言も声を掛けられないまま過ごしてきた。
 これは純愛。正真正銘の、生涯一度の、初恋というやつなのである。
「な〜、そんなに言うなら俺らにも見せろって」
「そうそう、いい加減見たいな〜ロリロリかわいこちゃん!」
    冗談じゃねぇ!お前らなんかに見せたら、あの子が穢れる!!
 両手をわきわきさせて近付いてくるバカ二人を、政宗は歯を剥いて威嚇した。

 にも関わらず。
「やっほ〜、来ちゃったv」
「おはよー政宗ク〜ン!さぁ電車に乗ろうか!」
 今すぐ地球滅びろ。あの子と俺だけ残して滅びろ。
 微妙に都合のいい物騒なお祈りを人生で最も真剣に神に捧げた政宗の心知らず(知っていたとしても構いやしない)二人は友人の肩を掴んで無理矢理電車に乗り込んだ。
「お、とっとと、いってぇ」
「ちょっとチカちゃん、ドアから離れちゃったじゃん!」
 朝、通勤通学の満員電車で、思った通りのポジションを確保することは案外に難しい。慣れていないなら尚更で、後から後から押されるままに、三人は件の指定席から離れた車両中央部へと流されてしまった。
「しょーがねぇじゃねーか、つか大丈夫だろ、こっからでも見えるぜ」
 長身の元親はひょいと首を伸ばしてきょろきょろとお目当ての人物を探しているが、標準身長な佐助はぶつくさと文句を漏らす。
 文句を言いたいのはこちらの方だと、政宗は泣きたくなった。朝っぱらからむさくるしいヤローに引きずられ、むさくるしいおっさんたちに囲まれて、毎朝のオアシスの姿さえ、スーツの背中の間からようやく横顔が見えるか見えないか。何が悲しくて、こんな一日のスタートを過ごさなければならないのだ。
 ゴトン、と動き出す電車の動きさえ、どこか億劫に感じる。心なしか彼女の表情も、何やらいつもより寂しそうな気がしてきた。
 寂しそうというか、辛そうというか、不快、というか?

 異変を感じ取ったのは、二人の友人も同様だった。
「おい政宗、おめーのかわいこちゃん、様子がおかしいぞ」
 いつもぷくと頬を膨らませている彼女だが、今日はぎゅっと眉根を寄せて唇を噛んで、まるで何かに耐えているようだ。佐助が周囲に目を配り、はっと息を呑む。
「政宗見える?彼女の後ろのおっさん!」
 政宗の位置からは見えないが、佐助の伝えたいことはすぐにわかった。
    痴漢だ。
 まさか、そんな、よりにもよって。いつも通りの位置に自分がいれば、絶対にそんなことはさせなかったのに!
 動こうにも満員を越えた車両内は身動ぎすら難しい。今すぐ助けに、行きたいのに行けない。
 怒りに白くなる頭の片隅で、冷静な自分が計算する。次の停車駅まで、あと1分。彼女と反対側のドアが開いて、そこそこの人数の入れ替えがある。
 次の乗客が乗ってくる一瞬の間、人の壁が薄くなった瞬間に走る。元親も佐助も、政宗の思考を読んで身構えた。
 あと、30秒。停車駅のアナウンス。
 電車が、止まる。
「行け政宗!」
「グレーのストライプスーツだよ!」
 愛しい彼女と政宗の間を阻む人波が消えていく。わずかに残った人をぐいと押しやって、政宗が踏み出す。

 と同時に、一人のオヤジが宙を飛んだ。

「「「………………」」」
 くるりときれいに弧を描いて、電車の床に叩きつけられるオヤジ。グレーのストライプスーツ。間違いなくこいつが痴漢だ。
 それはいい。そこはどの道大差ない末路だったのだから、いいとして。
 政宗も、元親も佐助も、ばっちり見た。
 文句のつけようもない完璧なフォームで、振り向くそぶりで一本背負いをしかけた、小さな身体のおんなのこ。
「てめぇ、痴漢なんざ男の風上にも置けねぇ真似してんじゃねぇ!根性入れなおせ!!」
 見事な啖呵で大見得を切るその姿。
 間違いなく政宗のオアシスであるちみロリな彼女は、意外と強くて漢前だった。

「わーぁ、かーっこいい〜!」
「……俺のロリっこ幻想を返してくれ」
 目を丸くして感心する佐助。抱いていた夢が崩れて肩を落とす元親。その他大勢の乗客は、何事かと驚きながら少女と気絶したオヤジを遠巻きにしている。
 ぽかんと口を開けて固まっていた政宗は、
「…………何か?」
 何度か瞬いて、ぐっと奥歯を噛んだ後、彼女の元に歩み寄っていた。
 後ろで何やら「やめとけ政宗、現実を見ろ」だの「うーんちょっと歯が立たないんじゃないのー?」だの声がしているが、
「あの、大丈夫か?怪我とか、ていうか痴漢なんかされてつらかったと思うし」
 見上げてくる大きな瞳は、訝しげながらも政宗を映している。この2週間、夢にまで見続けた彼女に見つめられ舞い上がった政宗は、勢い彼女の小さな肩に手を置いて言った。
「こんなに可愛くて小さくて可愛いのに、自分で退治できるなんてすげーよ!でもこれからはおんなのこがそんな危ないことしなくても、俺が絶対に守ってやるから!!」

 傍から見てると、いきなり何言ってんのこの人というか、よりにもよってそのタイミングかよというか、とりあえずいいから車両に乗せてくれというか、そりゃもう散々な行動だったけれども。
 小さくて勇ましい彼女が、きょとりとくりくりの目を見開いて、次いでぽぽっと頬を染めてうなずいたりしちゃったもんだから、幸せの絶頂に昇りきってしまった政宗にはもう、周囲の視線など届かない。
 こうして生まれた傍迷惑なバカップルは、やっぱりこの先も傍迷惑に突き進んでいくのだが……。
 え、聞きたい?